2015/3/30  23:08 | 投稿者: 時鳥

建物の隙間の、存在にすら気づいていなかった木でさえ花を咲かせ、ワタシハサクラと叫んでいる。
染井吉野は特別嫌いじゃないけれど、きれいだとは思うけれど、こんなに滅多矢鱈と咲かれると疲れる。あっちからもこっちからも呼び声。
染井吉野が1週間くらいしか咲かない花で、よかった。
咲き始めて3日か4日ですっかり疲れてしまうから、これが何週間も咲き続けられたら堪らない。
花が悪いんじゃなくて、花を植えすぎる人が悪いんだけど。

染井吉野に集中するから、花は一斉に咲き、1週間ほどで一斉に散ってゆく。
一極集中ではなく、いろいろな花に分散してくれれば、もっと長い期間楽しめるのに、と残念に思う。
街路樹も、皆同じ種類の木を植えるから、一斉に花が咲き、葉が色づく。それはそれできれいだけど、違う時期に咲く花だと別の面白さになる。
環状道路の街路樹で、花の時計みたいなのが作れないだろうか。
ここが散ったらこの先が咲いて、そこが散るとまたその先の花が咲く。そうして花を追いかけて一年経つと元の場所に戻っている。
ロータリーの周囲くらいの広さでやった方が手ごろだろうか。バスやタクシーを待つ人の目も楽しかろう。
環状道路でやるなら、1年で戻ってこなくてもいいかもしれない。
5年くらいかけてゆっくりたどって、戻ると元の樹が明らかに成長している。
そんなのもきっと楽しい。
2

2015/3/29  22:00 | 投稿者: 時鳥

スクリーンの中では、釣り人が長靴を釣っていた。
実際に長靴を釣ったことのある釣り人って、世界にどれくらいいるんだろう。
釣りをしたことがないからさっぱりわからないけれど、釣り糸を下げれば必ず魚より先に長靴が引っかかるっていう、アニメや漫画のパターンほどは捨てられていない気がする。
バナナの皮で滑った人と比べて、多いんだろうか少ないんだろうか。
釣り人より歩行者のほうが圧倒的に数が多いから、回数としてはバナナかもしれないけど、バナナが道路に捨てられている確率と長靴が水中に捨てられている確率は大した差がなさそうだから、頻度としてはいい勝負かもしれない。
3

2015/3/28  23:53 | 投稿者: 時鳥

天理ギャラリーで「台湾庶民の版画・祈福解厄」展を見る。
台湾では今でも、願い事があるとお札を燃やす習慣があるそうで、そのお札が何十枚も並べられていた。
ちょうどタロットカードくらいの大きさの紙に、墨一色で絵が刷られている。
願い事によって図柄が違うそうで、安産には海老、子育てには十二婆姐や七星娘娘、厄払いには白虎や五鬼、開運には太歳や陰陽銭などなどが使われる。
それらの謎めいた図柄も、タロットカードを連想させる。
太歳なんて、愚者のカードにしか見えない。

とはいえ、タロットカードほどしっかりした物体ではない。
紙の質は悪いし、図柄は素朴でお世辞にも上手いとは言えない。印刷技術も素朴なものだ。
すぐ燃やすものだから、こんなのでよいのだろう。
でも、捨てがたい味わいがあって、台湾土産にもらったら、ちょっと燃やせそうにない。
非常に数多く刷られ、世に出回っているものだけど、燃やされるものだから後の時代に残るものは少ない。
また、民間信仰だから、現地の人間でもなければ見る機会は少ないし、知名度も低い。
こんなものまで集めているとは、さすが天理ギャラリー。
こんなマイナーな分野で展覧会をしてしまうところも、さすが以下同文。
3

2015/3/27  22:39 | 投稿者: 時鳥

個室は半分以上埋まっていた。
今また一部屋ふさがった。
ドアが閉まるや否や、流水音を真似たノイズが響く。
すると、すでに埋まった部屋からも次々とノイズが響き始めた。
羞恥心が目覚めたか、同調圧力がかかったか。

アダムとイブの話を思い出した。
イチジクの葉で隠した途端、それは恥ずかしいものとなった。
用を足す音も顔の毛穴も汗染みも、誰にでもあって当たり前なのに、隠す方法を与えられると、それは隠さなければいけないものになった。
不満を解消し欲望を叶えるための手段を与えられた、というより、手段を講じる義務を課せられたような気がしてならない。
解決したはずが、ますます面倒に複雑になっている。
3

2015/3/25  23:49 | 投稿者: 時鳥

ちょっと見回せば、明朝体の活字はそこら中にあふれている。
明朝体の元をたどれば中国は明の時代、刊本で使われていた文字にさかのぼる。
実際にその字を書いたのは無名の書記なのだけど、明の時代のその人は、自分は何体で字を書いたと思っていたのだろう。
何かの字を真似したつもりなのに、似てなくて明朝体と呼ばれるようになったのだとしたら、本人にとっては不名誉な話だ。
いずれにしても、時代も場所も遠く離れた現代日本で自分の字が大量生産されていると知ったら、明朝の誰やらはさぞや驚くことだろう。
無名の一個人の字が「明朝」の名を冠されて、書体になる。その不思議。
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2015/3/23  23:54 | 投稿者: 時鳥

待つ間にめくっていたパンフレットに「VDT作業」という言葉が出てきた。
久々に眼にした。その言葉。
「VDT作業が労働者にもたらす影響」みたいな文脈でよく使われる言葉だけど、今や「VDT作業」という言葉自体がほとんど使われていない。
そういう作業がなくなったのではない。そうではなくて、逆に、あまりに普通になりすぎたから。
VDTはVisial Display Terminalの頭文字で、VDT作業はパソコンなどのモニターを長時間見る作業のことを指す。
20世紀後半、仕事場にコンピュータが割り込んできて、作業の場が紙からディスプレイへと変わっていった。それを目の当たりにした人々が、半ば恐れつつ提唱したた言葉だろう。
しかし今では、仕事か遊びかはさておき、多くの人が日がな一日ディスプレイを眺めている。
ディスプレイやモニターやテレビや電卓、デジタル時計。とにかく、起きている時間の大半を電気の画面と一緒に過ごしているものだから、いまさらVDT作業と言われても、それだけじゃ扱う領域が広すぎて、何も言っていないのに近い。
現代日本の日常生活では、周囲を見回せば電気の画面の一つや二つや数十、簡単に見つかる。
もっと日常生活になじみやすい言葉にするか、専門家っぽい言葉のままならもっと細かく表現してくれないと、使いように困る。
この言葉、たぶん、今後もあまり普及しないんだろう。
言葉って、何かを限定して言及するためにあるものだから、現象が存続していても、限定の意味がなくなってしまうと、言葉の存在意義が薄れてしまう。
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2015/3/22  22:30 | 投稿者: 時鳥

知っていることを数え上げればたくさん知っているような気になるし、
知らないことを数え上げれば何も知らないような気になる。
ちょっとした自戒。
グラス半分の酒を「半分しかない」とするか「あと半分もある」とするかの違いに似ている。
あるいは、寸前の地点で「あと3.3cmもある。引き返せる。」と思えるか、否か、とも。

金が金を呼ぶ。元手が多いほうが投資は利益を得やすい。
同様に、知識は知識を呼ぶ。
関連分野を知っていれば学習が容易に進むのは当たり前だけど、それだけでなく、全く違う分野のことが不意につながって、ジグソーパズルのように堅固にかみ合うことがある。
目の前に、これまで見えていなかった絵が現れる。
今まで見えていたのがすべてではなかったことに気づく。
ということは、今見えているあれもこれも、ひょっとしたらすべてではないのかもしれない。
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2015/3/22  10:38 | 投稿者: 時鳥

緑色の小箱がある。円筒形で蓋の角は丸く落とされている。
蓋の上に小さな家が乗っかっている。金色の三角屋根に白い壁の平屋造。入り口と窓がぽかんと開いて、絵本の中から抜け出してきたようだ。
庭先には公園の鉄棒くらいの高さの物干し竿が渡され、布団が干してある。布団の端っこがちょびっとだけずれている。
少し離れたところに、一本足の郵便受けがある。

有楽町の駅で、とある個展のポスターを見かけた。一目でアンテナが反応する。
そこで、本来の用事が終わった後、東京国際フォーラムのアートショップに足を向けた。
目的は、店内のギャラリーで開催されている、丸山祐介さんと言う方の個展だ。
金属造形作品展、とある。小箱や壁にかける花瓶や机の上に置けるオブジェなど、小さめの作品が50点くらい出ていた。
あ、これは好きだな。きっと。
入り口に立ってギャラリー全体を見渡した時、直感を新たにした。

レモン・イエロー、モーヴ、カーマイン、ピーコック・グリーン、クロームオレンジ。
鮮やかな色彩を持つ小箱の表面に、火傷のような条痕が無数に走る。
「マチノハコ」と銘打たれたシリーズだ。
条痕の形状を見ればすぐに、これが地図なのだとわかる。
地図から道だけを抜き出して、焼き付ける。メインストリートは太く、脇道は細い。道の辺に色彩がにじむ。銀色の道と地の色が接するあたりに、別の色が現れる。
GPSの軌跡みたいだ。
GPSを持って、人が歩く。通ったルートが地図の上に細い線となって残る。同じ場所を何度も通れば線は太くなる。通ると言っても、日によって右側を歩いたり左側を歩いたりするから、線はぴったり重ならない。ぶれている。
たくさんの人がたくさんの毎日に歩いた場所を図にすると、この小箱にとても似たものができるのではないだろうか。
歩く、立ち止まる、ためらう、避ける、吸い寄せられる。
日々の何気ない行動が積み重なって、路上に濃淡をなす。

オブジェは、雲の形をしていた。
ふわふわの銀色の雲の上に、教会が乗っている。灯台が乗っている。真っ赤な屋根に2本の角がついた家が乗っているのもあって、これは鬼の住処かもしれない。きっと、良い虎のパンツをはいた鬼であろう。
白馬に乗った王子様が迎えに来ても何とも思わないが、こんな雲が迎えに来てくれたら、多分、心が揺れる。
浮世離れと言う意味では、冒頭に挙げた緑の小箱のお家たちも良い勝負で、なんかもう、無条件に、いいなあと羨んでしまう。
小さな中に、一篇の物語のような豊かな世界が内包されている。
雲の上の灯台でも、布団を干している家でも、建物とそこに住む人のお話があって、写しあるいはミニチュアとしてこれら作品があるみたいだ。
今にも、家の中から誰かがちょこちょこ出てきそう。

「丸山祐介金属造形作品展」
フォーラム・アート・ショップ(有楽町)
期:3/6〜3/29 10時〜20時(無休)無料
※東京国際フォーラムB棟1F
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2015/3/21  23:58 | 投稿者: 時鳥

ソニーイメージングギャラリー銀座で、木之下晃さんの追悼作品展を見る。
半世紀以上も世界中の音楽家の写真を撮り続けていた音楽写真家で、今年の1月に亡くなった。
会場に集められたのは傑作中の傑作、およそ30枚。カルロス・クライバー、ヘルベルト・フォン・カラヤン、カール・ベーム、レナード・バーンスタイン、小澤征爾、パヴァロッティ、メニューイン、アルゲリッチなどなど、世界的な指揮者や歌手や演奏家の舞台姿を本質から捉えている。
一枚一枚を丁寧に見た。いずれも大変に見ごたえがある。自然に微笑が浮かんだ。
これ、撮られた人は嬉しかっただろうなあ。

音楽家は音楽を作り出す。
けれど、音楽というのは演奏した端から消えてしまうものだ。
録音や録画によって残すことは不可能ではないけれど、そうして残した音楽からは何かが抜け落ちている。
空気の流れと言うか、熱気と言うか、震え、揺れと言うか。
何と言えばいいか分からないけれど、ライブの現場には機材では捉えきれない何かが、始終行ったり来たり居座ったりしている。
コンサートホールで耳を傾けていると、時々、「あ、神様がいる」と思うことがある。
特段の名演でなくてもいい。
音楽が空に上り、ほどけて溶ける。
それだけで、神様か何かがそこにいて、受け取っているように感じられることがあるのだ。実際。
でもそれは、録音を聞いているときには滅多に感じられない。
その、録音からは消えてしまうものが、この人の写真の中には残っているのだ。
音楽家にとって、それはとても大事なもののはずで、だから、写真にちゃんと写っているのを見たら喜んだに違いない。
音楽はその場で消える。録音も録画も写真も、片鱗しか残せない。
しかし、音楽家が大事にしているものの片鱗を少しでも残せるのなら、目に見え、耳に聞こえる形で残せるなら、不十分だろうと欠片だろうと、きっと意味はあるのだ。

「木之下晃 追悼作品展 マエストロ 世界の音楽家」
ソニーイメージングギャラリー銀座(銀座)
期:3/20〜4/1 11時〜19時(無休)無料
※銀座5-3-1ソニービル6F
1

2015/3/21  0:28 | 投稿者: 時鳥

冬のはじめでこの気温なら確実にもう一段薄着だったはずだが、冬の後のこの気温ではなかなか薄着になりにくい。
ちょっと着過ぎかと思いつつ、脱げない。
季節の先取りはおしゃれの基本。そう言われるのは、人間、無意識だと季節の後追いしかしないからだ。
人間に限らず、草も木も虫も鳥も、亀も熊も梅も蝶も、皆、季節が来てから動く。
準備は季節が来る前から始める。準備を始めるきっかけが季節のどこかにある。そして、いざ季節が本格的に到来したら一気に動く。
これから来る季節のことをわざわざ考えて、未来予測の元に動くのは、人間しかしないことなのだと思う。
人間でも、意識していないとできない。
そう考えると、先取りが評価されるのは、先取りそのものがどうこうと言うより、先取りしようとする意識とか意欲とかが評価されているんじゃないかと思う。
意識的にアンテナを張っていないとできない。
3

2015/3/19  2:11 | 投稿者: 時鳥

「扨又朝之内昼迄足袋之継いたし候」
酒井伴四郎日記の10月16日の記録は、こんな一文で終わっていた。
ずいぶん時間をかけるな。読んだ時、かすかに思った。
しかし、これはほんの序の口だった。

江戸詰めを命じられた紀州藩士・酒井伴四郎が江戸に着いたのは、万延元年5月29日のことだった。新暦では、1860年7月17日にあたる。
郷里の和歌山を発った5月11日から11月30日まで、一日も欠かさず日記は書かれているのだが、江戸に着いた日からこの10月16日まで足袋に関する記述はない。
それなのに。何故かこの日から、足袋の継ぎについての記述が頻繁に出現する。
以下、足袋に関する部分を抜粋。

10月16日
(前略)扨又朝之内昼迄足袋之継いたし候

10月17日
(前略)今日は七ツ時比迄足袋繕ひ、先日より写し物にかかり居り候間、足袋継間無之、六足程溜り候間、暫くハ足袋一色、昼後叔父様も足袋継、(後略)

10月18日
終日雨天、朝直助は民助方へ髪結に行、予は昼迄足袋継、(後略)

10月20日
極上之晴天、朝肩衣を叔父様御繕ひ被下、先は詰甲か成りに間に合候様に成候、予昼迄足袋繕ひ、(後略)

10月26日
(前略)予終日足袋之繕、夕方琴春方へ行、(後略)

11月16日
終日曇る、八ツ時比皆方元輔遊びに来る、今日は終日足袋繕ひ、(後略)

11月17日
晴天、(中略)、予は終日足袋繕ひ(後略)

11月18日
晴天、昼迄足袋繕ひ、(後略)

11月25日
晴天、朝五郎右衛門来る、昼迄足袋繕、(後略)

11月29日
晴天、朝五郎右衛門来る、予昼迄足袋繕、昼後認物(後略)

足袋って、こんなにたびたび繕わないといけないものだったっけ。
物凄く時間がかかっているんだけど、いったい何足繕っているのか。そもそも、何をしているのか。
自分ひとりの足袋にちょっと穴が開きましたってレベルじゃないわよねえ、これ。
そういう仕事なのか、何かの修行か願掛けか嫌がらせか。足袋を一から自作でもしているのか。
謎が尽きない。
1

2015/3/17  23:52 | 投稿者: 時鳥

「ぐるっとパス2015」の案内を入手する。
ぐるっとパスは、東京の美術館・博物館等の共通入場券や割引券がセットになったもので、東京都歴史文化財団が2003年から発行している。
13年目の今年は、参加施設が78、有効期間が2ヶ月、値段は2000円。
初年度は参加施設が31で有効期間は1ヶ月、値段は1800円だったから、参加施設は倍以上、有効期間は倍に増え、値段は1割ちょっとだけ上がっている。

さて、恩賜上野動物園は初年度からずっと参加している施設のひとつだ。
各施設の紹介文の横には写真が添えられていることがあり、上野動物園は長年、パンダや入り口の写真なんかを掲載していた。
今年は一味違った。
ハシビロコウさまが堂々とたたずんでいらして、何となく、押し黙る。
近年、人気が出た動物で、去年の夏の夜間開園イベントではメインビジュアルに使われていたけれど、遂にここまで進出なされたらしい。
昼も夜も動かず眼光は鋭く、寡黙でニヒルな見た目なのに実はドジっ子で、くわえた魚を何度も池に落とす姿が目撃されている。ギャップが魅力。
動物園の顔として、インパクトは十分。動かないので、写真を撮りやすいところも美点だ。

ちなみに、「はしびろこうさま」と打ったら、端日露光様と変換された。
偶然とはいえ、お坊様のように威厳のある字面だ。
うん、いいんじゃないかな、その字で。
2

2015/3/15  23:35 | 投稿者: 時鳥

『酒井伴四郎日記 影印と翻刻』と題された調査報告書が、江戸東京博物館から出版されているのを発見した。
酒井伴四郎は紀州藩の下級藩士で、幕末の江戸に単身赴任した際に日記を書いた。
以前に読んだ『下級武士の食日記』という本でこの本が取り上げられていた。著者の青木直己さんが虎屋文庫の方だったのもあって、主に食べ物や料理の面に着目した本だったけれど、端々に出てくる伴四郎の性格や周囲の言動がなかなか面白くて、原文があれば読みたいと思っていたのだった。
調査報告書は、日記全文を活字にしている。注釈はないが、そんなに難しい言葉を使っているわけではないので、読む気があれば十分読解できる。
こういう報告書があるならあると、早く言ってくれないと。困るなあ、もう。
『下級武士の食日記』を図書館で探している時、酒井伴四郎の名前を何となく検索ウィンドウに打ち込んだらこの本が出てきたものだから、検索もそこそこに郷土資料のコーナーに走って、鷲掴みしてしまった。

読んでみると、期待したほど毎日面白いことを書いているわけではなかった。
でも、ところどころでひっかかる。
例えば、8月16日に芝へ外出した際、3人の異人が買い物をしているところに行き会う。
その風貌を「何レも鼻高く眼色魚之塩物之眼之ごとし」と描写している。
塩漬けの魚の眼という表現がとてもリアルで、はっとする。
相手に配慮するとなかなかそんなことは書けないが、確かに、いわれてみればそんな感じがする。

『酒井伴四郎日記 影印と翻刻』
東京都江戸東京博物館 調査報告書 第23集 2010年3月
3

2015/3/15  0:00 | 投稿者: 時鳥

知識はただの道具に過ぎなくて、知識の習得は目的ではなく手段のひとつでしかないのだけど、道具は手元にないと使うことができないから、いつまで経っても学ぶことが止められない。
いつ使うか分からない道具も、そもそも使うかどうかすら怪しい道具も、せっせと仕込んで置かないと。
知識がなければきっかけすら拾えないことがいっぱいあるし、いつ、あれとこれが結びついて起爆するか分からないのだから。
いつもいつも、知らないことばかりが見つかる。
2

2015/3/13  12:31 | 投稿者: 時鳥

会議室の隅の小卓に加湿器くらいの大きさの機械が置かれていた。
水の入ったタンクがついていて、「除菌・消臭・花粉専用噴霧器」と書かれている。
それだけ機能があると、もう「専用」って言わないんじゃないだろうか。
「専用」って、単機能のものに対して使う言葉だろう。
除菌、消臭、花粉以外の何かしらの機能がついていないから、
こんなことを言っているんだろうと思うが、それは何だろう。

検索ウィンドウに「専用噴霧器」と打ち込む。
除草剤専用噴霧器が大量に出てきた。
なるほど。確かにその機能はついていなかった。
おそらくは、除草剤専用噴霧器が噴霧器の9割以上を占めていて、
その他の噴霧器が少ないパイを争っている状況なのだろう。
除草剤が使えない噴霧器のほうが珍しいから、わざわざ「専用」と言わねばならぬ。
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