2012/11/29  23:20 | 投稿者: 時鳥

10年後になくなっていそうな家電・電子機器について尋ねた、アンケートの結果を見かける。
CD、ガラケー、ファックスがトップ3だった。
電話代わりにファックスを使っている人がいる以上、ファックスはなくならないだろうし、CDもパソコンで扱いやすいという利点があるから、10年くらいは保つように思う。
他の機器にシェアは奪われるにしても。

むしろ、スマートフォンがなくなってたりするんじゃないだろうか。
あれ、どうも、過渡期の技術のように思えてならないのだ。
今は新しいから許されている不都合とか不満とかが、数年後には許せなくなる気がする。
逆に、ちょっと古くて下火のように見えても、堅実に枯れた技術は息が長い。
確実なものを求める人々が細く長く使っていく。
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2012/11/29  0:05 | 投稿者: 時鳥

朝のラッシュ。
はみ出して、電車のドアが閉まらない。
駅員がぎゅうぎゅうと押し込み、中身が身を縮め、息を詰め、やっとドアが閉まる。
何とはなしに、スカーレット・オハラがコルセットを締め上げるシーンを連想する。
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2012/11/28  0:17 | 投稿者: 時鳥

「お子さん、おいくつですか?」
「約0.5歳」

耳にした会話が、何やらひっかかる。
しばらくして、思い当たった。落語の「子ほめ」だ。
人は若く見られると喜ぶもの、と、ご隠居さんから教わった八つぁんだか熊さんだかが、友達のうちで生まれたばかりの赤ん坊相手に「お若く見える」とやらかす。
友達がすかさず、「じゃあいくつに見えるんだ」と突っ込むと、「どう見てもまだ半分」と落とす。
昔は数え年で、生まれた時に1歳だったからこのやり取りができたわけだけど、今は生まれた時は0歳だから、同じやり取りはできない。
今、無理に言うなら、「まだ猿に見える」あたりになるだろうか。
かなりの確率で怒られそうだ。
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2012/11/26  23:10 | 投稿者: 時鳥

湿布薬の袋に書かれた「用法・用量に関連する注意」を何となく読む。

(3)本剤は外用にのみ使用し、内服しないでください。

吹いた。
そういうことを書かれると、つい、どうやったら内服できるか考えてしまうではないか。
熱湯に入れたら溶けるだろうか。あるいは、煮込むとか、レンジでチンするとか。

ひとしきり笑った後で、でも、ラインを引くのも難しい、と、思い直す。
10cm×14cmの湿布薬を飲む人はいなくても、ピップエレキバンを解体して、中身の電池を飲む人は、存在する可能性がある。
オブラートを取り除いて粉薬を飲もうとする人は、いても全然おかしくない。
10個で1シートになっていて、折るとひとつずつに分かれる錠剤を、包装のまま飲んで、食道を傷つける人は実在する。
とすると、湿布薬でも、形状によっては飲用に見えてしまう可能性は、絶対にないとは言い切れない。
こっちは注意を書いて、こっちは書かない、なんてラインを引くより、一律で書いてしまったほうが、トラブルが少ない。いらん注意かもしれないが、実害はない。

今、私は、湿布薬を飲むなという注意を笑っているのだけど、考えてみれば私だって、本職からしたらありえない使い方をしている可能性がある。
とすると、この注意書きは、何をするかわからない使用者に対する怯えから発せられているのかもしれない。
実際、現場で観察すると、製造者がまったく想定していない使い方が編み出されていて、びっくりすることも多いから。何も薬に限った話でなく。
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2012/11/25  23:03 | 投稿者: 時鳥

東急ハンズにて。
たまたま、建築模型用品の売り場に差し掛かる。
車、ガードレール、トイレ、洗面台、ガス台、洗濯機、冷蔵庫などが100分の1やその他のスケールの模型となって売られていた。どれも彩色前の白い状態だ。
車はワンボックスカー、ライトバン、乗用車と、3種類があり、サイズも3、4種類あるのに対し、家電は基本的に1種類1サイズずつしかない。
洗濯機は直方体で、ガス台は3口、冷蔵庫は確か3ドア。一番無難な形状。
車に比べて、家電への興味が薄いように見えるんだけど、男性の発想なんだろうか、これ。
それとも、家電は1つの住宅模型で1つずつしか使わないけど、車は街の模型なら何台も必要になるから、わざわざバリエーションを持たせているのだろうか。
だとしても、あまりにイケテナイ家電がある住宅模型って、施主さんの評価が下がると思うのだけど。
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2012/11/24  21:06 | 投稿者: 時鳥

むやみやたらとわくわくする。
引き出し収納がそのまま壁になった家、4つの輪が知恵の輪のように組み合わさった、オブジェのような住宅建築模型、仮設住宅にもなるけど、復興成ればトラックで引いて、本来住む場所に移動もできるモバイルハウス。
アイデアに満ち溢れている。楽しさにも満ち溢れている。でも、それだけじゃ、このわくわくする感覚の理由にはならない。
わくわく感の源泉は、きっとこの、山下保博という人にある。
建築にはもっといろいろなことができるはずだ。
そんな確信がこの人にはあって、熱と共に発せられる確信が、建築模型に、平面図に、写真に、言葉にみなぎって、見る者をわくわくさせる。

TOTOギャラリー・間の「山下保博×アトリエ・天工人」展。
TOTOの運営するこのスペースは、建築家の個展を主に行う場だ。いわゆる貸し画廊ではなく、ギャラリーの企画として行うため、1つの展示の会期は約2ヶ月と長い。関連書籍をTOTO出版から出すことも多い。
現在、このギャラリーが取り上げているのは、建築家の山下保博さんと彼の率いるアトリエ・天工人。展覧会のタイトルは、「Tomorrow 建築の冒険」。

最初にこの人を知ったのは、ある建築コンテスト入賞作品展の会場だった。
Lucky Dropsと名づけられたその家は、間口3m、奥行き29m、先端80cmという無茶な土地に建てられた一戸建てだった。
家の形状も独特で、頭と尻尾と背びれを切り落とした魚を、腹を下にして半分地中に埋めたような形をしていた。つまり、地面からまっすぐ立ち上がった両壁が徐々に曲線を描いて頂点でぶつかり、その頂点は間口部分が一番高く、先端部の勝手口に向かうにつれて直線的に下がっていく。
また、壁もちょっと変わっていて、白い半透明の素材でできていた。おかげで夜ともなれば、家全体が暖かく光る。
家と言われてイメージするものとはひどくかけ離れていて、とても面白く感じた。

今回の展覧会では、そんな氏の代表作を一通り押さえて、7つのコーナーに分類している。
すなわち、「構造からの冒険」、「環境からの冒険」、「化学からの冒険」、「五感からの冒険」、「街づくりを冒険」、「再編集する冒険」、「重力からの冒険」だ。
こうして並べ立てただけでも分かるように、氏の活動は一方向にまとめられない。
Lucky Dropsのイメージだけで語ることは出来ないし、ほかのどの作品でも同じことが言える。
ただ、いくつもの方向に向かう建築にも、何故か共通して感じられるものがある。
作風と言っても悪くはないけど、それよりむしろ、根底に流れる考え方って言ったほうが近いように思う。
変えたい、超えたい、と望んで、新しいところに向かおうとする意思、とでも言おうか。
目的が既存の何かを守るためであったとしても、改善の余地はないかと考えるので、結局、これまでとは全然違うものができてきたりする。
新しいのだけど、人や土地を無視した新しさではなくて、いつも血が通っている。
暑いの寒いの、狭いの暗いのとうるさい人間が、まさにそういう土地で暮らしている。
土地の事情も生きている人間の欲望も否定せず、その上で、自分がわくわくできるものを作ろうと、冒険する。
子供が日に日に行動範囲を広げるように、この人は常に、建築の枠を広げようとしている。
建築にはまだまだ発揮されていない力があるはずだと信じて。

近年は、素材の探求に注力しているようで、昨年は現代日本において初めて、土ブロックによる構造を実現したのだそうだ。
土ブロック構造の次の展開として「土の礼拝堂」を計画されているそうで、その実物大モックアップが、今回の展示の目玉となっている。
フロアを割り、テラスに伸びる礼拝堂の壁は、もっとも大きな展示物で、会場の入り口で真っ先に目に入る展示物でもある。

土ブロックでできた壁である。
ところどころに十文字の空隙があって、すりガラスのブロックがはめ込まれている。
夜に外側から見ると、壁全体にたくさんの光の十字架が浮かび上がる。
外の明るい昼間は、内側の壁がやはり十字架で満たされる。
設計者いわく、土ブロックは信者自らが製作し、積み上げ、完成させることが望ましい、とのことだ。
現在、実現のためのクライアントを募集中だそうだが、とても志の高い建築だと思う。
本来、祈る場所ってこうやって作るものなのかもしれない。素朴で強靭で潔い。
できればこの構想どおりに実現して欲しいものだ。


「山下保博×アトリエ・天工人展 Tomorrow-建築の冒険-」
会場:TOTOギャラリー・間(乃木坂)港区南青山1-24-3 TOTO乃木坂ビル3F
会期:10/13〜12/22 10:00〜18:00 金〜19:00(日月祝休み)
入場無料
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2012/11/24  12:37 | 投稿者: 時鳥

自販機の話、まだ引っ張る。

ICカードのスイカがない地域では、それを使った自販機というものはそもそも、存在し得ない。
では、その地域の産物を投入すると物が買える自販機があればいいのではないか。
そう考えて、まず提案したのが次の2件だった。(「ディスプレイ付き自販機」コメント参照)

・スダチ投入でオロナミンC購入(徳島)
・みかん投入でポンジュース購入(愛媛)

47都道府県で考えたら面白そう、と最初は思ったのだけど、手始めに身近な神奈川、東京で考えようとしても、手ごろな産物が思い当たらない。
観光地に頭をシフトして、思いついた。

・ハト投入で鳩サブレ(鎌倉)

・・・ブラック過ぎる。
そりゃ、ハトはいっぱいいるけどもさ。
投入されたハトがどうなるか考えると、スプラッターな方向に頭が行きがちだし、そうして出てきた鳩サブレを嬉々として食べられるかというと、それもまた微妙。
いっそ、逆に、鳩サブレを入れたら鳩が出てくる仕様を考えてみる。
今度は手品になった。
しかも、ありがたみがない。生きたハトが出てきても、始末に困る。

東京バージョンで、人形入れたら人形焼っていうのも考えたけど、これも人形に呪われそうだ。
ひよこを入れたら東京ひよこも駄目、銅鑼を入れたらドラ焼きは許可。

これ、シリーズにすると際限なく原稿が書けそうなんだけど、今すぐやるにはややためらいがある。
しばらくコメント欄で様子見をしようと思う。
ということで、何か思いついた方は、コメント欄にどうぞ。
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2012/11/24  9:56 | 投稿者: 時鳥

閑猫さまのところで、サンタクロースの人形が持つ危険性について読む。
家々を飾るにあたって、うかつにサンタクロースの人形を飾ると、当日にやってきたサンタクロースが「ここはもう他の奴が来ているからいいや」と思って、素通りされてしまうのではないかという危険性だ。

しかしこれは、サンタクロースの習性による。
サンタクロースが鴨のごとき習性を持つのだとしたら、鴨猟におけるおとりの鴨の役割を、サンタクロースの人形が果たす可能性がある。
すなわち、「ここに仲間がいるから、付いてってみよう」とサンタクロースが思うのなら、人形はたくさん飾ったほうがよろしい。

その発想に立つと、あれ、デコイなのか。
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2012/11/23  10:17 | 投稿者: 時鳥

まずは用語確認。

Suica :JR東日本が発行している非接触式のICカード。
西瓜 :ウリ科のつる性一年草。果実は非常に美味。

直前の原稿で書いた「スイカ」を、書き手は前者として、読み手が後者として捉えていたのがそもそもの事の発端。
で、その、あやめ草さんが「自販機で西瓜が使えたら」という問題提起(なのか?)をしてくださったことから、妄想装置が発動。
コメント欄に書くのが惜しくなったので、今回はその話。

さて、ということで、西瓜で買い物をできる自販機を考えてみる。
基本は、西瓜を投入すると、商品が出てくる。
切り身を受け入れるのは面倒なので、丸のままの西瓜のみを受け付ける自販機とする。
商品は、飲料だと西瓜と価格がつりあわないから、米、乾麺、醤油や味噌などの調味料なんかがいいかもしれない。
エロ本やエロビデオでもいいのだが、若気の至りによる西瓜泥棒が増えそうなので、やめといたほうがよかろう。
子供が欲しがらないものにするのがポイント。

道路の脇にぽつんと、西瓜自販機が立っていて、時々、訪れた地域住民が丸い投入口から西瓜を投入して、商品を購入する。

ここで注意すべきは、投入した西瓜の価格判定のメカニズムだ。
大きさ、重さ、色艶などを自動で判別し、ランク付けを行う。そして同時に、インターネットに接続して、その日の西瓜価格相場を取得し、投入された西瓜の価格を決定する。
侘しげな自販機に見えても、裏では高度なテクノロジーが働いているのだ。
よって、日によって、西瓜によって、買える商品が変わってくる。
自販機の前に立つものは、価格変動のタイミングを見越して、西瓜を投入せねばならぬ。
なお、投入した西瓜は、当然ながら西瓜価格相場に影響を与える。
10分で西瓜価格が大きく変動することもありうる。
価格変動があるから、商品は米、麺、味噌なんかの、価格によって量の調整が効くものにした方がいいのだ。

さて、次の問題は、投入された西瓜の行く末だ。
農協などが引き取って、普通の流通経路に乗せるのがひとつ。
自販機の設置業者が独自ルートで流通させるのもひとつ。
ただ、自販機からの回収の手間を考えると、普通に果物として流通させるのは割りにあわないような気もする。
では、食用以外の西瓜の利用法としては、どんなものがあるか。

ほとんどが水分だから、酒にはならない。保存食にもならない。
皮を加工したら、ひょっとしたら紙とかスポンジとか新しい建築資材とかができるかもしれない。
あとは、そう、内部に液状の火薬などを注入したら、爆発物になるかもしれない。西瓜爆弾。
農道のくすんだ自販機は、実は某国の内戦に深く関与していた。衝撃の事実。
もしくは、人工子宮として西瓜を使う研究をしている組織があって、そこが運営している自販機かもしれない。
西瓜太郎の誕生を目指して、地道な努力を重ねる人々。
だって、白いとこ、羊膜にちょっと似てるじゃない?
ほかには、西瓜枕とか。
特殊なポリマーを注入すると、素晴らしい枕になる。柔らかさの中にある種の粒々感が心地よい。集めればソファーにすることも可能。
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2012/11/22  6:59 | 投稿者: 時鳥

スイカで買える飲料自販機の横を通り抜ける。
普通の自販機では商品のサンプルが入っている前面上半分は、ここではディスプレイになっていて、商品の写真が映っている。タッチパネル式で商品を選んで購入するという仕組みだ。
最近では見慣れたそれに、今更ながら引っかかったのは、そのディスプレイ画像のレイアウトが、普通の自販機とほぼ同じだということに気付いたからだ。
ほぼ実物大のボトルや缶が縦横に整然と並んでいる。元々あった自販機を無難に模写したように見える。
せっかく、ディスプレイなんだから、手足が生えて動き出すボトルを捕まえるとか、カロリーと成分も表示してみるとか、縮小や拡大をしてみるとかしたら面白くなるかもしれないのに、と思う。

新しい物が世に出る時って、最初は、元々あった物と同じことが出来る事をアピールして、その後、新しい物の方がうまくできる事とか、新しいものでないとできない事とかを探していくことが多い。
それは、新しい物が支持されるには、元々あった物が集めていた支持をもらってしまうのが速いからだろう。その上で、もっと支持されるように改良を重ねる。
その一方で、世の中には、それができるまで誰も欲しいと思っていなかったけれど、実は欲しかった物というのもあって、そういう物は当たると爆発的にヒットする。
ただその、改良とか欲望とかが、宣伝によって外部から与えられている感じが頻繁にあって、冷静に考えるとなくていい物とか、元のままでいい物とかが実際にはかなりの数に昇る。

そういえば、件の自販機で物を買ったことってない。
自販機よりコンビニで買う人だから、そもそも自販機の前に立たない。
スイカで買えようが、プラズマディスプレイだろうが、そういう人にはどうでもいいのだった。
多分、ボトルが動き出しても買わない。
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2012/11/21  6:57 | 投稿者: 時鳥

線路の向こうの大きな看板に、プレミアムエコノミーシートという文字が躍っていた。
飛行機の新しい座席だそうだ。
いずれ、カジュアルビジネスクラスとか、ライトビジネスクラスとかができて、境目がますますあいまいになるのだろうな。と、ごく尋常に考える。
差別化を追求した挙句、どれも大差がなくなる不思議。
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2012/11/17  14:50 | 投稿者: 時鳥

そうか、この色だったのか。
終盤、海上からル・アーヴルの街を望むシーンで、はっとした。
主人公の家、行きつけの店、病院、そのほか、街のあちこちで同じ色を見かけた。
緑がかった水色。洒落た味わいがあって、店に使う分には問題ないのだけど、自宅の居間には淋しく、冷たいように思えて、ちょっと違和感を覚えていた。
ル・アーヴルの海の色だったのだ、あれは。

舞台はフランスの大きな港町、ル・アーヴル。主人公のマルセルは初老の靴みがきで、妻のアルレッティと飼い犬のライカと共に暮らしている。だが、つましくも穏やかな生活にも、変化は訪れる。
ひとつは妻の病気。いきなり倒れた彼女はそのまま入院する。
そして、病院から帰宅したマルセルを、もうひとつの変化が待ち受けていた。難民の少年、イドリッサだ。
イドリッサの一族は貨物コンテナに潜んで、アフリカのガボンからロンドンへ渡ろうとしたが、寄航したル・アーヴルで見つかってしまう。ほかの密航者は難民センターなどに収容されたが、ひとり、イドリッサだけはコンテナから逃れた。あちこちを逃げ回った挙句、イドリッサは、たまたま顔見知りになったマルセルの家に転がり込む。
困惑しながらも受け入れるマルセル。
かくして、当局に追われるイドリッサをロンドンに送り届けるため、マルセルの慣れない奮闘が始まる。

・・・と、つるつるっと書いてしまったが、そういう作品かと言うと、ちと違う。
説明として間違ってはいないのだけど、重要なものが落ちている。
何だか、ダルマを上から見て、丸いって言っているような感じ。
一側面ではあっても、最も特徴的な側面ではない。

思うんだけど、この監督、事件にはあまり興味がないんじゃないだろうか。
警察が家宅捜索に押し寄せることより、その時に主人公がどうやって煙草に火をつけるかの方がはるかに重要な問題になっているように見える。
少し前に読んだ画家の安野光雅さんの随筆に、こんな一節があったのを思い出した。
静物画では(中略)いわば驚きの写実があるが、実は静物といっても決して静かではない。花は開き、魚は腐り、少しもじっとしてはいないものである。
『絵のまよい道』安野光雅 朝日文庫 53ページ

言われてみればその通りで、一見、動いていないように見えるものも、注意深く観察すると少しずつ変化している。揺らいでいると言ってもいい。
そうしたわずかな変化をすくいあげようとしたのが、この作品なんじゃないかと思う。

登場人物の表情筋は、慢性的な運動不足に陥っている。
何が起きても表情はほとんど変わらないし、感情の起伏にも乏しい。
でも、硬直した顔の2人が黙りこくって座っている時、間にはさまる30cmの空間が代わりに何か話しているような気がする。
人や言葉だけが伝達機能を持つのではなく、人と人の間の空間、言葉と言葉の間の沈黙も何かを伝えている。
空間や沈黙が伝えるものは、人や言葉に比べれば意味が薄いと、一般的には考えられている。だから、事あれば真っ先に削られる。なくても一応、世界は回る。
それなのに、なくても何とかなるはずのそちらばかり、見ている。
いくら凝視したって重要性が増すわけでもなく、やっぱりそれは、取るに足らないことなんだけど、なくなると味気ない。
バミのない鯛焼きみたいな。型からはみ出した生地が焼けてくっついているだけだから、あれだけ食べたって別においしくはないのだけど、あのぱりぱりだかふかふかだかがこの世からなくなったら、それはそれで、世界が少々、つまらなくなると思う。
かと言って、レリーフの台座みたいに板状にバミを作るのも、それはそれで無粋というか、臆面がないというか、邪道な気もするけどさ。
まあいい。今は鯛焼きではなく、映画の話だ。

美しいとか面白いとか、断言はしにくい。
「ような気がする」とか「じゃないかと思う」とかのあいまいな言葉が似合う映画なものだから、誉めるのもいきおい、そういう歯切れの悪い語調になる。
難しくはないけれど、ハリウッドアクションを期待すると、退屈でしかないだろう。
だからといって、つまらないわけではない。
古い旅館の大浴場の湯船に浸かっているみたいな、じわっとした温かさにわずかな侘しさと所在なさが混じった作品。至極簡単に言うならば、味がある作品。
よくわからないのだけど、居心地は悪くない。

『ル・アーヴルの靴みがき』2011年 フィンランド・フランス・ドイツ
アキ・カウリスマキ監督




以上、映画の感想、兼、予告編でした。

この映画、ロードショーはとうの昔に終了していますが、25日の朝、渋谷で音声解説つきの上映会があります。
ご興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、是非お運びください。

「ル・アーヴルの靴みがき」音声解説付き上映会
開場:ユーロスペース(渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 3F)
日時:11/25 9:45開映(9:30開場)
料金:1500円
映画上映(93分)+トークセッション(20分)

申し込みはシブヤ大学↓まで。(要申込)
http://www.shibuya-univ.net

仕組みとしては、まず、会場入り口にて片耳イヤホンのFMラジオを貸し出します。
上映中は、場内には普通に、字幕付きの映画が流れます。
しかし、ラジオをある周波数に合わせると、ラジオから日本語字幕を読みあげる声と、
画面の中で起こっていることを説明する、音声解説が流れてきます。
これによって、画面を見にくい人、見えない人、また、字幕に追いつけない人も楽しめると言うわけです。

※なお、申込フォーム入力が面倒で、かつ、私のメールアドレスを知っている方は、
 私までご連絡くださってもOKです。前日までにご連絡ください。
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2012/11/14  23:52 | 投稿者: 時鳥

朝日の降るホーム。
無数の脚が行き交って、幾重にも光を乱す。
まだらの光と影の狭間を、ハイヒールがよぎる。
細いヒールの金具が脚の林の木漏れ日を受け、一刹那、小さな光の輪をアスファルトにこぼす。
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2012/11/12  22:16 | 投稿者: 時鳥

砂漠の真ん中のバラック。有刺鉄線フェンスに囲まれ、見渡す限りの荒野と山。
不完全ではあるが、雨風はしのげる。
家具はほとんどないけれど、眠ることもできる。
食事も配給されて、フェンスの中なら移動もできる。
じゃあそれで、満足して毎日を暮らせるかというと、そんなことは絶対にない。

太平洋戦争中のアメリカに、日系アメリカ人の強制収容所というものがあった。
大統領令によって、西海岸やハワイの一部地域に住んでいた日系人は立ち退きを命じられ、約12万人が強制収容所に隔離された。ドイツの強制収容所と違って、殺されるようなことはなかったものの、強制収容所は人里離れた砂漠の中に作られることが多く、仮設住宅は狭くて最低限の家具しかない。持ち込みを許されたのは、わずかな手荷物だけ。
そうした環境の中で人々は、乏しい道具と材料を駆使して、必要なものを作り始めた。
3年後、戦争は終結し、収容所は閉鎖された。人々はやはり手荷物だけで帰宅を許された。作られたものの多くはその時に打ち捨てられたのだろうが、一部が手荷物に混じって持ち出され、70年もの間、それぞれの家の片隅で眠り続けていた。
「尊厳の芸術」展は、そうした品々を集めた展覧会だ。

椅子、小引出、そろばん、造花、ブローチ、指輪、花札、チェスセット、熊や犬やだるまなどの彫刻、絵画、下駄、箸、彫刻の施された硯に急須、子供用の剣道着、日本人形、自作の仏壇、それから表札。
集まった作品は非常に雑多だ。実用品もあるが、そうでない品も多い。
材料は、廃材や拾った貝殻や石など、ありあわせの物しか使っていない。
技術的にも素人臭く、正直言って、手芸の域を出ていないものがかなりの割合を占める。
今、小学校のバザーで売られていたら、一瞥して「うーん、要らないかな」と内心でつぶやいて、さっさと通り過ぎてしまうようなものも結構ある。
でも、見ればすぐわかる。
これは、その時、本当に必要なものだったのだ。

ひとつひとつの作品の背後に、とても個人的で、非常に切実な思いが流れている。
商品価値はなくても、作った人、持っていた人にとって、これは大切で必要な物だったのだと思う。
熊の置物やひまわりの種のブローチが直接、必要だったのではない。
それを作るという行為が、身の回りに置いて大切に扱うという行為が、この人たちにはどうしても必要だった。
パイプクリーナーのブラシ部分を切り整えて作った造花、桃の種を彫った指輪。パイプクリーナーや桃の種を見て、これが何になりえるか想像して、実際に作ってみる。
杖や小引出などの実用品でも、彫刻を施したりして、できるだけ美しく仕上げようとする。
取るに足らないもの。でも、それに携わった人の背中からは、少しだけ重荷が降りる。

単純に肉体を保つだけなら、食う寝るところがあれば何とかなる。
しかし、その身体を動かす意志や感覚といった精神の部分には、身体とは別の栄養が必要で、そうした心の食事のひとつが、きれいなものを作ったり、身近に置いたりすることなんだと思う。
のっぺりとした風景、娯楽は少なく、生活は単調。
乾いた皮膚がぺりぺりと剥がれていくように、感覚も渇くと、どんどん零れ落ちていく。
乾いた砂像のように崩れていくものは、そのまま流れに任せた方が楽なんだけど、感じることが減ると、何かをしようとする意思も減っていく。
それはそれで、取り返しのつきにくいことだから、あっさり手放すわけにも行かない。
零れていくものを留めようとする。渇きをどうにかして癒そうとする。決して屈しないと決める。
沢山の願いや意志を背負った物たちを見ていると、人間の尊さというか、底力って、こういうことなんじゃないかと、つくづく思う。

「尊厳の芸術 The Art of Gaman」
東京藝術大学美術館 11/3〜12/9

福島展 2/9〜3/11 こむこむ館
仙台展 5/5〜5/18 せんだいメディアテーク
沖縄展 6/1〜6/30 浦添市美術館
広島展 7/20〜9/1 広島県立美術館
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2012/11/10  1:10 | 投稿者: 時鳥

拾ったイベント。

公開セミナー ラジオを楽しむ!(1)
ラジオドラマ「鉄になる日」

日時:12/8 13:30〜16:30(13時開場)
会場:情文ホール(横浜情報文化センター6階)
入場無料。11/28までに往復はがきかWEBで申込み。抽選200名。

ラジオドラマを聴いたあと、制作スタッフによるトーク。
特に音響効果が評判になっているようで、3人のゲストのうち、2人が音響関係。
文化庁芸術祭ラジオ部門大賞をはじめとする数々の賞も受賞し、「ラジオドラマ史上に残る名作」だそうだ。

原作は、小松左京の長編小説「日本アパッチ族」。
有名な作品なので、タイトルは以前から知っていたが、読んだことはなかった。
今、読んでいる最中。およそ半分まで読了。「どうしてもっと早く読んでおかなかったんだろう」ってしきりに思う。勢いがあって、非常に面白い。これ、きっと、傑作だ。

ある日、日本各地に、鉄を食べる人類が出現した。
「アパッチ」と呼ばれる彼らは、鉄とガソリンを食べて生きていて、その身体は鋼鉄と化している。
被差別側の人間である彼らは、事あるごとに理不尽な仕打ちを受け、体制側とぶつかり合う。

血湧き肉躍るSFを音にする試み。
この日はすでに予定を入れていたけど、そっちを潰して、こっちに行きたくなってきた。

詳細URL
http://www.bpcj.or.jp/sp/event/new/201210/post20121024.html

WEB申込URL
https://www.bpcj.or.jp/regist/regist.php

以下、詳細URLの紹介テキストコピペ。
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