2015/10/31  23:05 | 投稿者: 時鳥

江戸時代の将軍や殿様たちが所蔵していた本を見る。
廬山記は中国の廬山の観光案内書で、12世紀に記された。江戸の当時からすれば、500年から700年前の異国の話だ。
間宮林蔵のフィールドワークを基にした蝦夷画帖は、同時代の北海道を伝える。
山海経は古代中国の神話伝説を記した本で、成立は紀元前何世紀か。妖怪や架空の生き物が満載。

当時の人たちは、どこまでが事実で、どこからが架空だと考えていたんだろう。
廬山は、子供の頃から読んできた詩文に頻繁に登場する。
蝦夷は、遠いところにあるらしいってことしか知らない。
そういう状況だと、500年と2000kmを隔てた廬山の方が、時間差ゼロで距離だけ600km離れた蝦夷よりも、ずっとリアルに感じられるんじゃないだろうか。

最新情報がすぐ入ってくる時代ではなく、一度手に入れた情報はなかなか更新されない。
今、手元にある情報はもう古く、現実と反するかもしれない。
その可能性は、みんな考えていただろうが、だからと言って即否定はしない。
嘘か本当かわからないけど、嘘と言い切れる情報や論拠はないから、本当と仮定して話を進める。
グレーの部分はグレーのままに、いつでも白にも黒にも転じられるよう、バランスを取って先に進む。

あることが事実か架空か嘘か。
その区別はもう、どうでもよくなるような気がする。そういう状況だと。
そこを追求していたら切りがないし、いつまでたっても話が進まない。
中心となる問題がそこじゃないのなら、なおのこと。
事実が判明したって、問題が解決しないなら仕様がない。
3

2015/10/30  23:41 | 投稿者: 時鳥

ネット講義を受講していた。
動画を視聴するものなのだけど、まどろっこしくて軽く苛立つ。
興味のないところや冗長なところはできれば飛ばしてしまいたい。
最高速度にしてもまだ遅く、半分聞き流していた。
飽きかけた頃、字幕をダウンロードできることに気付いて、専らそちらを読んだ。
斜めにざっと読んで、満足する。
これくらいでよかったのだ。本当に。

図解や写真や動画は確かに分かりやすいことも多いけれど、必ずしも最善の学習方法ではない。
動画よりも、ただの文章の方が速いし、時として確実だ。
じっくりたっぷり知りたい人は画像を必要とするかもしれないが、
ざっくりさくさく知りたい人にはそれでは重過ぎる。
字幕が落とせる動画というのは、両方をそれなりに満足させる方法かもしれない。
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2015/10/28  23:55 | 投稿者: 時鳥

ベランダの植木鉢で雑草を育てている。
外出時に気に入った雑草を見つけたら種を集めて、植木鉢の空いた場所に無造作に埋め込む。
そのまま放っておくと何かの芽が出るが、その頃には植えた場所を忘れているし、何の植物かもともと知らないので、謎の草を黙々と育てることになる。
植木鉢はいまや、戦国時代を迎えている。
いろいろな雑草が勝手に生えて、それぞれの陣地を占める。
たんぽぽのように、中央に根を持ち、そこから太い葉を放射状に伸ばす種、
クローバーのように、細い茎であちこちに割り込み、先に大きな葉を付けて日光を確保する種、
他の種の葉陰でじわじわと小さな葉を広げる種、
植木鉢の真ん中に細い葉をほんの数本だけ伸ばし、それ以上、陣地を広げる様子を見せない種。
俯瞰すると、戦国武将が領地を争っているようにも、企業の市場シェア争いにも、政治家や団体の派閥争いにも見える。
人間のやっていることを上から見たら、きっとこんな風に見えるんだろうな。
おうちのベランダで見られる連続ドラマ。絶賛、生放送中。
ソープ・オペラなんて芽・・・じゃなくて、目じゃないぞ。
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2015/10/26  23:47 | 投稿者: 時鳥

進行方向にあるビルの壁が、白々と、不思議に明るい。
時間的に、太陽の方向ではない。
ということは、高い建物の窓ガラスか何かに太陽が反射しているのだろう。
振り返ると、その通りだった。
ガラスが無意識にレフ板と化している。
美しい建築もいいけど、周囲を美しくする建築っていうのもありだと思う。
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2015/10/25  22:38 | 投稿者: 時鳥

昨日のこと。
青山一丁目にあるホンダのショールームの前に差し掛かった。
前庭に大量のオートバイが並んでいる。
実を言うと、これまでの人生でオートバイをちゃんと見たことはほとんどない。
ガソリンで走っている二輪の車は、私の中ではすべて「オートバイ」というひとつの言葉でまとめられている。
そんな人間だから、オートバイが何台並んでいようと素通りする。
その時も素通りしかけたのだが、妙な気配を感じて足を止めた。
どうも、同じ種類のオートバイで、中古で、しかも、今も現役で誰かが乗っているような感じがする。
オートバイから受ける印象がとても人間臭いのだ。
ナンバープレートもあちこちのものだし、ステッカーはびしばし貼ってあるし、趣味に走ったカスタマイズがこれでもかとばかりにされているし。
百台くらいありそうだが、ひとつひとつ違う気配を放っている。
後で調べたら、「第19回 カフェカブミーティング in 青山」に集まった株主さんたちの愛車らしい。
スーパーカブの持ち主を株主と言うらしいことも、ここで初めて知った。
オーナーを見て、車を当てる神経衰弱みたいなゲームが出来そうだ。
簡単すぎて、ゲームとして成立しないかもしれないけれど。
カブと株主はきっと、親子よりも、犬と飼い主よりもよく似ている。
その人の体の一部、片足みたいなものなんじゃないだろうか。
この満ちあふれ、垂れ流される個性と愛情を見る限り。
スーパーカブについては何も知らないけれど、濃い愛が注がれやすい車なのだろうな。
集まった人の顔がぴちぴちぱりぱりほこほこしている。
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2015/10/24  18:49 | 投稿者: 時鳥

今日の出来事。
銀座から京橋を経由し、日本橋方向に向かって歩いていた。
そろそろ八重洲通りというところで、傍らのビルのプランターが目に付いた。
膝くらいの高さがある白いプランターが、ビルの壁のくぼみに沿って置かれていた。
プランターに植えられた植物には、白い花が咲いていて、ほのかな香りを放っている。
その花から花へと飛び移って、何かが蜜を吸っていた。
随分大きいが、蜂だろうか。こんな都心にもいるのだな。
そんなことを考えて、観察した。
色は渋い緑、俗にいう鶯色である。
止まることなく、羽ばたきながら蜜を吸っている。
大きさは蜂にしては大きい。蝉か蜻蛉くらいのサイズがある。
そして、姿は鳥に見える。
これは、ハチドリと言うものに見えるのだが。
東京駅前にハチドリがいるものなのだろうか。
いてもいいものなのだろうか。
飛び去った後、数分間、目を丸くして立ち尽くした。
幽霊を見たって、こんなに驚いた顔にはならない。

帰宅してネットで調べた。
どうも、ヒメクロホウジャクというスズメガの一種だった気がする。
ここの写真ととてもよく似ていた。止まると完全に蛾なんだけどねえ。
花は、多分、アベリア。
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2015/10/23  23:35 | 投稿者: 時鳥

既存プログラムの設計変更が発生。仕様書は修正済み。
そんな連絡を受け、当該ファイルを確認する。
何度も変更されているので、あちこちに朱や緑やコメントが入っている。
修正が入るたびに違う色にしようと試みてはいるものの、
読む側からすると色だけでは、どれが古くてどれが新しいかわからない。
落書きみたいに、昔の駅の伝言板みたいに古いのはかすれたり、
あるいは万年筆の筆跡みたいに、古いのは変色してくれたら
いつ頃書いたかの手がかりになるんだけど。
まあ、最近はバージョン管理ツールというものがあるから、
それで管理するほうが、より正解に近いんだろうけど。
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2015/10/20  23:00 | 投稿者: 時鳥

スーパーで寿司を買ってくる。
パッケージには、「和風助六寿司」とあった。
売場を探したが、残念ながら、和風じゃない助六寿司は見つからなかった。
助六も寿司も、明確に日本を指し示している。
それなのにわざわざ「和風」をつけたってことは、和風以外のものとの差別化を狙ったのかと思ったんだけど。

歌舞伎の花川戸助六は、見た目的にはヘビメタの人と大差ない。
だから、あの人を洋風にしてもあんまり違和感はないだろう。
同様に、京劇の人とも大差ないから、中華風も問題ない。
アフリカの呪術師のメイクっぽくもあるから、アフリカも大丈夫。
ある意味、世界のどこに行っても通用する人で、演目かもしれない。
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2015/10/19  23:08 | 投稿者: 時鳥

エアコンが故障する、と言う。
電子レンジも電話も給湯器も蛇口も故障する。
自転車、三輪車、電車も故障するし、エレベーターも故障する。
でも、家は故障しないし、靴も花瓶も故障しない。
ミキサーやファスナーは故障するが、庖丁やブラウスは故障しない。

機械が壊れて、正しく動作しないことを「故障する」と言う。
ある程度の複雑な仕組みを持っていれば要件は満たすので、電気や動力は使っても使わなくてもいい。
自転車でも、トラックにひかれてぐしゃぐしゃになったものは「故障」とは言わない。
見た目は動きそうなのに、動かないってことがポイントなんだと思う。
「壊れた」という言葉が表現する範囲の、片隅を占めるのが「故障」だ。

生き物は故障しない。
蛙も楓も蟷螂も、躑躅も羊も執事も故障しない。
生き物で故障するのなんて、スポーツ選手くらいのものだ。
ということはもしかして、スポーツ選手は機械なのかしら。
機械並みに精密で繊細であることは確かだ。

物で言うと、霧吹きやピーラーあたりが故障するものと故障しないものの境目のような気がする。個人的には。
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2015/10/18  22:25 | 投稿者: 時鳥

アート動物園を観に、銀座三丁目のゆう画廊に足を運ぶ。
このグループ展には、去年も行った。
去年は八丁堀の文京アートで「下町アート動物園」だったけど、今年は「銀座アート動物園」。
展示スペースは手狭になってしまっていて、参加作家10人分の作品を展示するにはいささか狭い。
雑居ビルの5階と6階、それから両フロアをつなぐ階段が展示スペースとなっているが、やはり、ぎゅうぎゅうな印象がある。
目当てだった株田昌彦さんと塩澤宏信さんの作品は、どちらも6階にあった。
株田さんは油彩画で、巨大な船と化したクジラや、世界みたいに重い荷物を背負ったゾウなどを描く。
青空の下、蒸気を吐くクジラ船は雄大で晴れやかだし、塔よりも高い高い荷物を背負うゾウは疲れた様子を見せながらも凛然として、哀しい
塩澤さんは陶で、恐竜や昆虫を乗物化した作品を制作する作家さんだ。
以前見た個展では、恐竜をバイクにしたりクレーンにしたりしていたが、今回は空を飛ぶものばかりで来た。
ハチ、トンボ、バッタ、セミクジラ、マッコウクジラ、プテラノドン。あともうひとつクジラがいたが、何クジラだったかは忘れた。
機械の部品や補助輪の類まで、すべて陶なのだが、動物の身体の部分は有機物らしく、機械の部分はメタリックに仕上げられていて、本当に肉や金属を備えているかのようだ。
この二人が一部屋で見られるなんて、この先もあるかどうか。

たっぷり堪能した後、帰りに東京国際フォーラムのアートショップに立ち寄る。
ここは、丸山祐介さんの金属造形作品作品を常時販売している場所、つまり、いつでも丸山さんの作品が見られる場所なのだ。
前回来た時にはむき出しで棚に飾ってあった作品たちがガラスケースの中に納められているのを見て、ほっとする。
作品の多くは緑色の丸みを帯びた小箱か、白い雲の形をした小箱。
その上にちっちゃい家が乗っかっていて、庭先には郵便受けがあったり布団が干してあったりして、屋根にはアンテナなんかも立っている。
棚にあった時分は「さわらないでください」という札があったけれど、触ってみちゃう人が跡を絶たなかったらしく、アンテナがゆがんだり、箱の一部がはげたりしていて、毎回心を痛めていた。
雲の上の家というのは、見るだけで心が浮くものなのだ。そりゃ、サワレルなら触りたいけど。
塩澤さんは陶とは思えないリアルさが持ち味だったけれど、丸山さんは金属とは思えない柔らかさが持ち味だ。
どちらも、乗ったり住んだり、とにかく世界の中に入ってみたいと思わせる。

「2015秋 銀座アート動物園」
ゆう画廊(銀座)
期:10/11〜10/24 12時〜19時(無休)
最終日〜16時
※銀座3-8-17ホウユウビル5・6階

フォーラム・アート・ショップ(有楽町)
営業時間:10時〜20時(無休)
※千代田区丸の内3-5-1東京国際フォーラム1F
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2015/10/17  22:50 | 投稿者: 時鳥

給湯器が暴走していたので、ブレーカーを落としてみる。
音がぴたりと止まった。
室内の音も含めて。
テレビやオーディオプレイヤーはないし、ラジオもめったにつけない。
パソコンのスピーカーも消音にしているから、基本的にとても静かな部屋なのだけど、ブレーカーを落としてみると冷蔵庫が通奏低音のように音を出していたことに気付く。
冷蔵庫をいつまでも着るわけには行かないから、玄関周りのブレーカーだけとりあえず落としておく。
「とても静かだった」
震災の後を、誰かがそんな風に表現していたのを思い出す。
電気だけでもこんなに音がしなくなるのだ。
きっとおそろしく静かだったろう。不安になるほど。
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2015/10/15  22:45 | 投稿者: 時鳥

待っている間、向こうのビルの明かりを眺めてた。
下の階も上の階も蛍光灯の光だが、色合いが微妙に異なる。
違う会社が入っているのかな、と考えて、違う会社の証を他にも探そうとする。
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2015/10/14  22:53 | 投稿者: 時鳥

同じ体験をしても、それをトラブルと考える人と、トラブルと認識しない人とがいる。
私自身は後者で、トラブルってほどのことはなかったし、苦労なんて特にしていないと考える傾向がある。
問題が見つかったら、「今のうちに直しておけば、この先もう困らないね」と思うし、
給湯器が壊れたら「風呂に入れないから、銭湯を探してみよう」と思う。
別の方法で出来ることは別の方法を採ればいいし、どうしてもできないことは割り切ってあきらめる。
せっかくの機会、普段は選ばない方法をあえて選んでみるのも一興だ。
そういうわけで、同じ状況にいる人が困ったり難しい顔をしたりしているのを見て初めて、これは困ったことなのだと気付くことが時々ある。
困るにも才能がいるらしい。
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2015/10/13  23:05 | 投稿者: 時鳥

「お人好しの仙女」という映画を観た。
1935年に封切られたアメリカの映画だ。

ヒロインは孤児院で育った若い女性、ルイーザ。
街の映画館のオーナーが、案内係の女性を探しに施設にやってきたところから話は始まる。
オーナーの目に留まったルイーザは案内係として雇われ、その映画館に客としてやってきたホテルの給仕デトラフと知り合う。
デトラフはホテルのパーティーの招待状を彼女に渡し、もぐりこんだパーティーでルイーザは富豪のコンラッドと出会い、プロポーズされる。
ここまでは完全にシンデレラ・ストーリーなのだけど、このルイーザがシンデレラより、シンデレラに服やガラスの靴や馬車を与えた仙女になりたいと考える女の子だったものだから、話はややこしく、面白くなる。
ルイーザは、富豪に迫られて困る。困った挙句、自分は結婚していて、夫は弁護士だ、と言ってしまう。
富豪は、自分が好きになった女性が既婚者と知ってがっかりするが、せめてその夫に顧問弁護士の地位を与えたいと申し出る。
天真爛漫で善意の塊で、あんまり思慮深くないルイーザは、電話帳の弁護士のページを開き、目をつぶって「イーナ、ミーナ、モー」と唱える。
日本で言う、「どれにしようかな」に相当する呪文を唱えて、えい、と指差したところにいた人物を、自分の夫に仕立てて、富豪に名前と住所を伝える。
かくして、ルイーザと富豪と弁護士と給仕は、もつれにもつれたやり取りを交わし、勘違いや誤解で右往左往する。

ルイーザがシンデレラになりたい女の子だったら、話はとんとん拍子に進んだことだろう。
いきなり富豪にプロポーズされてゴールイン、なんて嘘臭くて、つまらないことこの上ないけれど、まあそれは別の話。
でも、シンデレラより仙女になりたい女の子だって、この世にはいるのだ。
与えられたり守られたりする側より、与えたり守ったりする側になりたい人、そのほうがずっと満足できる人。
女の子なら誰でもシンデレラに憧れるはず、と本気で考えている人は、80年後の現在でも大勢いる。
むしろそういう人の方が多数派で、仙女に憧れる女の子がいてもいい、と考える人の方が少数派かもしれない。
今でも浸透しきってはいない意見が、1930年代のハリウッド映画ではっきりと打ち出されている。
仙女になりたいのは、別に変なことでも異常なことでもない。素敵なことなのだ、と。
それは、かなり珍しいことのように思えた。
原作は、フェレンク・モルナールというハンガリーの作家の戯曲らしい。
思うんだけど、シンデレラの仙女は実は、シンデレラよりもあの結末に満足していたのじゃないだろうか。
仙女の行為が後押しとなって、結果に結びついたわけだし。

「お人好しの仙女」1935年
監督:ウィリアム・ワイラー
脚色:プレストン・スタージェス
原作:フェレンク・モルナール
ルイーザ:マーガレット・サラヴァン
スポラム(弁護士):ハーバート・マーシャル
コンラッド(富豪):フランク・モーガン
デトラフ(給仕):レジナルド・オーウェン
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2015/10/12  21:26 | 投稿者: 時鳥

コンビニで、「ごはんですよ」のおにぎりを見かけたことがある。
外側に海苔が巻いてあったかどうかは忘れた。
巻いてあったとしたら、外側と中心の両方が海苔で充たされたおにぎりとなる。
海苔弁を丸めたと考えればいいのだろうか。

おにぎりや海苔巻きには、当たり前のように具が入っているけれど、温かいご飯に海苔をのせたり、海苔弁があったりするのだから、本当は海苔だけあればごはんは食べられるんだと思う。
たまには具なしの海苔巻きも、面白いかもしれない。
そんな話で思い出したけれど、子供の頃、手巻き寿司の酢飯が好きで、できればそれだけを食べたいと思っていた。
その頃に寿司飯の海苔巻きがあったら、きっと大喜びしていただろうに。
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