2016/9/29  23:21 | 投稿者: 時鳥

ICAF2016、その3。

「I CAN SEE YOU」
こういう作品を見ると、アニメーションは動きを表現するものなのだと改めて思う。
若い男性がたった一人でアーチェリーの室内練習場で練習をしていると、背後の暗闇から突然、矢が飛んでくる。
男性はすぐに射返すが、こちらから相手は見えず、相手からは自分が見えている。
練習場の眩い照明の下で、姿の見えない敵との闘いが始まる。

人も物も背景も無彩色で構成され、血の赤とパイロットランプの緑が数少ない色として差し込まれる。
色が少ない分、動きが際立つ。
人物の動きもカメラワークもぴたっと決まっていて、見ていて快い。
緩みない緊張感が全編を支配していて、特に暗闇から矢が飛んできた後は最後まで一瞬たりとも目が離せないし、注意を逸らすこともできない。
端正でストイックで、完成度が非常に高い。
余計なものを全部そぎ落とし、精髄だけを抽出したような8分半の映像。

「I CAN SEE YOU」顧傑 東京造形大学
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2016/9/27  23:00 | 投稿者: 時鳥

ICAFで見た作品の話。

「WILD WILD ARCTIC」
ベラルーシからの留学生が作った、北極圏を舞台にした作品。
シロクマとキツネとウサギとネズミっぽい動物が仲良く暮らす北極某所。
人っ子一人いない平和なその地に、ある日、欲深な人間たちがやってきて、油田開発だかなんだかをおっ始める。
コンテナを停止させ人間たちを追い払うため、動物たちは立ち上がり、壮大だけどけっこうザルな計画を実行するのであった。

ストーリーも面白いけれど、視覚的にも面白かった。
温かみとクールさが共存しているカーテンの色柄、青緑と朱と山吹色のストライプをくすませたような、自己主張強めの居間の壁紙などがいちいち楽しい。
雪の丘がいくつも連なる屋外の場面を見た時、はっとした。
たとえば、緑の山が連なる風景を描く時、日本人の大人なら全部の山を同じ緑色に塗ることはあまりない。普通は、別の山はちょっとだけ違う色で塗るだろう。
でもそれが雪の降り積もった山だったら、少なくとも私は、全部を同じ白で塗って、ちっとも違和感を覚えない。
北極の氷山も、きっと全部同じ色で塗ってしまうだろう。
しかし、氷と雪の国に生きる人にとっては、氷の丘は各々ちょっとずつ違う色に見えているらしい。
青の強い氷、不純物の多そうな氷、澄んだ氷、日向の氷、日陰の氷、誰かが踏み固めた丘、誰も通っていない丘。
言われてみれば当たり前のことなのだけど、思ってもみなかった。

「WILD WILD ARCTIC」ダリア・ポドペド 2016年
京都精華大学
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2016/9/26  22:51 | 投稿者: 時鳥

週末、「ICAF2016」という学生アニメーションのフェスティバルに足を運ぶ。
講堂では、参加28校の推薦作品を集めた各校選抜プログラムを上映していた。
入り口で観客賞の投票用紙が渡された。
28本の中から1本選べという。
悩みぬいた挙句に、「puddle」という立体アニメーションの作品を選ぶ。
犬の散歩をさせていた初老の男性が水たまりをのぞき込むと思いがけない世界が広がっていて、さらに深く潜っていくと細胞にまでたどり着いて・・・というような話。
技術的なことはわからないし、専門家がどう評価するかもわからない。
でも少なくともこの作品には、世界に対する驚きがある。
そこらにある当たり前のものの中に潜む不思議をひとつひとつ見つけて、見入っている感じがあって、そこに惹かれて選んだのだと思う。多分。
スクリーンの中の世界は美しくて不思議で、何がどうしてこうなっているのか一度観ただけではさっぱりわからない。
もう何回か見たい気もするけれど、あまり見すぎて細かく分析すると、それはそれで輝きがなくなっちゃうような気もする。

「puddle」クレイ班(上原三千代、植村真史、恒益愛衣) 2016年
アート・アニメーションの小さな学校
3

2016/9/23  23:51 | 投稿者: 時鳥

映画「シェルブールの雨傘」の祖先について考える。
台詞が全部歌になっていて、旋律にのって話が進んでいく映画だけど、同時代にアメリカで人気を博していたミュージカル映画とは感触が決定的に違う。
あの感触は何から来ているのか。

考え始めてすぐ、プーランクの「人間の声」を思い出した。
プーランクが作曲したモノ・オペラで、1958年にパリで初演された。
恋人に捨てられそうになっている女性が、アパートに閉じこもって電話にすがり付き、約40分間ひとりで歌い続ける。
独立した歌はなく、すべてが一続きになってうねり、終幕まで駆け抜ける。
「シェルブールの雨傘」が64年の公開だから、ほぼ同時代の作品だ。

それでは、と、「人間の声」が来たところを探り、その先をさらに掘ると、最終的にはどうも、ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」にたどり着くような気がする。
メーテルリンクの戯曲を原作にしたフランス語のオペラで、初演は1902年。
これも全編が朗唱で構成されていて、波のように寄せては引く音楽が独特の艶を放っている。

ちゃんと調べたわけでもない、あくまでも印象だけど、「シェルブールの雨傘」の先祖はひょっとしたら「ペレアスとメリザンド」なのかもしれない。
ヒロインは少々メリザンドと重なる部分があるし、こじつければ、泉のほとりで見出されたメリザンドと傘屋の娘ジュヌヴィエーヴにはどちらも水のイメージがある。
そういえば、ジュヌヴィエーヴは「ペレアスとメリザンド」にも登場する。
ペレアスの母親の名前だ。メリザンドの夫、ゴローの母親でもある。

まとまりがないけれど、思いつくままに書き出してみる。
今日はここまで。
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2016/9/22  23:38 | 投稿者: 時鳥

成田エクスプレスが目の前を通り過ぎていった。
ふと思った。
ひょっとしたら成田エクスプレスは、平日でも土日でも同じダイヤで動いているのではないだろうか。
調べてみると確かにその通りで、土日は数本余分の電車が走るだけで、それ以外は何曜日でも同じ時刻に電車が来るようになっていた。
余分の電車は、成田方面行きは朝、首都圏行きは夜に走る。
通勤通学に使われる電車は、平日と休日では乗客数も乗客の多い時間帯も違うから、ダイヤを変えないといけない。
でも、数時間前に海外から来た旅行客か、数時間後に海外に行く旅行客しか使わない電車は、何曜日でも乗客数がほとんど変わらない。
ならダイヤは変えないほうが、乗客にとってもわかりやすい。
海外から来て日本の鉄道事情を知らない人が、いきなり土日ダイヤとか言われてたら混乱するだけだろう。
いつも同じ時間に来ることが大事って電車も世の中にはある。
2

2016/9/20  23:37 | 投稿者: 時鳥

二進も三進も行かない、という言葉を耳にした瞬間、頭の中でゆるキャラが誕生する。
双子の男の子と女の子で、男の子がニッチくん、女の子がサッチちゃん。
実は彼らにはイッチという行方不明のお兄さんがいて、ふたりはお兄さんを探して旅をするのだけど、ふたりとも方向感覚が悪くていつも同じところをぐるぐる回っている。
変なところが几帳面で、マーブルチョコレートを色別に分類してみたり、干しぶどうやさくらんぼを食べる前に並べて数を数えたりする癖がある。

こういうのを現実逃避と言う。
ちなみに「二進も三進も行かない」とは、「2でも3でも割れない」ことを言う。
3

2016/9/18  22:27 | 投稿者: 時鳥

宇宙飛行士を対象に、宇宙生活についてのアンケートを実施した。
その中で、寝る前に服を着替えたいかどうかをたずねたところ、過半数が着替えたいと回答していた。

宇宙空間での寝間着がどういうものになるかはともかく、着替えないと生活のメリハリがなくなって、眠るモードに入りにくいというのは直感的にわかる。
人間の体内時計は朝日を浴びるとリセットされるというけれど、人間の表面的な意識の方は服を着替えるとリセットされるものなのかもしれない。
食べ物や光や運動やらではなく。
まあ、着の身着のまま寝落ちすることは日常生活ではあるけど、そういう邪道を除外した、原則の話。
2

2016/9/17  22:25 | 投稿者: 時鳥

「ザッツ・エンタテインメント」のエレノア・パウエルの出てくる場面を見ていた。
画面の中の彼女は、シルクハットに燕尾服で激しいタップダンスを踊っている。
最後には、連続倒立に近い振り回され方をする。

なのに、シルクハットは小揺るぎもしない。
見返してみると、タップダンスの間中、一度もシルクハットを脱いでいない。
ということは、多分、脱げないように固定してあるのだろう。

そういえば、フレッド・アステアもよくシルクハットで踊っているイメージがあるけど、あの人も固定しているのだろうか。
手元にある映像を探して見直してみると、意外なことに、帽子をかぶって踊っている場面は少ない。
歌や、ダンスの序盤ではかぶっていることもあるのだけど、大抵は本格的にタップを踏む前に脱いでいる。
他の人も同様で、キャップやハンチングのような帽子はかぶっていても、シルクハット類は滅多にかぶっていない。
やっぱりシルクハットでは踊りにくいらしい。
でも、「イースター・パレード」の「ステッピン・アウト・ウィズ・マイ・ベイビイ」というナンバーでは、カンカン帽みたいなつばのある浅い帽子をかぶったままで相当ハードなタップダンスを踊っていた。
最後に帽子を取っているから、固定しているわけでもない。
激しいタップダンスを踊ったからといって、必ずしも脱げたりずれたりするわけではないけど、念のため脱いでいるってことだろうか。
2

2016/9/13  23:19 | 投稿者: 時鳥

「ジャン・ルノワールの小劇場」という映画を観る。
もともとはテレビ用に制作されたそうで、4本の短編で構成されたオムニバス映画、各編の間につながりはなく、趣向も長さもとりどりだ。
「イヴトーの王様」は、その最後に位置する作品だ。
ジャン・ルノワールの最後の作品、ということになる。

南仏の村に住む陽気で富裕な老人、若く美しい妻、朴訥な獣医。
ああ、最後にこれを遺したのか。良い人生だなあ。
ほろ苦くも幸福な物語に、半泣きで微笑む。
生きていればうまく行かないことはそりゃああるけど、人生なんてそんなのばかりだけど、それでも生きてるって愛おしい。
失うものは年々増えて、荷物は年々重くなるけど、美しいものも楽しいこともあちこちにあって、悪くはないよ、と言っているみたいな作品。
なんとも洒脱な幕引き。映画の幕も、人生の幕も。

「ジャン・ルノワールの小劇場」1969年 ジャン・ルノワール(監督)
2

2016/9/11  23:45 | 投稿者: 時鳥

人が減ったり気候が良くなったりすると、電源タップの空きが増え、逆の状況だと空きが減る。
気候を気にしないで出かけたり、行動したり出来るようになるのだけど、なにしろそれが無意識にできるものだから、有難味を感じることは少ない。
不便になってやっと、これまで便利だったことに気付く。
0

2016/9/10  23:11 | 投稿者: 時鳥

シェイクスピアの「アントニーとクレオパトラ」を観る。
1981年にBBCがテレビ放映したもので、いくつかのシーンをカットしているにもかかわらず、3時間弱の長さに及んでいる。
シェイクスピアのほかの作品と比べて特に長大というわけではないけれど、面白くないのでことさら長く感じられる。
なんなの、このプライドばかり高くて、自分のことしか考えてなくて、気まぐれで癇癪もちのおばさんは。
女王クレオパトラの魅力に溺れる武将アントニーという設定だけど、こんな身勝手な中年女の何がいいのか、さっぱりわからない。
が、価値のない相手に恋して身を持ち崩す人間の悲劇を描きたかったのなら、これくらい仕様もない女の方がいいと言やあいい。
アントニー単独なら有能なのに、クレオパトラの影が差した途端、ぐだぐだになるので観ていて苛々する。人間関係の悪い化学変化、あるいは不幸な癒着の例。
とはいえ、アントニーとシーザーの闘いをメインに据えてしまうと、ほかの史劇作品と似たようなものになってしまって、それはそれでつまらないだろう。
観客を苛立たせるどうしようもなさこそが、この作品の見所なのかもしれない。
そうだとしても、もう一度見たいとは思えないけど。
1

2016/9/9  23:55 | 投稿者: 時鳥

鉱物標本のオパールたちを水に沈めると、急に生き生きとしだした。
目を覚ましたように、楽しげに、虹色に輝きはじめる。
本当に君たちは水が好きだなあ。
真珠は水中で生まれ育つけれど、水につけてもあまり嬉しそうな顔はしない。
ほかの石も、まあ、さっぱりしたような様子を見せることはあるが、オパールみたいに楽しそうではない。
水に触れた途端、こんなに表情を変えるのはオパールくらいだ。
まるで水を得た植物みたい。

今回気付いたのだけど、光源によって虹がきれいに浮かんだり、そうでもなくなったりする。
オパールを沈めた小鉢を手に、室内をあちこち歩き回る。
暖色系のLED電球や白熱灯ではあまり美しく見えない。
どうやら、蛍光灯の青白い光の下が一番きれいに見えるように思う。
観察したのがホワイトオパール系の、白地に青や紫の光が踊る医師だったからと言うのも理由としてある。
太陽光でも美しく見えるけれど、午後よりは朝の光の方がいいようだ。

そういえば、随分昔、母から譲り受けたオパールのペンダントがあったことを思い出す。
あれもこんな風になるのだろうか。
捜し出して水につけるが、どうも変化がない。
あちこちの光源で見比べてみるが、そちらでも目覚しい変化と言うものがない。
どこで見ても、水の中でも外でも、それなりに美しい。
そういう石を選んで宝石に仕立てているのだろう。
宝石を身に付ける人にとっては、蛍光灯の下ではきれいだけど、暖色系の照明の下では見栄えがしないなんて事があったら困るのだ。
どこでも同じ様に美しくないと、使い勝手が悪い。
しかし個人的には、そういう石は面白くないから、また引き出しの中にしまいこまれる。

かくして、鉱物標本だけが机の上に残った。
小鉢をくるくると回して覗き込み、傷の多い石に踊る気まぐれな光を探す。
新しい光が見つかるたび、ちょっと楽しい。
3

2016/9/8  7:35 | 投稿者: 時鳥

上野動物園の前を通りかかると、正門付近に工事中らしき囲いがめぐらされていた。
最近の囲いは絵や写真が印刷されていることが多い。
ここの囲いは、漢字で書いた動物の名前で埋め尽くされていた
子供が毛筆で書いたらしい。漢字の下に小さく、作者の名前と年齢が書かれている。
幼稚園から中学生、主に小学生の書いた字である。
バランスは崩れているし、決して上手ではないのだけど、自由で伸びやかで、なんとも魅力的だ。
自分の好きなあの動物を漢字にしました、という熱にあふれている。
象形文字って、この熱から生まれたんじゃないだろうか。
目にしているあれを、文字にしてつかまえたいという欲。
名づけるのも、そう。
2

2016/9/7  7:11 | 投稿者: 時鳥

昨日から始まった展示。

クリエイションギャラリーG8(新橋)
「158人の漱石百年後ノ吾輩、こゝろ、それから……」
期:9/6〜10/6 11時〜19時(日祝休み)無料
※銀座8-4-17 リクルートGINZA8ビル1F
http://rcc.recruit.co.jp/g8/exhibition/g8_exh_201609/g8_exh_201609.html

東京イラストレーターズ・ソサエティ(TIS)の会員158人が描く、夏目漱石。
事前に出品作家の名前を眺めて、誰が何を描いたか予想してから行くのも一興。

ついでにもひとつ。

千代田区立日比谷図書文化館(日比谷)
「江戸からたどるマンガの旅〜鳥羽絵・ポンチ・漫画〜」
期:9/17〜11/16 10時〜20時 土〜19時 日祝〜17時(9/19、10/17休み)300円
※日比谷公園1-4 1階特別展示室
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2016/9/6  7:28 | 投稿者: 時鳥

鉱物標本を納めた缶を数年ぶりに取り出すと、何やら様子がおかしい。
ひと隅が腐食して、穴が開きかけている。
原因は、岩塩標本だった。
紙製の標本箱に入れた上で缶に納めていたのだが、この暑さと湿度で溶けたらしい。
塩の力、恐るべし。
これまで他の標本と一緒に格納していたのだけど、こうなってしまうと他の標本への影響が不安になる。
とりあえず、ジップロックに詰めて、外気に触れさせないようにする。
標本箱も塩害を受けて傷んでいるのだけど、適切な箱が手元にない。
見つかったら入れ替える。
それにしても、日本の湿度と岩塩の組み合わせがこんなに威力があるものだとは思ってもみなかった。
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