2016/4/30  22:55 | 投稿者: 時鳥

デパートの屋上庭園をうろつく。
ミツバチが葉っぱの上を歩き回っているのを、じっと観察する。
何をしているときも、お尻がひっきりなしにひょこひょこ動いている。
ハムスターのお尻ばかりの写真集が出版されていたけど、ミツバチのお尻だって負けず劣らず可愛いと思う。
胸元のふわふわや、吊り気味の目尻ももちろん可愛いけど。
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2016/4/30  10:41 | 投稿者: 時鳥

電車の窓からひょいと見下ろすと、駐車場で猫が寝ていた。
一瞬、人間かと思ってぎょっとしたが、振り返れば猫だった。
横倒しの姿がカタカナのコの字を作っている。
頭部分がちょっと出ているけど。
ひょっとしたら君、ネの字も作れるんじゃないか?

それはそうと、そんなとこ寝てるとひかれちゃうよ。
気をつけてね。
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2016/4/27  22:40 | 投稿者: 時鳥

毎朝、起きてすぐに紅茶をいれる。
今は、CTC製法のアッサムブレンドを飲んでいる。
CTC製法は、確か、Cut,Tear,Curlの頭文字で、紅茶を切って、裂いて、丸めることからこの名前がついている。
普通の紅茶はみじん切り状、いい紅茶は椿の葉っぱをねじった形だが、CTC製法では1mmくらいの粒状の紅茶になる。
その形状は丸薬に似ている。そして恐れずに言ってしまうのなら・・・小動物の糞にも似ている。
茶殻を流しにあけて、ちょっと感心する。
この紅茶が初めて市場に出た時に買った人は、よくこの形状で買おうと思ったものだ。
それまでの常識だと、こんなの紅茶の形状じゃなかったはずだが。
自分で飲むためでなく、人に飲ませるために買ったのかもしれない。
客には見えない場所で紅茶を入れて出すなら、多少見た目が変でも味さえまともで品質に信頼が置ければ問題はない。
売買の時に、ちゃんと試飲をして、納得したのだろう。
考えてみると、茶というのは他のどんな飲み物にも増して様々な形状があるから、丸薬っぽいくらいでは敬遠されなかった可能性もある。
コーヒーももっと様々な形状を試してみればいいのに。
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2016/4/25  21:07 | 投稿者: 時鳥

帰宅するや否や、靴下を脱いで裸足になる。
フローリングをぺたぺたと歩くのが心地良い季節となった。
真夏になると靴下が嫌になるが、今はまだそうでもない。
靴下でも過ごせるけれど、裸足の方がより気持ちがいいという程度だ。
裸足とフローリングが良いお友達の距離感で接している。
これから夏に向かうにつれて蜜月となり、秋に向かうにつれて食い違いが生じ、冬には断絶する。
そういうサイクルで痴話喧嘩は繰り返される。
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2016/4/24  22:00 | 投稿者: 時鳥

同じ靴下を大量に持っていて、平日でも休日でも、ほとんどその靴下しか履かない。
まとめ買いしてストックしておき、洗濯の都合で履くものがなくなったら一足また一足とおろす。
片方に穴が空いても、残った片方はそのうち同じ境遇の片割れとめぐり合える。
ストックが尽きかけたら、またまとめ買いする。

洗濯物を取り込んで、靴下を合わせていた。
どれも同じ柄だから、どれとどれを合わせてもいいのだけど、口ゴムの伸び具合を見比べて似たもの同士をセットにする。
2足しかなければあっちの組とこっちの組を区別したかどうか怪しいのに、たくさんあるとなんだか分類しなければならないような気になってくる。
一緒くたに扱える限界が、脳みそのどこかにあって、それを超えるとアラームが鳴るのかもしれない。
同じものばかりでも、小さな差異は見つかる。
人間は区別したがる生き物らしい。
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2016/4/23  23:26 | 投稿者: 時鳥

「芝居」は、芝に居る、と書くことに気づいた。
気づいた瞬間、野外劇場の空間の広がりが肌近く押し寄せてくる。

国語辞典で由来を調べた。
かつての猿楽や田楽では、舞台と貴人の席の間には芝生があった。
そこは大衆用の見物席となり、「芝居」と呼ばれた。
後に歌舞伎が流行し専用の劇場が出来た時も、桟敷に対して大衆用の客席を「芝居」と呼んだ。
その後、舞台上の演技そのものが「芝居」になった。
「芝居に行く」は、最初、客席の種類を示していたが、行く目的といったら、舞台上のあれこれを見るためなのだった。
「芝居」が客席から舞台の上へと移動し、目的地ではなく、目的地で目的とする行為が「芝居」になった。
言葉はしばしば、面白いずれ方をする。
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2016/4/20  22:00 | 投稿者: 時鳥

16世紀後半にメッカで作られた天球儀を見た。
中世のイスラム世界は、ギリシアやローマやインドの文化遺産を取り込んで学問を大いに発達させた。
天文学でも、古代ギリシアの学問を継承していて、この天球儀でも表面にはギリシア神話に由来する星座がぎっしりと書き込まれている。
オリオンとかサソリとかアンドロメダとかいるのだけど、その筆致は「あれ?」と思うほど拙い。
英雄なのに全然かっこよくない。
美的感性が現代日本人とは異なっていたのか、美術面は遅れていたのか。
しばし考えて、浮かんだのが「他人事」というフレーズだった。
イスラム文化圏の天文学者にとっては、天球儀の表面にかかれる人物像がかっこよかろうが、線と丸で出来た図みたいなものであろうが、どうでもよかったのかもしれない。
彼らが研究しているのは、神話ではなく星なのだ。
自分のところの神話でもなければ、自分の研究対象でもないのだから、記号っぽくなったって無理はない。
「星の研究になぜ星座や神話が必要なのか?」と真顔で問われたら、少なくとも私は返す言葉がない。
ストーリー仕立ての方がわかりやすいけれど、余計なストーリーを付けることで却って本質を見えにくくしている部分はある。
星は星として、純粋に研究する姿勢は正論だし、それはそれでひとつの正解だ。
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2016/4/19  7:42 | 投稿者: 時鳥

ゴールデンウィークの催し物のご紹介。

「向源 in 日本橋」ニッポンを遊べ。
期間:4/29〜5/5
会場:
4/29 神田神社(神田明神)
4/30〜5/4 日本橋 各所
5/5 芝大門 浄土宗大本山増上寺

毎年、ゴールデンウィークに開かれる寺社フェス。
6回目の今年は、日本橋がメイン。
http://kohgen.org/event/

写経、写佛、座禅などの仏教系の体験、
能楽、尺八、篆刻、書道、囲碁、いけばな、紙漉き、つまみ細工、和綴じ、紋切りなどの和ものの体験、
「仏教×神道×修験道トークショー」、「いろんな宗派で般若心経」などのトークショー、
そして、天台宗の声明と日蓮宗の木剣加持と真言宗の太鼓がミックスされた声明公演
ほか、多岐にわたるあれやこれやが繰り広げられる。

念仏と礼拝とか、公案禅とかをいきなり1回だけ体験するのって、なかなかに機会が少ない気がする。
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2016/4/18  22:33 | 投稿者: 時鳥

『俳句の作りよう』という本を読んでいた。
高浜虚子先生が俳句を一からやさしく教えてくれる本だ。
ある章で、先生は読者に宿題を出した。

「蟻の道・・・・・・・つづきけん」
中の句の7音を考えよ、と言う。

宿題の締め切りはとっくに過ぎているのだが、しばし考える。
ひねり出した。

「蟻の道ここにサンダルあったらしい」

下五無視。季語なし。
先生に提出は出来ない句だけど、いかにも自分らしい。
眉根を寄せて庭にしゃがみこんだ過去があったような気さえしてくる。

正解は、小林一茶の「蟻の道雲の峯よりつづきけん」だった。
格調の落差があまりに激しい。
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2016/4/17  22:38 | 投稿者: 時鳥

フランス国立図書館所蔵の、古い天球儀を見る。
地球儀のような球体に、星座が所狭しと描かれている。
星座は、いつも見上げる夜空のものとは左右が逆転している。
当時の人は、自分の頭の上に「天球」と言うものがあって、そこに星座が乗っかって光っていると考えていたのだろう。
ということは、これは天球のさらに外側から見た、神の視点なのだろう。
天文学者が論文を読むときに、インデックス代わりに天球儀を使うことがあったらしいけれど、左右が反転していても混乱はしないのだろうか。
実際に目で見て記憶している位置関係をひっくり返さなきゃならないって手間だと思うんだけど。
天球儀が星の配置を確認するためのものなら、球の内側に星を描いて、中から見るようにしたほうがわかりやすいはずだが、星の動きを考えるためのものなら、「回転できる球体」ということにメリットがあるから、左右反転のわずらわしさは我慢してでも外側に描くのがいいことになる。
そう考えると多分、動きを考えるための道具だったんだろう。天球儀というのは。
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2016/4/15  23:44 | 投稿者: 時鳥

ドラえもんに出てきた、コエカタマリンという秘密道具のことを不意に思い出す。
発した言葉が物理的な固形物になる装置だけど、今なら、3Dプリンターですぐにでも実現できそうだ。
実現は可能。ただし、役に立つ利用法は思いつけない。
ドラえもんのいた23世紀では、誰が何のために実用化したんだろう。
そういうこと考えちゃいかんのかもしれないが。
もしもボックスは、CGやバーチャルリアリティ関連技術を駆使したシミュレーションとすれば、これもほとんど現実化している。
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2016/4/13  23:41 | 投稿者: 時鳥

シュプレヒコール、という言葉がドイツ語だということに、不意に気付く。
言われてみれば、ドイツっぽい。
音もそうだけど、言葉の表す意味内容が何となくドイツ。
他の言語でも同様の意味の言葉はあるんだろうけど、ドイツ語の硬さがいかにもふさわしく感じられる。後知恵かもしれないけれど。
あれを「シュプレヒコール」と読んでいる言語が、ドイツ語と日本語以外でも、ほかにあるんじゃないだろうか。
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2016/4/12  21:37 | 投稿者: 時鳥

挟まりそうになったら、自発的に逃げてくれる電気コードがあればいいのに。
と、引き出しを閉めながら思う。
どんなのだろ。それ。
表面がぬるぬるした、鰻か泥鰌みたいなのだろうか。
引き出しには挟まらないかもしれないが、踏んだら滑って転びそうだな。

ついでにだけど。
名札のストラップとかフードの紐とかリストバンドとかの首まわりや手首に付ける紐の類は、ある程度の力がかかったら切れるように、切れやすいようにできていないといけないと思う。
どれだけ規制をかけても、注意していても、事故は起きるものなのだ。
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2016/4/10  23:25 | 投稿者: 時鳥

「息子が母にくってかかった。“俺のように野蛮でガサツになれ”」
と英語で言うと、
「サントリーの生ビールください」
と日本語で言っているように聞こえる。
というCMを聞いた。
日本語でそう言ったら、英語でああ聞こえるのだろうか。
というのが、本日の疑問。

英語圏でバスを降りたい時は、「揚げ豆腐」と叫ぶとすぐに降りられると聞いたことがある。
日本のスーパーや居酒屋で"I get off"と叫んだら、揚げ豆腐が出てくる可能性はまあまあ高い。
でも、日本のバスで同じ言葉を叫んでも、揚げ豆腐だと思われることはまずないだろう。
要するに、聞こえた音とその場の文脈から総合的に判断しているのだ。
「サントリーの生」も、場の文脈に沿っていれば英語の「息子が母にくってかかった」に聞こえることもあろう。
問題は、そんな文章を受け入れるような状況が、現実にはほとんど存在しないってこと。
ほとんどの人は一生口にしない文章じゃなかろうか、これ。
だから、「サントリーの生ビールください」は、英語圏であらぬ意味になることはないし、スペイン語圏で「犀のサンドロ」になることもない。
でも、「サントリー」が中国語圏で「山の上」に聞こえる可能性くらいは依然として遺されている。
割と普通の言葉だから。そこは。

全体を聞きたい方はこちら。
ザ・モルツ Beer-lingual 1分25秒
ラジオ版テキスト

小特集:CM
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2016/4/9  23:57 | 投稿者: 時鳥

川沿いの遊歩道を歩く。
良い天気で、桜が風に乗ってほろほろと散る。
本当に綺麗なのだけど、魅入られるほど美しいのだけど、ついつい足を止めて見上げていても、好きという感情は全然湧いてこなくて、やや困惑する。
それとこれとは話が別らしい。
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