2016/2/29  23:25 | 投稿者: 時鳥

「組抗争に発展か!?」というニュースの見出しが一瞬、「組体操に発展か!?」に見えた。
組体操に発展するもの。とな。
取っ組み合い、馬跳び、相撲、おしくらまんじゅう、かごめかごめ、花いちもんめ。
数人の子供が道具なしで遊ぶ遊びで、逃げたり走ったりしない全身運動なら大抵、組体操に発展可能な気がする。
同じ理由で、柔軟体操や騎馬戦も組体操に発展しうると思う。
3

2016/2/27  22:26 | 投稿者: 時鳥

メジロは英語でもwhite-eyeだそうだ。

辞典の記述がふと目に留まって、知った。
そこはイギリスでも日本でも発想が同じらしい。

しかしよく考えると、あれは目そのものではなく、目の周りが白いのである。
頬まで白ければ「ホオジロ」、頭まで青ければ「ズアオ」だったことだろう。

人間でも、目玉そのものではなく、目の周辺に対する化粧が「アイメイク」と呼ばれる。
目の範囲は人間の場合、上は上まぶたの際から眉毛まで、下は下まぶたの際から眼窩の周りの骨に行き着くまでとされている。
学術的な用語ではなく、現代日本の日常生活の感覚として、そのあたりだ。
眼窩の内側が目だと言ってもいい。
目と呼ぶことが可能な範囲を眼球の一部と見立てることによって、人間は大きな目を演出している。
線を引いたり、まつげを足したり、あらゆる目の錯覚をフル活用して。

鳥や哺乳類のほとんどは、眼窩の内側が目と考えて、差し支えない気がする。
爬虫類や両生類では眼窩がないのもいるみたいだし、無脊椎動物になると骨がそもそもないから眼窩もない。
それでも、目か、人間には目のように見える器官がある付近が何となく「目」と呼ばれるんだろうけど。

2

2016/2/26  23:55 | 投稿者: 時鳥

『ワーズワード』という、カナダの絵入り図鑑を眺めていた。
裁縫道具をまとめたページに、磁石の絵が載っているのに気付く。
小学生の頃に持っていたようなU字形の磁石で、赤と銀に塗分けられている。
磁石を装備している裁縫箱って私は見たことがないけれど、いいアイデアだと思う。
じゅうたんに潜りこんだ針だろうが、ワイヤーのきれっぱしだろうが見つけられそうだ。
磁石でできたドライバーに迫る便利さ。
3

2016/2/25  23:18 | 投稿者: 時鳥

人間ドックに行ってきた。
身長体重、視力、血圧、採血、腹部超音波、眼底眼圧、聴力、エックス線、肺活量、心電図。
それぞれの小部屋にそれぞれの係が待機していて、検査着の受診者が出たり入ったりする。
毎年のように病院を変えているけれど、どこに行っても似た印象の人が担当している係というものが、確かにある。
肺活量検査の人はいつでもどこでも、体育の先生みたいに元気でテンションが高い。
患者に勢いよく息を吹き込ませないと検査にならないから、患者をのせる話術として、技術として、あのテンションなのかもしれない。
あれは検査用の人格で、普段はもっと静かな人の可能性はある。
採血の担当に配置換えになったら、うんと物静かになるかもしれない。
3

2016/2/23  22:22 | 投稿者: 時鳥

子供の大きさと荷物の大きさって、反比例するなあ。
日曜日のショッピングモールを歩きながら、そんなことを思う。
体そのものの大きさではなく、所持品、付属品まで含めて体の大きさと考えるなら、子供と大人の大きさの差は存外小さいものかもしれない。
男性と女性なら、女性の方が荷物が多い傾向がある。
この考え方だとひょっとしたら、平均的に女性の方が体が大きいことになるかもしれない。
2

2016/2/22  22:22 | 投稿者: 時鳥

「大使館」という文字が一瞬、「犬使館」に見えた。
犬の使いのいる館。

指の爪をぱちぱちと切る。
ごみ箱に遣って、爪切りを片付ける。

・・・神社?狛犬?
あれ、大使館なの、もしや。
2

2016/2/21  23:10 | 投稿者: 時鳥

クリアファイルは床に置いてはいけない、ということを学習した。
バナナの皮の千倍くらいの破壊力がある。

誰もが歳時記を持っているわけではない、ということに気付いた。
本屋に行っても、なかなか見つからない。
国語辞典や英和辞典や英熟語辞典や四字熟語辞典なんかはあるのに。
私は高校生の頃に自分のお小遣いで買ったけれど、考えてみれば、歳時記を欲しがる高校生って少数派のような気がする。
俳句を作る気はなかったけど、季語を眺めるのは好きだったから、自分のが欲しかったのだ。

持っている人は当たり前に持っていて、持っていない人は当たり前に持っていないものって、歳時記のほかにもいろいろある。
すぐに思いつくものだと、軽石とか、柔軟剤とか、はたきとか。
必要な人には必要なんだけど、そうでない人にはこれらを部屋に置くって発想がそもそもない。
2

2016/2/20  23:35 | 投稿者: 時鳥

生物事典をめくっていた。
「高校生物の教科書や入試に頻出する項目を網羅」しているそうで、黄熱病もハリモグラも剪定鋏も載っている。
その事典に、「お花畑」という項目があった。
高原植物が多数咲き乱れている群落だそうだ。
花畑はどこにあってもいいけど、お花畑は高原にしかあってはいけないらしい。

「生育期間が短く開花期が多くの種類で接近してい」るという説明を読んで、気付く。
そうか、厳しい環境だからお花畑になるのか。
いつでも咲けるんなら、分散して咲いたほうがお互いの邪魔にならないものね。
人間にはただ美しく見えるけれど、あれは植物達にとっては熾烈な戦場なのだ。
能天気な人をけなして「頭の中がお花畑」だなんて言うけれど、植物側からすればこれほどふさわしくない言い回しもないことだろう。
3

2016/2/18  23:24 | 投稿者: 時鳥

人間ドックが近いので、胃腸の調整作業にかかった。
朝食前にバナナ、朝食に大根サラダ、夜に煮込んだ白菜とヨーグルトを食べるような生活を一週間ばかり続けた。
その間、周囲がばたばたとインフルエンザに倒れていく。
お通じのための食生活だったんだけど、ひょっとしてインフルエンザにもかかりにくい食生活だったのだろうか。
人間ドックが終わるまで、インフルエンザなんざにかかるわけには行かないと思っていたから、気力もあったかもしれない。
人間ドックというのは、年度内に受診しなければ管理部門から怒られるし、3週間以上前に予約しなければならないし、2月3月は同じ考えの人が多いから予約が取りにくいし。なので、この機会を逃すわけには行かなかったのだ。
今年も無事完了。
今回は、当日の窓口でバリウム検査をキャンセルできたので、バリウム便に悩まされることもない。
出るの出ないの、流れるの流れないので騒がなくていいのだ。
枕を高くして眠れる。
2

2016/2/15  23:21 | 投稿者: 時鳥

中ザワヒデキさんの個展で「ソースと実行」という作品を見た。
HTMLのソースが額に入れられて、展示されている。
ざっと目で追って、ブラウザで実行された時の表示を頭の中で思い描く。
それが出来ること、それしか出来ないことに気付く。

ソースと実行結果は、まったく見た目が違う。
同じ大きさの文字が整然と並んでいるソースと、様々な大きさの文字で構成され、余白やテーブルやリストがふんだんに含まれる実行結果は、図像としては異なっている。
HTMLを知らないと呪文にしか見えないのだが、一度読めるようになってしまうと、今度は以前の、呪文に見えていた時代の見え方がわからなくなってしまう。
外国語のアナウンスは聞き流せるけれど、母国語のアナウンスはどうしても耳に入って、意味を取ってしまうようなものだ。
物事が意味をまとって、離れなくなってしまうのだ。

自然言語でもプログラミング言語でも、その他の分野、例えば機械だとか料理だとか音楽だとかでも同じことが言える。
門外漢は、その分野について知らない人は、目の前にあってもそのものの意味を取ることが出来ない。
意味が取れない人は、意味を取ることが出来ない。当たり前のことだ。
ある程度知っている人は、目の前にあるものの意味が取れる。そして、意味を取らないでいることが逆に出来ない。
意味が取れる人は、意味を取らないことが出来ないのだ。
分からない振りはできるけれど、それはあくまで振りであって、本当は頭のどこかで分かっていて、意味を取っている。
ピアノが弾ける人は、初めてピアノに触れる人のように鍵盤を叩くことがもう出来なくなっているし、料理の出来る人は料理初心者の凄い失敗が予測できない。
出来ると、出来ないが出来なくなる。下手すると、本当に、想像すらできなくなるのだ。
だから何かと言われると困るんだけど、まあ、そんなことに気付いたのだ。ただそれだけ。
何かが出来なくて困ることは多いだろうが、出来なくなれないのも、きっと場合によっては同じくらい困る。
2

2016/2/14  23:19 | 投稿者: 時鳥

昨夜から嵐のような風と雨であまり眠れないほどだったのに、昼を境に晴れて、季節外れの暖かさになった。ほとんど暑いと言っていい。
カットソーの上にカーディガンを一枚羽織った薄着で出かけて、それで夜まで寒くない。
歩く際にも遠慮なく外を歩けて、逆に普段、少しでも寒くないルートを通ろうとどれだけ努力しているのかに気付かされる結果となった。
この温度は生きるには快適なんだけど、三寒四温の一環だと思うとリバウンドが怖い。
イソップ物語の「北風と太陽」では、日光を浴びた旅人が外套を脱ぎ捨てるけど、忘れてはいけない、太陽のすぐ脇に北風がいることを。
あれ、北風と太陽の賭けだから、賭けが終わったら普通の気候が戻ってくるはずなのだ。
油断して外套を捨てたりしちゃ駄目なんだよ、旅人さん。
1

2016/2/13  22:54 | 投稿者: 時鳥

浅蜊の汁が出た。
ひとつひとつ、貝の模様が違う。
染め模様ではなく、織り模様。少ない色数で織られた絣のような色柄。
テキスタイルの案に困ったら、とりあえず浅蜊を真似すればいいんじゃないかしら。
そんなことを思う。
1

2016/2/11  22:40 | 投稿者: 時鳥

古い犯罪映画を見ていた。
ラストの銃撃戦は、工場が舞台。
弾は犯人に一向に当たらないし、変なところに当たってパイプから水が噴き出すし、そうかと思えば犯人が慌てて撃った一発で、味方の刑事の拳銃が都合よく手から弾き飛ばされたりする。
そもそも警官って、何のために銃を持ってるんだっけ。
そんな身も蓋もない疑問が頭に浮かぶ。
逃げる相手に撃ったら、相手はさらに逃げると思うんだけど。私なら、後ろから弾が飛んできたらそれまで以上の全速力で逃げる。
威嚇だとしても、警官が銃を持っていることくらい誰でも知っているから、警官に銃を撃たれたぐらいでわざわざ止まる人っていないと思う。それくらいなら最初っから逃げてない。
しかも、犯人に当たらないで工場に損害を与えてばかりいる。
実弾よりはペイント弾とか、能の土蜘蛛に出てくる蜘蛛の糸とかを投げたほうが、よっぽど目印になって有益だと思う。

本気で犯人に当てるつもりなら、散弾銃とかのもっと当たりやすい銃器を持ってくるはずだし、精度を求めるならライフルなどになるはずだ。
そこそこの威力で持ち運びしやすいってことが拳銃の特長だから、威嚇や護身が主な役割と想像する。
つまり、犯人が銃器を持っている可能性を考慮して、警官も拳銃を持っているのかもしれない。
そうなると、抑止力としての効果を狙っていることになるけれど、別に抑止力は拳銃でなくても発動する。
相手の銃器から身を守るのに、拳銃はあまり役に立たない。攻撃用であって、防御用の武器ではないのだ。
犯人は、相手が拳銃を持っていることを知っている。撃ったら撃ち返される可能性が高いと考える。相手から打たれる可能性があると考える。だから、自分からは撃たないかもしれない。
でもそれは、ある程度、殺傷能力の高い武器ならなんでも成立する方程式で、拳銃でなくても、吹き矢でもパチンコ玉でも砂利でも構わないのだ。
どうせなら、吹き矢と蜘蛛の糸を携行したほうがいいんじゃないかしら。投網とパチンコでもいいけど、そっちのほうが軽いし、仕損じても周りに与える被害が少なくて済む。
守るための道具として拳銃を持つって、どうも効率がよくないようだ。
銃器が好きな人が後付けで理屈をくっつけたみたいに、ちょっと見えるんだけど、妄想だろうか。
2

2016/2/9  23:24 | 投稿者: 時鳥

洗濯物をたたむ。
乾ききったタオルが、ベッドの上でしゃちほこのように反り返って立っている。
布巾やタオルって、しばしば鯱張りませんか、奥さん。
柔軟剤を使えばそんなことないのかもしれないけど。
1

2016/2/8  23:30 | 投稿者: 時鳥

何日か前にリチャード三世のことを書いた。
その際、「ヨーク家にとっては我が世の春」とさらっと書いてしまったけれど、実はこの部分、シェイクスピアの戯曲では夏に例えられている。
イングランドでは一番美しい季節、繁栄の盛りの季節は夏なのだ。
日本では事情が違っていて、夏は耐え難きを耐え忍び難きを忍び、どうにかしてやり過ごす季節で、美しく過ごしやすいのは春か秋。秋はだんだん寒くなり、下り坂の感じがあるから、物事の盛りの季節といえば春以外、ありえないのだ。
風土が違うと、季節に対する感覚も全く違う一例。

もう一例、思い出したのは、学生時代に読んだ千夜一夜物語。
美男美女が次々に登場するが、美しさを例えるときに使うのは月であって、太陽は決して使わない。
太陽は怖れる対象で、にこにこのお日様マークなんてものは発想の中にないのだ。
太陽や月は地球上どこでも見られるものだし、四季のある国も世界にはたくさんあるけれど、同じものでも風土や文化によって抱く印象は随分異なる。
同じものでも、同じに見えているとは限らない。
それは、遠い異国の人との間でだけ起こることではない。
本当にすぐそば、隣にいる誰かとだって、日常的に起こりうること。
実際、起きているけれど、ほとんどの場合は気付かないでやり過ごしていること。
3




AutoPage最新お知らせ