2016/10/29  22:45 | 投稿者: 時鳥

『人を賢くする道具』という題の本が、今、気になっている。
道具って、人間を賢くも愚かにもする。
実際に賢くなったかどうかは別にして、賢くなった気にさせてくれる道具もある。
自分が馬鹿になったような気分にさせられる道具もある。

道具そのものが賢いかどうかはどうやって測ればいいのか。
考えてみたんだけど、使う人を機嫌よくさせて、これはいい道具だと思わせる道具が結局賢い道具であるように思う。
使いにくいと思われて捨てられたりしたら、元も子もない。
でももっと賢い道具はひょっとしたら、ちょっとだけ使いにくい道具になっているかもしれない。
使うのにちょっとコツが要るようにしたり、自分ひとりで使わずに他人に見せびらかしたくなるような形状になったりして、気軽に使い減らされないようにする。
そして、長生きを目指す。
道具たちの考え方は知らないけど、きれいなまま長生きするのをよしとするなら、賢い道具はきっとそうする。
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2016/10/26  23:12 | 投稿者: 時鳥

勤労感謝の日に、東京タワーで、超人スポーツ大会を開催するそうだ。
妄想でも冗談でもなく、現実の本当の真面目な話。

第一回超人スポーツゲームズ
http://superhuman-sports.org/news/20161007215535

上半身に透明な浮き輪のようなものをかぶってぶつかり合うバブルジャンパー、馬車の御者みたいに操作するキャリオット、体重移動で動く電動スクーターに乗って、おたまに乗せたボールをゴールさせるホバークロス、手元の扇風機で風船を操るバブルジャマーなどなど、どの競技も面白そうで、観戦したい気分がかなり高まっている。

そういえば、勤労感謝の日って、勤労者に感謝する日でいいんだっけ。
それとも、日ごろ無事に勤労できていることに対して勤労者が感謝を捧げる日だっけ。
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2016/10/25  23:45 | 投稿者: 時鳥

中古のDVDを買ってきて再生したら、DVDメニューにハングル文字しか出てこなかった。
パッケージは普通に日本語だったのだが。
そういうこともあるらしい。

本編は、日本語字幕が選べるから特に問題ない。
パッケージにない韓国語字幕も選べるけれど、そちらは選ばなければいいだけだ。

メニューについては、実はハングル文字が読めるので、まず韓国語の音を元に日本語の音のあたりをつけた後、頭の中で漢字変換して日本語に置き換える。
チャンミョンソンテク→ジョウメンセンタク→場面選択という具合だ。
メニューに出てくる言葉なんて限られているから、簡単に予測できる。
だからこれも問題ない。
日本語と違うのは、無意識には読めなくて、2回くらい変換の手間をかけなければならないことくらいだ。

大学の第二外国語で韓国語を選択しておいて、本当によかった。
過去の自分を褒めてやりたい。

また、このDVDを買ったのがたまたま私でよかったと思う。
ハングル文字を読める人じゃなかったら、パニックに陥るところだ。
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2016/10/24  22:26 | 投稿者: 時鳥

P&Pギャラリーで「現代日本のパッケージ2016」展を見る。
パッケージコンクールの受賞作品が展示されている場だ。
その会場で、ひとつの段ボール箱に目が釘付けになる。
箱を組み立てる時に折る場所によって、3本ボトル用にも4本ボトル用にもなる箱だそうだ。
つまり、4辺の合計が同じ8の四角形でも、2かける2なら面積は4になるし、3かける1なら面積は3になるってことだ。
小学校3年生くらいの算数で習っている内容だけど、今まで誰もこれを実際の箱に応用しようと考えてこなかったのだ。
理屈は単純だけど、このおかげで箱を2種類用意しなくてよくなったし、空きに詰める緩衝材も要らなくなった。
出来てしまうとあまり当たり前で、誰にだって思いつきそうなんだけど、出来るまでは誰ひとり考え付かなかった。
そういうのがすごいアイデアなんだって、ブルーノ・ムナーリが書いていたのを思い出す。



以下、2つ前の「頭紙」についての補足です。
「頭紙」は、ファックスを送る時によく付けます。
用件である書類をいきなり送らず、最初に宛名とかちょっとしたご挨拶を書いた紙を差し込みます。
それを「頭紙」と呼んでいますが、ビジネス用語でしょうか、これ。
今回の場合は、資料のタイトルページと言う意味で使ってました。
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2016/10/22  23:42 | 投稿者: 時鳥

トイレに行くにあたって、その辺りにあった文庫本をつかんでいった。
つかんだのは岩波文庫の『マルクス・アウレーリウス 自省録』、紀元前2世紀のローマ皇帝のエッセイ。
たまたま開いたのは第5章で、こんな文章が目に飛び込んできた。
明けがたに起きにくいときには、つぎの思いを念頭に用意しておくがよい。

興味を惹かれる。きっと、二度寝しないための素敵な方法を教えてくれるに違いない。
「人間のつとめを果すために私は起きるのだ。」自分がそのために生まれ、そのためにこの世にきた役目をしに行くのを、まだぶつぶつ言っているのか。

・・・トイレで出待ちをしている最中に読むのは、あまり適切ではなかった。
人間がそれで起きられるなら、世の中に二度寝で遅刻する人も朝までこたつで寝る人もいなくなる。
刻苦勉励とか粉骨砕身とか、今、要らないのだが。
警句みたいな数行の文章が最初から最後まで淡々と並べられていて、どこから読んでも大丈夫だから、短い待ち時間向きの本ではあるのだけど。
しっくり来るものと、全然共感できないものとの落差が激しいのも、それはそれで面白い。
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2016/10/19  22:46 | 投稿者: 時鳥

「資料にマエガミを付けたんですけど・・・」
そんな台詞が耳に入ってきて、思わず吹き出しそうになる。
前髪・・・じゃなくて、あたま紙のことですね、それは。
前髪を資料につけた場合を想定して、ついつい妄想が走り出しましたけれど。
前髪がないってことは、ちょんまげだろうか。
ちょんまげに前髪をつければ若衆になる。
サラリーマンと彼に作られ、彼に尽くす若衆資料の禁断の関係。
若衆資料はパワポやワードなので、未熟な主人には刃向かうこともある。
気を悪くすると、クラッシュして強制終了し、失踪することもある。
主人が翻弄されて若衆資料のご機嫌を取る、下克上な関係。
あるいはペコちゃんの前髪のようなものが唐突に生えた資料なんてのもいい。

なんてことを考えながら眠りにつくと、夢の中に前髪のないおじさんが登場した。
額の生え際からふよふよと産毛のような髪の毛が立って生えている。
どんな夢だったか忘れたが、なんとなく、怒られたような気がする。
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2016/10/17  22:56 | 投稿者: 時鳥

来年の手帳を買う。
代金は、しばらく使っていなかったプリペイドカードで支払った。
いくら残っているかわからなかったので、足りるかどうかでやきもきしていたが、無事足りた。
品物とカードとレシートをかばんに仕舞った時、気付いた。
そういえばこれ、いくらだったんだろう。
本体価格は買う前に見ていたけれど、「+税」という価格表記だったので、細かい金額がわからない。
いくらかわからなくても、物が買える。
今では当たり前の仕組みなんだけど、それって凄いことだし怖いことでもある。
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2016/10/15  22:45 | 投稿者: 時鳥

アイロンをかけながら、「電話」という題のオペラを聴いていた。
台本と作曲は、イタリア系アメリカ人のジャン・カルロ・メノッティ。
登場人物は若いカップル、ルーシーとベンのふたりだけ、全曲でも30分に満たない短いオペラだ。
ベンはルーシーにプロポーズしようとしているんだけど、いざとなるといつも電話のベルが邪魔をする。
電話魔のルーシーの電話が、いちいち楽しい。
女友達との無駄話、間違い電話、時報、怒り狂った男友達との言い争い、別の女友達への弁解といろいろな電話をするのだけど、特に最初の無駄話の電話が面白い。
「ちょうどあなたのことを考えていたの」とか、「ひさしぶり」とか、つい電話で社交辞令的に口走りそうなことが自然に出てくる。
"And how are you?"とたずね始めると、そのあと、ジョンは?ジーンは?ウルスラは?お父さまは?おかあさまは?おばあちゃまは?猫は?犬は?と、ありとあらゆる共通の知り合いの名前が怒涛のように出てくる。
また、"Good bye"をくりかえして、話をたたんで、もう少しで切りそうと思ったタイミングでいきなり、"Yes!"と力強いひとことが入る。何か耳をそばだてるような話が出てきたことが、傍で聞いていても、英語でも何語でもすぐわかる。
どれもこれも、女性の長電話の特徴を見事に捉えていて、苦笑を禁じえない。
横で待っているベンがやきもきしているのが手に取るように伝わってくる。
子供の頃の、母親の電話がこんなだった。
電話で中断させられた会話の続きをのどに待機させているのだけど、なかなか終わらないのだ。
楽しくて身につまされる話で、音楽的にもだれるところがまるでなくて面白い。
日本語訳詞でも聴いたことがあるけれど、英語のイントネーションや会話の調子に合わせて作曲されているから、英語歌唱で字幕つきにしたほうがしっくり来る。
メノッティは、自作の台本を自分で書いていて、「領事」という作品ではピューリッツァー賞も獲っている。
台本は面白く、音楽は耳に馴染みやすく、でも技術的には高度でオペラの技術をがないと歌えない。
あまり上演の機会が多くないけど、もっと評価されていい作曲家だと思う。
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2016/10/13  23:56 | 投稿者: 時鳥

財布の中にはほぼ必ず、百円玉が入っている。
週末に行く美術館や博物館には、コインロッカーが備え付けられていることが多い。
あれば使うようにしているから、百円玉がどうしても必要になる。
といってもコインロッカーを使うのは週末のみだから、平日は使ってしまって構わないのだが、百円玉が1枚も残っていないと、何となく落ち着かないのである。
個人的には、所持金が千円未満であることより、百円玉が1枚もないことのほうが強いプレッシャーを感じる。
小銭がほとんど尽きていて1万円札しかない場合も似たようなプレッシャーを感じるから、どうも金額に関する不安よりも金種に関する不安をより感じやすいようにできているようだ。
まあ、大きいお金のほうは、最近はICカードにチャージすれば簡単に崩せるようになったから、随分楽にはなったけれど。
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2016/10/11  23:20 | 投稿者: 時鳥

ICCオープン・スペース2016の作品をもうひとつ。
津田道子さんの「あなたは、翌日私に会いにそこに戻ってくるでしょう。」というタイトルの作品。
天井から、12の木枠が吊り下げられている。
ばらばらの方向をむいたそれらのうち、あるものは鏡で、あるものは素通しの木枠で、またあるものはディスプレイである。
木枠の間を徘徊すると、見えるはずのものが見えず、見えないはずの自分がいきなり姿をあらわす。
自分に見られていることに気づいていない自分が、ほんの一瞬か半瞬、目に映る。
見てしまったことにも、見られてしまったことにも動揺して、自分に対して何やら気まずい。
決して嫌な感じではない居心地の悪さがいつまでも胸に刺さって忘れられない。
あれは間違いなく私だったけれど、私の知らない私だった。
「あなた」って、スクリーンや合わせ鏡の中の私のことなのだろうか、もしかして。
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2016/10/9  23:43 | 投稿者: 時鳥

近くまで行ったついでに、初台のNTTインターコミュニケーション・センター(ICC)に足を運ぶ。
ここでは5月から「オープン・スペース2016 メディア・コンシャス」という通年展示を行っている。
なんだかんだでもう3回くらい見ているのだけど、それでもまだ足を運んでしまうのは、「チジキンクツ」という作品が今年はあるからだ。
一部屋を丸々使った展示で、靴を脱いで部屋に入ると、四方の壁に何段も連ねられた棚に、水の入ったガラスのコップが並べられている。
数百個のコップには、それぞれ磁石化した縫い針が浮かべられていて、普段は南北を指している。
が、コップの間に置かれた電磁石の影響を受けて、縫い針は時々動き、コップに触れ、小さな音を立てる。
いつ、どのコップが鳴るかはわからない。
部屋の床に座り込んで耳を澄まし、きまぐれに鳴る音を、ただ聴く。
無意味で非生産的で、でもとても豊かな時間。
コップに縫い針が触れ、その音の響く空間が心の琴線に触れる。
考え事を抱えている時、こんな部屋があるととてもいいと思う。
澄み切ったかすかな音は、考えを妨げない。
そして、考えるのに疲れたら、耳を澄ますだけで気を逸らすことが出来る。
ここにいると、自分の心が水面のように波立ったり凪いだりしているのがわかり、徐々に頭が冷えてくる。
心の荒れを鎮めて、解毒する作用がここにはある。

「チヂキンクツ」赤松音呂 2013-15年
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2016/10/9  0:12 | 投稿者: 時鳥

数日前から置かれているフラワーアレンジメントのそばを通り過ぎながら、ふと思う。
オアシスって、植物にとってはあまりオアシスではないように見えるんだけど、気のせいだろうか。
花瓶にさすのに比べて、水分は不足しやすく、雑菌は繁殖しやすそうだ。
数時間ならまだしも、何日もさしておくのは不適当に見える。
でも、乾燥したオフィスの砂漠のような環境に比べたら、これでもオアシスと言えばオアシスだ。
「生存に不自由のない楽園みたいな場所」という意味であの緑のスポンジを「オアシス」と名づけているのなら看板に偽りがあるけれど、「周囲の砂漠よりはましな、何とか生存が許される場所」という意味で名づけているなら、まあ正しい。
オアシスにさしっぱなしにしていると花の傷みが早いように思うけれど、それは花瓶にさした場合と比較しているからだ。空気中に放置している時と比べたら、明らかに寿命は伸びている。
とはいえ、花瓶にさせば1週間くらいもちそうな花がほんの2日ぐらいでしおれていくのは、見ていてあんまり楽しくない光景なのだけど。
花の世話はその人たちの本来の仕事ではないから、責められるわけはないけれど。
気にしないでいることは、ちょっと不可能。
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2016/10/7  23:20 | 投稿者: 時鳥

『道具が語る生活史』という本をめくっていたら、地下足袋の話が出てきた。
地下足袋が大正時代に発明されたことを知って、驚く。
もっと昔からあるものだと思っていた。

労働者が昔から履いていたのは草鞋だったそうだ。
草鞋は長時間労働にも遠距離歩行にも適していて、急斜面でもすべりにくい素晴らしい履物なのだが、耐久性がないのが欠点で、1日1足履きつぶしてしまう。
そう知って、さらに驚く。
作るのに結構手間がかかるのに、毎日使い捨てなのか、あれ。
ほかに履物がないというのはもちろんあるけれど、だとしても1日限りの消耗品をあれだけちゃんと作っていることに感動に近いものを覚える。
もっと雑な作りでも履物としては成立するだろうに。
こういう話を聞くと、文化ってこういうところに宿っているんじゃないかと思う。

さて、文化は文化として尊重するとしても、不便という問題は解決していない。
地下足袋が登場する以前、賃金の安い労働者にとって草鞋代は大きな負担で、日給1円程度なのに草鞋と足袋代で月に1円50銭が消える。そこで、年に2、3足買えば間に合うゴム底の地下足袋が普及したのだそうだ。
草鞋に近い機能性を持っていて、草鞋より格段に丈夫なら、人がそちらに流れるのも無理はない。

今では、何かの装束の一部ぐらいでしか草鞋を見かけない。
あとは、室内で布草履を履く人もある。
この室内の布草履はそういえば、足袋の変遷に似ている部分がある。
足袋も当初は皮製で屋外用で、武士や労働者が履いていたのが、木綿製になり、屋内用になったのだそうだ。
とすると未来のいつか、布草履の上から靴か何かを履く時代がひょっとしたら来るかもしれない。
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2016/10/4  22:57 | 投稿者: 時鳥

ドアホンが鳴った。
ドアをノックする音も聞こえる。
ドアの外で男の人の声が何か言っている。
「こんにちはー。おねがいしまーす」

・・・これでドアを開ける人がいるとは思えないんだけど。
わざわざ呼びかけといて名乗らないし、何の用事かも言わないだなんて、
不審にも程がある。

「オオカミと7匹の子ヤギ」を連想する。
今だったらオオカミは宅急便を名乗ればドアを開けてもらえそうだ。
お母さんなんていう、子ヤギがよく知っている相手を名乗ったから小さなほころびから嘘を見破られて、何回も失敗するんだと思う。
もっと会う機会の少ない親戚のおじさんとかガス屋さんとかを名乗ったほうが成功の可能性が高かったんじゃないかしら。
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2016/10/3  23:43 | 投稿者: 時鳥

前項のタイトルを考えながら思った。
「Vogue」ってファッション雑誌があるけど、まさかあれ、「防具」じゃないわよねえ?
最先端のファッションって、ある意味、武器だけど。
辞書を引く。
フランス語で流行のことだそうだ。
漕ぐこと、あるいは、渡海という意味もある。

"Vogue la galère!"
フランス語の慣用句。
「ガレー船を漕げ!」が直訳。
「ままよ」「なるようになれ」が意訳。
つまり日本語で言うところの「乗りかかった船」。
似たようなことを考える人々はあちこちにいる。

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