2014/4/30  23:34 | 投稿者: 時鳥

鮨を食べていた。
生の魚に酢飯をつけて、山葵としょうゆで食べる。
隅には生姜の甘酢漬けも詰まっている。
酢、山葵、生姜。いずれも強力な殺菌力を誇る食材。
主役の具とご飯以外、殺菌力を持たない食材がない。
そのことに気付いて、驚嘆する。

今回はなかったけど、ネタによっては紫蘇や葱、タデなども使う。
そこまでしてでも、生の魚を食べたかったらしい。ご先祖様は。

生だから手間がかかっていないのではなく、生で食べるために、惜しみなく手間をかけている。
火を通したほうが逆に簡単だと思うのに、生にこだわることをやめない。
素材の味を活かす日本料理の心・・・という方面に話を持っていきたくなるところだけど、あえて話を曲げる。

研究熱心が高じて、ひくにひけなくなったんじゃないだろうか。
と、個人的に、こっそりと思う。
結果と過程の軽重が入れ替わったと言うか。

新鮮な魚を見て、「生で食べられるんじゃないか?」と思った人が、刺身を食べ始める。
ちょっと鮮度の落ちた魚を刺身にした人が、中る。
そこで、新鮮でない魚を刺身で食べる方法を探し始める。
「鮮度の落ちた魚は刺身にしない」とはならない。
新鮮だから刺身にしていたのが、刺身にするのを前提に、薬味や手順に凝り始める。
こういう研究をしだした人に、「焼いて食べればいいんじゃないの?」と助言しても意味がない。
相手は魚を生で食べたくて、かつ、そのための研究をするのが楽しい人々なのだ。
世の中には、より簡単においしいものを食べたいと考える人と、苦労を克服して食べるとおいしいものはよりおいしくなると考える人とがいて、生の魚にこだわったのは後者の人種だったのだ。きっと。
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2014/4/29  23:34 | 投稿者: 時鳥

車庫から車が勢いよく出てきた。
立ち止まってやり過ごしながら、心の中でつぶやいた。

車だって、人を轢きたいわけじゃあないよねえ。

イノシシだって人にぶつかりたいわけじゃないし、冬眠前のクマだって人を襲いたいわけじゃない。
たまたま格好の相手が目の前に出てきてしまったのであって、それが厄介な相手だったというだけだ。
人間がうっかりイノシシやクマや車の前に飛び出さなければ、お互い幸せになれるのだ。
「クマ出没」の標識って、人間を守るのと同時に、クマを守る標識でもあるのだと思う。
人を襲ったクマは射殺されるけど、「クマ出没」の標識におののいて人間が足を踏み入れなくなれば、クマは平和に暮らせるのだ。

ということは、痴漢だって触りたいわけじゃ・・・あるか。これは。
痴漢だって傷害犯だって、そこに対象となる相手が居なければ問題は起きなかったのかもしれない。でも、そこはさすがに容認できない。
車道と歩道を分けるみたいに、エリアの住み分けができるならそのエリアには足を踏み入れないようにするけど、それで行動の自由に大きな制約がかかるのも業腹だ。さらにエリア分けは一種の差別につながりかねないし。
個人的には、弱い側が脅かされず、過剰なストレスを抱え込まずに毎日を送れるような環境を望んでいるけど、でもそれが、強い側にとって非常な抑圧を強いられる環境となるなら、どうすればいいんだろう。どこで折り合いをつければいいんだろう。
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2014/4/27  22:12 | 投稿者: 時鳥

古い書類の整理をしていた。
紙をめくって、残す山と捨てる山とに分けていく。
判読できない走り書きだの、なんか昔にやった覚えはあるけど、今となっては何の資料だかよくわからない紙の束だのが出てくる。
これが何なのかは、正直、わからない。
しかし、私の頭の中にないということは、この紙だけでも残しておかないと忘却の海に沈んでしまうのではなかろうか。
残す山に重ねようとした時、天啓を得た。

覚えていない資料は、残しておいても思い出さない。

何か事あってこの資料が役立つ日が来るとしても、その時にはこの資料のことなんて忘れているだろうし、たとえ覚えていたとしても、必要な時に出てくるわけがない。
覚えていない資料をどこに仕舞ったか覚えているくらいなら、最初っから何の資料か忘れちゃいない。そんな余裕はないのだ。私の記憶領域には。

容赦なく、捨てる山に重ねる。
次から次へと重ねる。
覚えきれないから、印刷したりファイルに保存したりして残す。
安心して資料の中身は忘れるけど、でもそんな時も、資料につながる糸は頭の中に残しておかないといけないのだった。
「調べたことは必ずこのフォルダの中にある」くらいのことでもいいから。
資料というのは、かすかに覚えていることを補強するためにあるのであって、最初から覚えていないことや、資料の存在すら忘れていることは、いくら資料を残したって活用できない。
存在を覚えている資料を探す際、邪魔になるのがせいぜいというものだ。
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2014/4/26  22:30 | 投稿者: 時鳥

カーディガンのあちこちに乾いたご飯粒がこびりついていた。
手探りでひとつずつむしり取る。
明らかに、左側に集中している。
右手に持ったお箸の先から零れ落ちるものだから、袖ならともかく、身頃に落ちるのは左側になるのが必然だ。

記憶をたどると、コメに限らず食べこぼしの染みって、右側より左側に多かったような気がする。
これまで考えたことがなかったけど。

左の鎖骨あたりにホックをつけて、そこにナプキンを引っ掛けるようにしたら、食べこぼしの染みはかなり減るかもしれない。
その人が右利きなら。
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2014/4/24  22:34 | 投稿者: 時鳥

コーヒーカップのある児童公園を、何度か見かけたことがある。
飲む方ではなく、乗る方のコーヒーカップだ。
遊園地かどこかからのお下がりらしい。

あれ、打ち合わせスペースにしたらどうだろう。
真ん中にテーブルがあるから資料が広げられるし、4人くらいで丸くなって座るにはちょうどいい大きさだし、話が行き詰ったら回して気分転換できるし。
会議は回る、されど進まず、その場でくるくる回るのみ。

なんてことを、疲れた頭で考えた。
いつもより多く、空回りしております。
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2014/4/23  23:03 | 投稿者: 時鳥

荷物を預けるのはいいんだけど、またここまで戻ってこなきゃならないのよねえ。
どこでも取り出せるコインロッカーってできないかしら。
あっちこっちで返せるレンタサイクルみたいに。

などと、ものぐさなことを考える。
こっちでもあっちでも、ほとんど同じものが預けられているのなら、どちらから返してもらってもいいことになる。理屈の上では。
個人の荷物でそうするのは難しいだろうけど、傘なら可能かもしれない。
最初に数百円の登録料を払って、傘を借りられるシステム。
傘を返せばある程度の額が戻ってきて、また借りるときには数十円払う。
携帯端末から傘の予約なんかも出来て、残り本数も一目瞭然。
傘が不足気味のステーションに返すと、少し多めに返金される。

傘立てに持ち主不明の傘がたくさんある一方で、傘を持っていない人が濡れて帰る。
とっさにコンビニで買った傘は晴れればいらなくなって、傘立てに置き去りにされる。
いつか雨が降ったら使おうと思っても、そんな機会はなかなか来ないし、降った時にはどれが自分の傘か分からなくなってる。
似たような傘が傘立てに何本もあって、大して使い込んでもいなければ愛着も持っていない傘は、どれがどれだか判別が付かない。
他人の物を持っていくよりは、と、また買う。
こうして持ち主不明の傘が世の中にあふれていく。

こんな不毛なすれ違いは、できれば滅ぼしてしまいたい。
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2014/4/22  22:29 | 投稿者: 時鳥

外出するために玄関に向かうと、玄関の鍵がかかっていなかった。
鍵はかかっていなかったけれど、レバー式のドアノブには内側に傘がかけられていた。
昨日は傘を差して帰ってきたので、ドアを閉めたタイミングでたたんだ傘をドアノブにかけて、施錠はお留守になったらしい。

なくなったものは特にない、と思う。
ドアノブには傘がかけられていて、落ちた様子はない。
そして玄関には鍵がかかっていない。

以上のことから、誰かが鍵を開けて侵入し、鍵をかけずに出て行った可能性は低いと判断する。
万が一、誰かが鍵を破って侵入したのなら、鍵をかけて出て行くだろう。そのほうが発覚が遅れるから。
鍵をかけ忘れたところに無断で入ってきたのなら、傘をドアノブから外すだろう。
ドアノブから落とさずにドアを開閉することは出来るかもしれないけど、除けておいたって気づかないようなものをわざわざかけておくなんて危険なことをする理由がない。

以上の理由から、何も異常はなかったと結論付ける。
帰ってきて鍵をかけ忘れただけだろう。
論理展開がどっか変な気がしなくもないが。
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2014/4/18  7:13 | 投稿者: 時鳥

JavaScriptの解説書を読んでいた。
「厳密な等価演算子」というものの存在を、初めて知る。
普通の等価演算子は値が同じかだけで判定するけど、今回知った「厳密な等価」はもうちょっと細かくて、データ型まで同じでないと、同じと認識されない。
500mlの水ならなんでもOKだったのが、六甲のおいしい水でないと駄目になったみたいな感じ。

JavaScriptだけの話じゃないけど、「同じかどうか?」の判定にはいくつか種類がある。
一番使う機会が多いのは、値が同じかどうかで、「等価」と言われたら普通はこのことだ。
言語によっては、500mlペットボトルの六甲のおいしい水でないと駄目っていう「等価」もあるし、私がさっきローソンで買ってきたのでないと駄目っていう「等価」もある。

「同じでしょう?」「違うよ」という揉め事を、よく見かける。
大人が「同じでしょう?」と与えたものを、子供が「違う」と突っぱねる。
子供の等価は、超・厳密だったり、大人の普通からは90度くらいずれていたりして、しばしばかみ合わない。
大人と子供に限らず、大人と大人の間でも、売り手と買い手でも、国と個人でも、国と国とでも、そんなことが常に起きている。
何をもって「同じ」とするかがずれていて、そのずれに気付いていないか、気付いていても歩み寄れない。
Aさんが同じと感じる枠と、Bさんが同じと感じる枠があって、そのふたつが重なり合っている部分だけが、二人とも「同じ」と認識できる枠になる。
提供する側のAさんは、双方が「同じ」と認識できる枠の中で収めようとすることが多いけど、別に、そこは、Bさんの枠全体のどこかで、一向に構わないのだ。
Aさんが「Bさんはこれを同じと考えている」と認められさえすれば。
「自分は違うと思うけど、Bさんがいいならいっか」と、いい加減になれさえすれば。
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2014/4/16  22:20 | 投稿者: 時鳥

はこべ、なずな、たんぽぽ、ノゲシ、カラスノエンドウ、ナガミヒナゲシ、スズメノカタビラ、ハルジオンかヒメジョオン、なんとかツルボ、ホトケノザかヒメオドリコソウ。
朝の通勤、目に付いた草花の名前を、片っ端からつぶやきながら歩いていく。
それだけで、物事があるべき場所に片付いていくような感覚を覚える。

大きな大きな白い紙を渡されて、文字を書け、と言われると途方に暮れるけれど、そこに1本細い線がひかれて、名前を書け、と言われれば、途端に落ち着いて書ける、みたいな感じ。
認知症や健忘症でものの名前がわからなくなるって、大きな白い紙の中にいるみたいな寄る辺なさなのだろうか。
ふと、そんなことを思う。
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2014/4/15  22:37 | 投稿者: 時鳥

大根の葉に近い部分を本体から切り離し、ビニール袋に入れ、冷蔵庫内に2週間ほど放置していた。
水洗いして流しのそばに立てると、半日で葉の向きが変わった。

牛革の鞄のふちがこすれて、白っぽくなった。
ワセリンを塗ったら、肌荒れが収まるように落ち着いて、傷が目立たなくなった。

鞄は動物で、大根は植物なのだと、いまさらのように気づく、晩春の十六夜。
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2014/4/13  13:09 | 投稿者: 時鳥

来る4月14日から20日までは、科学技術週間である。
各地の研究所が一般公開され、シンポジウムやトークイベントが開かれ、ある種の人間にとっては大変盛り上がる1週間となる。
ある種の人間しか盛り上がらないけど。

さて、毎年、科学技術週間となると「一家に1枚」シリーズの新作が発表される。
小中学校の理科室なんぞに貼ってありそうな、カラフルなA3版のポスターで、毎年違うテーマで制作されている。
去年のテーマは「鉱物」だった。「太陽」の年もあれば、「光マップ」や「元素周期表」の年もあった。
さて、今年のテーマは。

「一家に1枚 動く!タンパク質」

・・・なにそれ。
動くたんぱく質のアニメーションを公開していたから、見に行った。
「歩く!タンパク質」、「回る!タンパク質」、「ひっぱる!タンパク質」、「合体する!タンパク質」、「タンパク質のダイナミックな折りたたみ」の5つがある。
何を言っているか、わからん。
これはもう、ポスターを入手するしかあるまい。
この企画、世間の人が知りたがっているかどうかよりも、自分達が知らせたいことを優先するものだから、どの方向から攻めてくるか事前に予測が出来ない。
でも、何も知らない分野でも、ポスターを見て「ほー」と思うことがあるから、この姿勢はこれでありなんだと思う。

しかし、内部の人は慣れているから何とも思わないのだろうけど、「一家に1枚 動く!タンパク質」って、いきなり聞かされたら普通の人はびっくりするフレーズだと思う。
まるで、動くたんぱく質が、今日からお家に来てしまいそうだ。

参考:
科学技術週間

「一家に1枚 動く!タンパク質」
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2014/4/12  22:10 | 投稿者: 時鳥

裸眼のまま、眼科の待合室に座っていた。
壁に絵がかかっていた。モネの日傘の女だ。
ぼやけてしか見えないが、その様が妙にしっくりくる。
印象派の絵というのは、色彩で世界を捉え、明確な輪郭線を持たない。
それは近眼の人の見え方に、もしかしたら近いのかもしれない。

こうやって裸眼で見ると、晩年のモネやルノワールのもやもやとした絵の秘密が分かりそうな気がする。
まあ、気のせいだけど。
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2014/4/11  7:41 | 投稿者: 時鳥

Windows XPのサポート終了が話題になっている。
セキュリティ関連のサポートがない以上、今、インターネットにXPマシンをつなぐことは危険だ。
車検の切れた車を公道で運転するとか、賞味期限の切れた食品を売りに出すとかに近い。
問題は起きないかもしれないが、起きた時、本人だけの被害では済まされない。

でも、100年前の車がクラシックカーと呼ばれて珍重され、150年前の缶詰が歴史的資料として展示され、50年前の電化製品がレトロと愛でられるのも事実だ。
XPだって、今は危険だけど、20年後にはほとんど害のないものになっているだろう。
今は、XPのセキュリティホールを利用して、悪いことをしようとする人がいるけど、20年後にわざわざXPを攻撃する人がいるとも思えない。
100人中1人しか使っていないものより、20人が使っているものの方が成功率が高い。
皆が使っているってことは一種の安全の目安になるけど、誰も使っていないってことも、場合によっては安全の理由になる。
安全性が高いからではなく、危険性が低いという意味での安全も世の中にはある。
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2014/4/11  7:39 | 投稿者: 時鳥

客が欲しいのはドリルではなく、そのドリルであけた穴である、という有名な言い回しがある。

ということは、ホームセンターは穴をばら売りしても良いんじゃないだろうか。
客がカウンターに持ち込んだものに対して、10mmの穴をひとつあけたら80円、みたいな。
素材によって料金が変わる。穴の直系は、料金にはあまり影響しないかもしれない。影響するのはむしろ、穴の深さのほうか。
持ち込めないものについては、出張費別途で承る。

シイタケのほだ木に穴をあける習慣があります、って人だったら自前のドリルが必要だけど、たまに部屋の壁に穴をあけるくらいの人だったら、ばら売りかレンタルの方が勝手がいいと思う。
そして都会には、後者が多分たくさんいる。
ここにちょっと穴があったら便利なのに、と密かに思いながらも、どうやってあければいいか分からなくて、要望そのものをなかったことにする。
何だか、そういう細かい不便をいっぱい見落としているような気がする。
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2014/4/8  22:29 | 投稿者: 時鳥

そうですねえ、ちょっと黒っぽい白ですねえ。

口には出さずに、にこにこと考える。

ええ、もちろん、白です。黒のわけはありません。
白に決まっています。白に。
そうですとも。白です。シロシロ。

強めに自己暗示をかける。

白っぽい黒と考えるか、黒っぽい白と考えるかで、物事はずいぶん違って見えてくる。
薄い赤と薄い緑と薄い青を混ぜたものと見ても、藤色からシアンとマゼンタを抜いたものと見ても、また違ってくる。
実際にあるのは、ただのグレーな何かなんだけど。
灰色とグレーと鼠色は大差ない。
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