2013/5/31  23:17 | 投稿者: 時鳥

お知らせ欄。茶室で怖い話をする会が、参加者を募集している。

茶室で怪談。
その企画力に、心をわしづかみにされる。
どうしてこれまで気付かなかったんだろう。
怪談をするには完璧な空間じゃないか、茶室って。
薄暗いし、雰囲気はあるし、狭いし。
夏の黄昏時から夜にかけてを茶室で怪談三昧に過ごすなんて、考えただけで目くるめくようなシチュエーションだ。
・・・怖い話、苦手だから行かないけどさ。
でも、公民館の茶室とか、高校の校舎の隅っこにある茶道室とか、夏場は怪談の集いのために活用していいと思う。
あんな面白い空間を、茶道や礼法や句会などの雅やかな団体ばかりに独占させておくことはあるまい。
3

2013/5/30  7:23 | 投稿者: 時鳥

「空想の建築」展で見たもの、その3。

カール・フリードリヒ・シンケルの『舞台装置図集』。
魔笛の舞台装置が実に美しくて、観客として観てみたい舞台なのだけど、事務方の苦労を考えるとげんなりする。
絶対、この人、予算とか考えてない。

ジョン・マーティンの『失楽園』。
闇に浮かび上がる宮殿や庭園。悪霊や精霊は淡く発光してうごめき、精気に満ちた闇がすべてを包んで、妖しくたゆたっている。

野又穫の油彩画群。
心象風景としての建物。母岩を覆ってなお成長する、結晶の如き巨大都市。天空に浮かび上がろうと試みる塔。化学実験器具のような全面ガラス張りの温室の中で、繁茂する植物、生態系をつくる水。淋しげにノスタルジックに光る塔、誰かをおびき寄せようとするかのように。
ありえない建築、でもどこかで見たような、想像したような、夢に出てきたような。

あの建物も、この建物も、奇妙でねじれて妖しく危なく、不思議なくらいに心魅かれる。
2

2013/5/29  22:34 | 投稿者: 時鳥

「空想の建築」展で見たもの、その2。

19世紀初頭に出版された、古代エジプト建築の石版画。
ナポレオンのエジプト遠征には、実は遺跡の調査団が随行していた。
『エジプト誌』というこの版画集は、彼らの調査研究成果のひとつで、十数年をかけて出版された。
カラーとモノクロの入り混じった石版画は、どれも精緻精密かつ美麗、美術作品としても一見の価値があるが、描かれた神殿もまたとんでもない。
想像図の神殿は、壁といい、柱といい、カラフルなヒエログリフで覆い尽くされていて、ここなら本なしで閉じ込められても、1週間は退屈しないと断言できる。
・・・いや、活字中毒者にとってはすごいことなんだってば。それ。
建物全体が書物みたい、との感想を抱いたが、よく考えれば、そんなに的外れな感想ではないかもしれない。
古代エジプトで紙の代わりに使われていたのは、パピルスだ。
パピルスがどれくらい保つかは知らないが、耐久性に不安を覚えた場合、あるいは末永く残したいと思った場合、石に刻むというのはかなり自然な考え方だと思う。
教えを、口伝えでもなく、奥義の書物でもなく、神殿そのものに刻み込む。
大胆なようだが、非常に合理的に思える。来て読めばわかるのだから。もっとも、識字率はかなり低かったろうけど。
現代日本には、お坊さんが地獄絵図の絵解きをしてくれるお寺がある。
古代エジプトでも同じように、壁や柱の前でヒエログリフを読み解いてくれる聖職者がいたのかもしれない。
その様子を想像すると、ちょっと楽しい。
ユーモアを交えて上手に話せる人と、堅苦しくて人気のない人とがきっといただろう。今と同じように。
2

2013/5/28  22:40 | 投稿者: 時鳥

立ち食い蕎麦屋の前を通る。

「えび天、いも天、びしゃもん天」
何の気なしに口ずさむ。

毘沙門天って、天ぷらにしたらどんなのだろう。
シャコとか蟹とかの甲殻類っぽい感じがする。
梵天も、歯ごたえのある、おいしいものの感じがあるけど、これはもしかしたら、
文旦飴かぼんちあげのイメージが重なっているのかもしれない。

帝釈天はスパイシーなから揚げっぽいもの、弁財天は揚げ饅頭などの甘いもの。
吉祥天はフルーティーな印象。パイナップルの天ぷらだったりして。
見たことも聞いたこともないけど。


これ、ひっくり返して、芋の仏、海老の仏、茄子の仏を考えてもよかったんだけど、
どうやっても江戸時代のふざけた見世物か、つくりもん祭りの出品物にしかならなかった。
3

2013/5/26  22:33 | 投稿者: 時鳥

町田市立国際版画美術館で「空想の建築」展を見る。
1920年代のニューヨークを描いた一群の版画では、摩天楼が空を突き刺し、ほとんど空想建築物みたいになっていた。
こんなのが現実に存在する時代が来るなんて、描いている本人達もほとんど信じられなかったんだろう。
今見ても垢抜けていてスタイリッシュで、未来映画みたいに見える。

スカイスクレイパー(skyscraper)を字義通りにとらえると、「空をこすりとるもの」になることに、いきなり気付いた。
「摩天楼」がskyscraperの忠実な翻訳であることにも、ほぼ同時に気付く。
これまで全く考えたことがなかった。
「摩天楼」という訳語を誰が作ったのか知らないけれど、skyscraperに負けず劣らず格好いい、ハンサムな言葉だと思う。
どちらがより素敵かと問われたら、延々悩む。

それはそうと、こすられて減った分はどこに行ってしまったのか。
2

2013/5/25  23:17 | 投稿者: 時鳥

履き古した靴の片方。
左右対称のデザインだが、足の癖がついているので、右の靴であることはすぐにわかる。

「靴は右足用に作られるのではない。右足用になるのだ。」
ボーヴォワールの「第二の性」を矮小化して、そんな言葉を思いつく。
「人は女に生まれるのではなく、社会によって女にされる」といった意味会いの主張が、その評論にあるのだ。

靴下を履く。
ワンポイントの類がついていない靴下だから、どちらの足に履いてもいい。
中指の先と親指の先が薄くなっていた。
履く足が固定化されていれば親指だけが薄くなるが、どちらにも履けるので両方が薄くなる。その分、少々長持ちするかもしれないが、靴下にしたらその分、酷使されている。
両方の役目を果たさなければならないというのも、それはそれで荷が重いことなのかもしれない。
2

2013/5/23  7:17 | 投稿者: 時鳥

展覧会情報を9件追加しました。
右の「展覧会情報」リンクよりお入りください。
追加した情報は以下の通りです。


「池袋モンパルナス 歯ぎしりのユートピア」
東京芸術劇場5階ギャラリー2(池袋)
期:5/19〜6/5 10時〜18時(無休)無料

「未来を変えるデザイン」
東京ミッドタウン・デザインハブ(六本木)
期:5/16〜6/11 11時〜19時(無休)無料
☆「2030年、様々な社会問題を企業はどう解決しているのか」という視点から、
19社の取り組みをインスタレーションで紹介。
最終日は12時終了。
http://mirai-design2013.jp/

「はたらきたい展。」
パルコミュージアム(渋谷)
期:6/6〜6/17 10時〜21時(無休)500円
☆「ほぼ日刊イトイ新聞」が「はたらく」を考える
http://www.1101.com/parco2013/index.html

「近世の禅画」
早稲田大学會津八一記念博物館(早稲田)
期:5/7〜6/29 10時〜17時(日祝休み)無料

「マルコ・ポーロが見たユーラシア」
横浜ユーラシア文化館(日本大通り)
期:4/27〜6/30 9時半〜17時(月休み)300円

「山村浩二がえらぶ新世代 アニメーションのつくり手たち」
横浜市民ギャラリーあざみ野 展示室1(あざみ野)
期:6/14〜6/30 10時〜18時(6/24休み)無料
☆短編アニメーション25作品上映+原画展

「竹谷隆之の仕事」
アーツ千代田 3331 1階メインギャラリー(末広町)
期:6/1〜7/1 10時半〜20時(火休み)1200円
☆迫力のフィギュア、約80点
http://www.takeya.jpn.com/

「古染付と祥瑞」
出光美術館(有楽町)
期:5/25〜7/15 10時〜17時 金〜19時(月休み)1000円

「世界報道写真展2013」
東京都写真美術館(恵比寿)
期:6/8〜8/4 10時〜18時 木金〜20時(月休み)700円
1

2013/5/22  8:02 | 投稿者: 時鳥

例えば、選択肢が5本あるとすると、自分の絶対選ばない選択肢というのが、そのうち1本くらいはある。
残った4本のどれを選んでも、自分の心にそむくことにはならないけれど、何かしらの理由をつけて1本を選んで進む。
すると、また5本の選択肢があって、やっぱり絶対に選ばれない1本がある。
その繰り返しで何となく、絞られてくる。
最初の分岐では全体の80%が選ばれる可能性があるけど、2回の分岐では64%、6回分岐があるとすると、選ばれる可能性のある選択肢は全体の26%しかない。
選んだもので出来ていると思いがちだけど、「あの時、ああしていれば」とよく思うけど、案外、人間、選ばなかったものでも出来ているんじゃなかろうか。
2

2013/5/21  7:37 | 投稿者: 時鳥

国立科学博物館の「江戸人」展で、お歯黒の臭いを嗅ぐ。
正真正銘の悪臭で、よくこんなのを口の中に入れようと思えるなと、ある意味感心する。
こんなのを歯に塗っていたら、食事がまずくなるんじゃないだろうか。
聞いた話によると、担当学芸員が数ヶ月かけて作った代物だそうだ。
まあ、作らなきゃないよなあ。今。こんな臭い。

形容しがたい臭いだけど、あえて言うなら、柿渋にちょっと似ている。
柿渋を腐らせて、錆びた鉄の赤っぽい液体と混ぜたみたいな、とでも言おうか。
お歯黒は、こんな風にして作る。
小学館の『国語大辞典(新装版)』から、「おはぐろ」の項を一部抜粋。

鉄片を茶、または酢の中に入れ、さらに、かゆ、酒、飴などを加えて酸化を促進させ、つきをよくするため五倍子粉(ふしのこ)を使う。
2

2013/5/20  7:30 | 投稿者: 時鳥

枠の中に枯れ枝を積み重ねる。2メートルの高さに積み上げたものを、上から圧力をかけて40センチメートルまで押し潰す。それを零下40度の冷凍庫に入れて、芯まで凍らせる。
そうしたらこの紙になる、というわけではないけど、イメージの方向性としてそんな感触を抱く。
硬いものが音を立てて圧縮され、氷結して生まれたもの。

「OKもみしぼ」という紙にパール塗工を施した紙だそうだ。
まず用意するのは、腰が強い真っ白な紙。和紙なら尚更良い。
その紙を丹念に揉んで、もれなく皺をつける。
この作業があるため、揉みこめる程度には薄く、破れない程度には丈夫でしなやかな紙であることが求められる。
その後、紙全体に白く輝く粉を塗りつける。粒子の細かい粉を何度も重ね塗りして、皺の間まできちんと輝きが入り込むようにする。

無数に入った皺のおかげで堅苦しくはないが、紙そのものに檀紙のような格調の高さがある。
施されたパール塗工が控えめに輝き、まるで隙のない白粉化粧をした奥方のようにも見える。

「OKミューズラフィーネM」王子エフテックス|特殊紙|パール|しろ
2

2013/5/18  22:45 | 投稿者: 時鳥

図書館で借りる本は、どれもカバーの上から透明なフィルムが貼りこまれている。
ある本の裏表紙に、小さなふくらみがいくつもできているのに気付いた。
どうやら、シートを貼る際に空気が入ってしまったらしい。
触れてみたが、どうやっても抜けそうになかった。

このまま抜けなければ、ここには50年経っても、100年経っても、購入当時の空気が残ることになる。
そう考えると何やら凄いことのように思えるが、そもそも本というのが当時の空気を何年も何百年も、そのまま保持し続けるメディアなのだった。
今、出回っているDVDは、100年後には再生できない可能性が高いけど、本は普通に保存していればまず間違いなく、読める。
3

2013/5/17  23:03 | 投稿者: 時鳥

「利害関係によって、その態度・主張をかえること。」
という意味が、「現金」という言葉にはある。
現金な人、とか、現金なもので、とか言うときのあれだ。

この用法、元禄16年刊行の三味線歌謡集『松の葉』にすでに載っているのだそうだ。
時代を考えるに、当初は掛売りの対義語としての「現金」だったのだろう。
ということは、別の支払方法や勘定科目に置き換えてもいいんじゃないだろうか。
いくつか考えた。

「売買目的有価証券な人」
評価の上がり下がりが激しい人。

「満期保有目的債券な人」
将来は期待できるんだけど、今はあんまり頼りにならない人。

「裏書手形な人」
色々な人から信用されているように見える人。

「他店商品券な人」
自分には特に必要ではないけど、他の人に対して何らかの力を持っている人。
あるいは、その人自身には大した取り柄はないけど、その人にくっついてくる後ろ盾や肩書きなんかに価値がある人。

「当座預金な人」
正しい手順を踏まないと、うんと言ってくれない人。
薄情なようだが、きちんと段階を踏めば驚くほどの協力が得られることもある。

・・・こうして書くと結構えげつない。
形容の対象を人間にしてしまうからよくないのか。


以下は、簿記を全く知らない人のための、簡単な説明。

売買目的有価証券:
時価の変動で利益を得ることを目的として保有する株式、社債やその他の債券。

満期保有目的債券:
満期まで所有することを意図して保有する社債やその他の債券。
債券というのは、発行時に償還期限や利率や配当金が決められているので、償還期限まで持っていれば確実に現金化できる。

社債や国債は「売買目的有価証券」と「満期保有目的債券」のどちらにもなりうる。
どちらにするかは、持ち主の目的次第。

裏書手形:
手形とは、ある期日にここでこの金額を払いますよ、と書いてある紙のこと。
受け取った人は期日になればお金をもらえるけど、それより前に誰かにこの手形を譲ることもできる。
その際に必要なのが、「手形の裏書」だ。
要するに、受取人はこの人に手形を譲りました、ということを裏側に書くのだ。
そうして譲られた人が、また別の人に手形を譲ることもできて、その時にも裏書をする。
さて、決済日。
もしも発行した人が額面を払えなければ、支払い義務は最初に裏書をした人に回ってくる。
その人も払えなければ、次に裏書した人に回る。
裏書がいくつもあるってことは、それだけ沢山の人がこの手形に関わって、保証してくれているってことなのだけど、それぞれがどれだけの支払能力を持っているかは、また別の話。

他店商品券:
デパート共通商品券を思い浮かべてもらうと、多分、一番早い。
その店で売っているわけではないので、買い物をされた瞬間は、ただの紙切れが増えただけだ。
発行元の店に買い取ってもらって、現金か自店商品券かに変えて、やっと意味を持つ。

当座預金:
預金口座のひとつで、小切手や手形を使って預金を引き出す。利子はつかない。
3

2013/5/16  7:46 | 投稿者: 時鳥

大き目の芋をうっかり飲み込んでしまった。
喉につかえかけたが、辛うじて通過する。
ほっとした。が、その後も2箇所くらいで引っかかった感触があった。
そうか、食道って何箇所かで狭くなっているって聞いたことがあるけど、本当だったのね。
と、水も飲まずに淡々と考える。

ひょっとして載っているんじゃないかと思って、『ベッドサイドの数値表』を開いた。
載っていた。

食道には生理的狭窄部というものが3つあり、
第1狭窄部は門歯から約16cmの食道入口部、
第2狭窄部は門歯から約23cmの大動脈弓と交差する部位、
第3狭窄部は門歯から約36cmの横隔膜裂孔部
にそれぞれあるのだそうだ。
つまりは、大きい物を飲み込んだ場合は、喉元過ぎただけじゃ安心できないってことだ。
あと2回は同じことが起きるんだから。

なお、同書によると、食物の嚥下速度は1秒あたり30〜40cmとある。
2秒あれば、飲み込んだものは胃までたどりついている計算になるが、今回は5秒以上かかっていたと思う。無理やり通って行ったのだろう。ご苦労様。

以下、私信です。

>閑猫さん、あやめ草さん
小判草、私も三葉虫に見えていました。
2

2013/5/16  7:24 | 投稿者: 時鳥

前項に関連して。
端末さんは、夜、人間が寝ている間に、サーバに今日会った人のデータを送る。
その様子から、三尸の虫を連想した。

道教の思想に、こんなのがある。
人の体には3匹の虫が住んでいて、その虫は絶えず人の行動を監視している。それが三尸虫(さんしちゅう)と呼ばれる存在で、庚申の夜になるとこの虫は寝ている人の身体から抜け出して、宿主の罪過を天帝に報告をしに行く。
それを阻むために、庚申の夜は徹夜をするという行事が昔の日本にはあって、庚申会や庚申待と呼ばれていた。

その伝で言うと、昨今の携帯端末の中には、無数の虫が住んでいて、絶えずどこかに何かを報告している。
報告先は千差万別で、天帝みたいに一括管理している存在はないはずなんだけど、それぞれ別の場所に報告していたはずが、気がつくと買収だの経営統合だのでひとつになっていたりするので、油断がならない。
1

2013/5/16  6:44 | 投稿者: 時鳥

顔認証機能の精度が、最近とみに上がっているのだそうだ。
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンでは、顔パスで入場できる仕組みが既に導入されていて、カメラに顔を見せるだけで登録されたユーザーを認識し、勝手にゲートが開くのだという。

この顔認証機能がグーグル・グラスみたいな眼鏡型の端末と組み合わされた場合を考えた。

まず、初対面で名刺交換をした時に、その人の顔写真を登録しておく。
すると、次に会った時にグラスがその人の名前を自動的に表示してくれる。
これまでに、いつどこで会ったのかの履歴も表示してくれる。
一緒に食べたものも覚えているので、好き嫌いも分かる。
記念日も出してくれるので、誕生日に「おめでとう」を言いそこねることもない。
店員がかければ、お客様の趣味も購入履歴も一目瞭然だ。
人の顔と名前を覚えるのが苦手な人間には非常に便利な装置であることは間違いない。
そして一方で、非常に恐ろしい装置であることも間違いない。

顔写真とプロフィールのデータの保存場所は、ざっと2通りが考えられる。
ひとつは端末そのもの。メモリーでも良いけど、とにかく、ユーザー自身が媒体を管理しているケース。
もうひとつは、通信を介して、インターネット上のサーバに保存するケース。
検索速度で考えると、端末にデータと解析システムを全部載せるのが一番速い。だが、かなりの容量になるはずだから、人数が増えたときに限界が出てしまう。また、グラスを紛失した場合に、全ての知人のデータが消えてしまう。
となると、データは端末とサーバの両方に保存することになると思う。
端末には基本的に、顔と名前といった、基本中の基本のデータだけを保存しておいて、それ以外のプロフィールや履歴はサーバに保存する。人と会っている間にサーバに保存しに行くと、他の処理に影響を与える恐れがあるから、一旦端末にデータを貯めておいて、夜中とかのユーザーが使っていない時間帯に定期的に保存しに行くのだろう。

こういう仕組みが整うとどうなるか。
サーバには、多数のユーザーが持つ、それぞれの知人・友人のデータが蓄積されることになる。
で、もし、あるユーザーが知人のAさんをBさんに紹介したとすると、BさんがAさんに初めて会った時、初対面にも関わらずグラスに名前が表示される。プロフィールも出る。評判も出る。いつ、どこにいたかも出せる。その他いろいろ、筒抜けになる。

あら怖い。
でも、冗談抜きに出来てしまうのだ、今の技術で、そういうことは。
早いとこ規制かガイドラインを作ってくれないと、顔をさらして表を歩けなくなってしまう。
チャドルをかぶって外出するような時代がいずれ来たりして。
5パーセントぐらいは本気で言ってる。

しかし、私はこの仕組みを怖いと、反射的に感じたのだけれど、それは何故だろう。
人を紹介する時に、その人がどんな人か説明することは今までもよくあった。顔写真や履歴書を見せることもあった。
基本的には今までと同じことをしているのに怖いと感じるのは、ひとつに、コンピューターは記憶違いも度忘れもしないからではないかと思う。
一度記憶したことは忘れなくて、網羅的で、まるで信頼が置けるみたいに見える。
だけど、どれだけたくさんの情報を集めようと、それは結局、断片の寄せ集めでしかない。ひとつひとつは不確かだったり一面的だったりする。解釈次第で全然別の見え方をする。
それを理解せずに、情報量を頼みにうかつに信じると、物凄く危険だと思う。
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