2013/4/30  22:37 | 投稿者: 時鳥

ニュースサイトに行けば、「この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます」だの、「昨日のランキング」、「最近一時間のランキング」だのと並べ立てられ、本の一冊も検索すれば、「この商品を検索した人はこんな商品も検索しています」と言われる。何か買おうものなら、攻勢は一層激しくなる。
一体、この小五月蝿くも小賢しいリコメンドというものは、世界中のどの国でも行われているものなんだろうか。
日本人には、他人と同じであることを好む人が多いと言われている。
そういう集団には、リコメンドは有効な販売促進の手段かもしれないけど、世界には他人と同じであることを、むしろ嫌がる国民もいる。
そういう人々にはリコメンドは逆効果だと思うんだけど、でも、だとしたら、どんな販促をかけているんだろう。
売れていない順に並べるわけにも行かないだろうし。
もっとも、「この商品を買った人は、誰一人、こんな商品は見ても買ってもいません」ときっぱり宣言されたら、天邪鬼の偏屈者としてはちょっと見てみたい気になっちゃうけど。そこは否定しないけど。

追記:
尚、この文章は、映画「プロデューサーズ」のサントラ盤を聴きながら書きました。
2

2013/4/29  9:35 | 投稿者: 時鳥

そういえば、ペロー童話ってどんなのだったっけ、と読み返す。
1697年発行の『昔ばなし』の全訳で、ルイ14世の弟オルレアン公の娘、エリザベット・シャルロット・ドルレアンに捧げられている。
収録されているのは、「眠りの森の王女」「赤ずきん」「青ひげ」「長ぐつをはいたネコ」「仙女」「サンドリヨン」「まき毛のリケ」「おやゆび小僧」の8篇。
各篇の最後にはそれぞれ教訓が付いているのだけど、当時21歳の姫君に捧げられたからか、はたまたフランスだからか、エスプリ全開である意味、非常に面白い。
「サンドリヨン」が後ろ盾の必要性を説いた話だったとは、今日まで知らなかった。
ストーリーも、大人になって読むと結構きわどい描写がある。
グリムは犯罪系のきわどさが多いけど、ペローの場合、犯罪系もなくはないが、性的なきわどさがより目立つ。
8篇中6篇は女性が主役で、展開といい、所々にさしはさまれる棘みたいな言い回しといい、本当に若い女性が読むことを意識した作品なんだな、と思う。

以下、各篇の教訓をものすごく乱暴に要約。

「眠りの森の王女」
果報は寝て待て。結婚は急ぐな。
「赤ずきん」
若い娘はオオカミに注意。特に危険なのは、猫かぶりのオオカミ。
「青ひげ」
下手な好奇心は身を滅ぼしかねない。
最近では夫も穏やかになって、見ていて、夫婦のどっちが主人かわかったものじゃない。
「長ぐつをはいたネコ」
青年にとっては財産よりも才能が大事。
男もやっぱり、見た目が大事。
「仙女」
優しい言葉には大きな力がある。
親切はご褒美になって返ってくるが、それは大抵、あてにしていない時である。
「サンドリヨン」
美貌よりしとやかさが大事。
天分だけでは不十分で、世に出るためには後ろ盾が要る。
「まき毛のリケ」
好きな人のものは何でも良く見える。
で、そういう良さは、人の心を動かす力という意味で生来の美しさを軽く凌駕する。
「おやゆび小僧」
弱くて大人しい者が、実は凄い力を持っていたりする。

『ペローの昔ばなし』白水社
シャルル・ペロー 挿画:ギュスターヴ・ドレ 訳:今野一雄
3

2013/4/28  21:36 | 投稿者: 時鳥

東京都写真美術館で、マリオ・ジャコメッリ写真展を見る。
1924年生まれのイタリア人の写真家で、作品はすべてモノクロ写真。
作品には独特の重力が働いていて、写真なのにドローイングのような圧力を感じる。

白い背景に、ある時は明確に、ある時はぶれて、黒が刻まれる。
いつか呑みこまれて行く所の手前で、もがいているような作品だ。
最後はここに行くことになると分かってはいるけれど、今は全力で足掻く。
作品によっては、被写体が醜く浅ましい姿で写されている事もあるが、醜さと同時に崇高さや尊さも感じられる。

最後に、写真家の年表を見たら、やはり人生の早い時期に身近な人を亡くした人だった。
その後も戦争があったり、本人が死にかけたりと、若い頃から死を意識してきた様子が伺える。
チケットにはこんな言葉が印刷されていた。
「白、それは虚無。黒、それは傷痕。」
彼の白は、温かみがない。硬く冷たく揺るぎない。
安定につながることもあるんだけど、黒を押しつぶそうとしているように見えることもある。
1

2013/4/28  9:39 | 投稿者: 時鳥

前髪というのは、1cm切ると、何故か1cm以上短くなって見える。
俗に、「前髪が上がる」と呼ばれる現象だ。

私は長年、この現象の原因は、毛先が丸まって上がるためだと思っていた。
でも、このたび観察して気付いたのだけど、切る前と切った後の髪を抜いて比べても、カーブの角度に大した差はない。
ということは、上がっているのは毛先でなく、根元なのではないだろうか。
毛根は上に向かっていて、伸ばした髪は重力にしたがって落ちてくる。
髪が短くなると、その分、軽くなって、上に向かう力が働きやすくなるのではないだろうか。

だから何だと聞かれたら困るけど、そんなの当たり前じゃん、と言われても返す言葉がないけど、何だろう。
言い回しの影響力って意外に侮れない、ってこと?
または、物事、真っ先に見えるものが原因とは限らない、ってこと?
1

2013/4/27  7:37 | 投稿者: 時鳥

「なんで丸いのよ」
机の上を転がり行くシャチハタに対して、いきなり難癖をつける。
なんだか、以前にも似たような構造の台詞を吐いた気がする。
あれはレトルトパウチで、今回とは逆に、丸くないことが問題だったけど。

印鑑って、丸くなくていいと思う。
丸いことに必然性が感じられない。
置けば机の上を転がっていくし、押せば30度ぐらい平気で曲がるし。
お前の手際が悪いんだと言われたらそれまでだけど。
しかし、四角形でも楕円形でも六角形でもいいから、円形以外の形にしたら、この世にあふれる苛立ちがほんの少し減るんじゃないだろうか。

ケースを四角くするって解決策もあるけど、実際にそういう商品を見たこともあるけど、問題はそこだけじゃないのだ。
「どこに行っても丸印ばかりだけど、そもそも、丸くなくていいんじゃない?」ってことなのだ。
1

2013/4/26  7:24 | 投稿者: 時鳥

某さんの携帯電話の待ち受け画面がお気に入りの観葉植物の写真であることを知って、「そこは3歳の愛娘じゃないのかしら」と心ひそかに思う。
(それにしても、まさに葉を観て楽しむ植物ですね。ヒューケラ。)
しかし、考えてみれば、常に実物がそこいらを走り回ったり転がったり、一瞬たりとも目を離せない状態で目の前に存在するわけだから、わざわざ携帯電話に入れる必要はないかもしれない。
気付いたのだけど、私の狭い見聞の範囲では、携帯端末の待ち受けやパソコンのデスクトップに我が子や孫の写真を設定しているのって、男性のほうが多いような気がする。
まあ、子持ちの女性より子持ちの男性に会う機会のほうが多いせいもあるだろうが。
よく分からないけど、常にそばにあって離れることができないものって、写真で愛でるって感覚がなかなか湧きにくいような気が、ちょっとする。
0

2013/4/26  6:52 | 投稿者: 時鳥

ジョーン・エイキンの短編にクェンティン・ブレイクがフルカラーの挿絵をつけている。
火星人が要らなくなった怪獣を村に捨てていったため、週に1人ずつ村人が食べられてしまい、双子の兄弟が火星に電話をかけて抗議する、なんていうドタバタの法螺話があるかと思えば、冬の夜に森をさまよう熊と水車小屋の娘の美しく悲しい物語もある。
テイストの異なる、でも、おとぎばなしと呼べなくはないお話が8つ。
伸びていく話の間や先に、解決していない小さな隙間がたくさん残されているのが、彼女の物語の特徴で、最終行で「あれ?これで終わりなの?」と感じることがしばしばある。
眠る前に聞かされたら、続きを夢に見そうだ。
個人的には、日曜日ごとにピンクの蛇に変わってしまう娘が出てくる「メリュシーナ」、魔女の新しいほうきを巡るお話「燃えろ、燃えろ、かげぼうし」などが好きだけど、宇宙をショートさせちゃった聖イカロスがサッカーボールを追いかけて延々と落ちていく「落ちていく世界をつかまえろ」の訳分からなさも嫌いじゃない。
あと、「リコリスの木」に出てくるお祖母ちゃんがたくましくて地に足が着いていて、素晴らしい。

『ふしぎな八つのおとぎばなし』冨山房
文:ジョーン・エイキン 絵:クェンティン・ブレイク 訳:こだまともこ
1

2013/4/25  7:08 | 投稿者: 時鳥

ひと月ほど前の『日経ビジネス』に、「若者を萎縮させない言葉の言い換え15」というリストが載っていた。
「空気を読まない」は「破天荒」、「意見を聞かない」は「こだわりがある」、
「根気がない」は「好奇心が旺盛」、「雑な性格」は「おおらか」などと、
それぞれ言い換えるのだそうだ。

何、この披露宴のスピーチみたいなのは。
爆笑しながら、物は言い様だなあと、しみじみ思う。
見合いの席で、仲人が相手をこんな言葉で褒めたら、気をつけることにしよう。
そんな席に出る予定ないけどさ。

もっとも、
「あらー、おおらかな方ですねえ」
と、微笑みながらひんやりと吐き捨てるくらいの芸当は、
以前からやっているような気がしなくもない。

そして、自分がこの言葉で褒められた時は・・・気にしないことにする。
そこで裏読みしても、あんまり良いことはないだろう。
口調に明らかに表れている場合を別にして。


続きを読む
2

2013/4/25  6:43 | 投稿者: 時鳥

金曜日の夜、机にCDを置こうとかがみこんだ拍子に、腰がぱきっと痛んだ。
これはどうも、あれのような気がする。

こういうこともあろうかと、ダイソーで買っておいた『家庭の医学 緊急編』(105円)を手に取り、ぎっくり腰のページを開く。
応急処置に書かれた通り、横向きに寝転がって身体を丸めると、痛みが和らいだ。
80ページの雑誌みたいな本だけど、よく起きる怪我や病気の手当て方法が30以上も載っていて、意外に役に立つ。

数日間は冷湿布で冷やし、落ち着いたら温湿布で温める。
数日間安静にして痛みが引かない場合は医師の診察を受けるように。
それが本の指示だった。
つまりは、数日間は湿布を貼って安静にしていろということだ。
そう判断して、まずは湿布を貼る。
去年の秋、左足を打撲した時に使った湿布が、20枚ばかり余っていた。
固定もしたほうが良いだろう。
2年半前、左上腕を骨折した時に使った固定バンドがあった。
ぐるぐる巻いて、横向きに寝転がる。

落ち着いたところで、ちょっと可笑しくなる。
世間一般に比べて物が少ない部屋のはずなのに、なんでこんなにいろいろ出てくるんだろう。

なお、土日を静かに過ごしたら、月曜日から仕事に出られる状態に回復した。
めでたしめでたし。
1

2013/4/24  7:28 | 投稿者: 時鳥

前項に関連して。

日よりも長く、月より短い時間の単位として、日本では二十四節季、七十二候というものもある。
一年を24に割った二十四節季は1つがおよそ半月、節季をさらに3分した七十二候は1つがおよそ5日だ。
何の気なしに、電卓を叩く。
72かける5は、360だった。
1年には5日足りない。
どこかの候が6日になっているか、どこかで日付が飛んでいるかしているはずだ。
一覧表をにらむ。

4日の候が3つ、6日の候が8つ見つかった。
プラスマイナスで365日。計算が合う。
内訳は以下の通り。
解説は、上段が中国、下段が日本で言い習わされている言葉。

【4日の候】
雨水の二候(2/25〜2/28)
 獺(かわうそ)魚を祭る
 土脈潤い起る
小雪の三候(12/3〜12/6)
 閉塞して冬を成す
 橘始めて黄なり
冬至の三候(1/1〜1/4)
 水泉動く
 雪下麦を出す

【6日の候】
立夏の三候(5/15〜5/20)
 王瓜(からすうり)生ず
 竹笋(たけのこ)生ず
小満の三候(5/31〜6/5)
 麦秋至る
 麦秋至る
夏至の初候(6/21〜6/26)
 鹿角解(お)つ
 乃東(うつぼぐさ)枯る
小暑の三候(7/17〜7/22)
 鷹乃ち学(はづかい)を習う
 鷹乃ち学を習う
大暑の初候(7/23〜7/28)
 腐草蛍と為る
 桐始めて華を結ぶ
処暑の三候(9/2〜9/7)
 禾(いね)乃ち登(みの)る
 禾乃ち登る
秋分の三候(10/3〜10/8)
 水始めて涸る
 水始めて涸る
小寒の三候(1/15〜1/20)
 雉(きじ)鳴く
 雉始めて鳴く

どうやら、カワウソのお祭り期間は短めで、
タカの飛び方練習期間と腐草が蛍に化ける期間は長めに取られている模様。

6日の候のうち、5つが夏にあたる。
そうか、夏が他の季節よりも長いと感じるのは気のせいじゃなかったのか。(え?違う?)

なお、中国が上に来ているのは、個人的な趣味である。
中国のほうがダイナミックな空想力が感じられて好きなのだ。
タカがハトに化けたり、モグラがウズラに化けたりする。
見慣れない生き物がいきなり現れた時、「これはあれが化けたに違いない!」と
ストレートに考えちゃう思考経路が楽しい。
2

2013/4/23  22:45 | 投稿者: 時鳥

閏月と閏日と閏秒があるんだから、たまには閏週を作ったらどうかしらねえ。
何気なく考えた次の瞬間、そんなことは起きるわけないか、と、気付く。
週なんて、そんなに重要な概念じゃない。
日と月は世界中のほとんどすべての暦にあるけど、週という概念は、ある暦の方が逆に少ない。
ヨーロッパ人が頭の中で考えただけで、天体の動きとはあんまり関係のないものだから、不規則なルールまで作って帳尻あわせする必要はないだろう。

でも、月と日だけで日常生活を営むって、不便じゃなかろうか。
そんな疑問は、昔の日本を考えたらすぐに解けた。
五日市や八日市という地名があるように、下一桁に5がつく日、というようなルールを作ればいいのだった。
つまり、10日単位だ。
10日単位で間遠すぎるなら、下1桁が2か8の日、なんてルールにすれば問題ない。

現代日本では、週を単位として物事が動いている。
週刊誌しかり、ゴミの日しかり、休日しかり。
しかし、ことによっては10日単位にした方が物事がゆとりを持って進むのではないだろうか。
特に思うのがゴミの日だ。
週3回の収集だった頃はよかったけど、最近では分別が進んで、月水金が燃えるゴミ、火曜が燃えないゴミ、木曜が空き瓶空き缶ペットボトル、土曜日が古紙回収、なんて具合になってしまっている。
回収係の休む暇がなくて、他人事ながら心配になってしまう。
1週間に詰め込もうとするから過密になるのであって、10日か2週間を1単位にすれば、もっとゆとりのあるスケジュールが組めると思う。
毎日集めるから、皆頑張って毎日ゴミ出しをするのであって、回数が減れば最初は不便でもすぐにそれなりの生活術を身につけて、何とかやっていくに違いない。
そんなに毎日、ゴミを出したり集めたりしなくても、きっと世の中進んでいく。
2

2013/4/22  7:06 | 投稿者: 時鳥

白い砂浜は、細かな起伏に満ちている。
波の寄せた痕か、風の通った痕か、生き物の足跡か、それとも巣穴か。
詳細は不明ながら、何かが動いた証だけが残されて、浜は今、静まり返っている。

机の上に置いた紙を見つめて、頭の中で足跡を付けてみる。
紙の砂浜には、どこから入って、どんなルートで足跡をつけようか。
紙はところどころが不規則に薄くなっていて、机の木の色を透かしている。
淡い影が砂浜にできた無数のくぼみのように見える。
こう歩くと、きっとここでちょっと足をとられる。

紙を持ち上げて、光に透かした。
あ、水滴だ。
即座に思う。

車のフロントガラスにばらばらと水滴が落ちる。
水滴にあまり動きがないから、これは外に止まっている車だ。
大粒の雨か、木の葉から落ちてきた水滴がぼたぼたと降りかかって、風景をゆがめる。
ガラスに当たる音さえ聞こえそうな主張の激しい水滴が、我が物顔に落ちてくる。

紙としては、和紙の風合いを持っていて、繊維がわずかに凝った部分とわずかに薄くなった部分とが全体に混在し、独特の立体感を生んでいる。
同系色の背景の上では、ちょっとでこぼこな紙ぐらいにしか見えないが、光に透かすと至極鮮やかに閃いて、思わずはっとさせられる。

「OKミューズさざなみ」王子エフテックス|特殊紙|プレーン(色物・模様)|しろ
3

2013/4/21  21:31 | 投稿者: 時鳥

金曜日の夜にぎっくり腰を発症して、週末の外出予定がご破算になった。
湿布を貼って終日、部屋にこもり、暇に飽かせてオペラのDVDを2本見る。
どちらもリヒャルト・シュトラウスで、「サロメ」と「カプリッチョ」という取り合わせ。
「サロメ」は暴力と流血と官能にまみれた古代劇、「カプリッチョ」はフランス革命前の貴族の居城で繰り広げられる優雅で辛辣な会話劇、こうして並べると、一人の作曲家が書ける音楽の振幅というものを考えずにはいられない。

「カプリッチョ」は今回、初めて見た。
リヒャルト・シュトラウス最後のオペラで、1942年にミュンヘンで初演されている。
ナチス支配の真っ最中にこれを初演してしまっていることに、ほとんど戦慄を覚える。
舞台はフランス貴族のお城、筋はといえば、伯爵兄妹の下に詩人、作曲家、舞台監督、歌手などが集まって、音楽が先か言葉が先かで論争を繰り広げたり、美しい伯爵令嬢を巡って恋の駆け引きをしたりするだけ。もう、見事なまでに、生産性とか実用性とかを無視したオペラなのだ。
しかし、だからといって、駄作な訳ではない。むしろ、かなりの名作に入るんじゃないかと思う。
微妙な心理の綾が音楽に現れて、共鳴したり、不協和を起こしたりする。
天秤の支点は常に中心から外れていて、故意に作られた不安定が、危ういバランスを保っている。
原色の鮮やかな美しさではなく、混じり合って灰色に近づきながら艶を失わない美しさ、薄い紗が重なってモアレを作っているような、玄妙な美しさを持った音楽だ。
リヒャルト・シュトラウスらしい凝った音楽が精妙に組み合わさって、他の人にはできない作品になっている。
通好みの高級食材みたいな作品だと思う。

そういう訳で、この作品は、初めてオペラを見る人には決してお薦めしない。
全編がもやもやとした綾を成し、最初から最後までほとんど切れ目なしに演奏される。
多分、どこに注意して聞けばいいかわからなくて、集中力の途切れた瞬間に眠くなるんじゃないだろうか。

この作品の主役は、伯爵令嬢で未亡人のマドレーヌ。
気品高く聡明で優美、天が二物も三物も与えたような完璧な女性だけど、そこはリヒャルト・シュトラウスのヒロイン、一筋縄ではいかない。
見終わってから、「見逃し三振の女」という言葉が頭に浮かんだ。
何かこの、2択になった時にどちらも選ばないことで何も失うまいとする狡さが、自分でも身に覚えがあるだけに、いらっと来る。
1

2013/4/20  21:19 | 投稿者: 時鳥

片栗粉の袋を見て、「なんか最近、これに関して読んだ」と思う。
しばらく考え込んで、思い当たった。
ゴキブリホイホイにかかったハムスターの処置の場面で出てきたのだった。

動物病院の院長さんが書いた読み物。
日本の獣医学の世界では、犬猫以外のペットはウサギだろうとカメだろうとクマだろうと「エキゾチックペット」と呼ばれるのだそうだ。
エキゾチックペットの治療をする病院はそれほど多くはなく、それを行うこの病院には、様々な動物がやってくる。

人間向けの医療なら当たり前のことが、動物では当たり前ではない。
小さな動物はちょっと血が出ただけで死ぬし、骨折が断脚につながることも多い。
その一方で、一般の人が「まさか」と思うような病気にかかった動物が運び込まれて来たりもする。
カメやウサギに結石ができたり、カエルが白血病で死ぬだなんて、この本を読むまでは想像もしなかった。
こういうのを読むと、この世界では想像もつかないことが、今、この瞬間も、どっさり起こっているのだなと思う。
分かりやすい感動なんてものはどこにもないけど、こんなこともあるんだと、何度も驚かされる。

表紙は、水温系を飲み込んだバジェットガエルのレントゲン写真。
目が悪くて、目の前で動くものはとりあえず食べてみる習性があるため、誤飲が頻繁に発生するのだそうだ。
異物を嘔吐できないのにその習性って、大変だ。
私なんて、筋張った野菜を食べたら、食後数分でその部分だけ戻ってくることさえあるのに。

『珍獣の医学』田向健一 扶桑社
2

2013/4/18  22:36 | 投稿者: 時鳥

国語辞典で拾った言葉。

クワレズマ
(ポルトガルquaresma)キリシタン用語。復活祭前の四〇日間。
荒野におけるキリストの四〇日間の断食を記念するもので、断食や懺悔を行なう。
四旬節。

ポルトガル語なのに、何となく断食っぽさを感じさせるのが凄い。
ラテン系の言葉では、4のことをクァットロ(quattro:伊)やクァトル(quatre:仏)などと言うので、この言葉も単に数字から来たんだろう。
でも、初めてこの言葉を聞いた日本人は多分、「食われず間」と脳内変換したと思う。
それが日本人にとっての自然というものだ。
責めてはならない。

ちなみにこの稿のタイトル、うちのパソコンは「男児危機感」と変換してくれた。
一体、どんなシチュエーションを想定したのやら。
これは、問責に値する挙動だと思う。
2




AutoPage最新お知らせ