2017/4/30  22:40 | 投稿者: 時鳥

高円宮家所蔵の根付コレクションが、特別展で公開されるそうだ。
國學院大學博物館のサイトで見つけて、その日の外出先でチラシを見つけた。
何かに呼ばれているとしか思えない。というか、そう思い込むことにする。

江戸時代から現代までの約280点を展示する予定とある。
チラシの写真から判断するだけでも、牡蠣とレモンのセット、蛙のお母さんがおなかを目一杯ふくらませた「これでもか」、結婚十周年記念の「すずくり」などが出るらしい。
興味があって、会期中に渋谷近辺に行けそうな方は、是非。
可愛いものか、面白いものが必ず見つかるはずです。

國學院大學博物館企画展示室(渋谷)
「高円宮家所蔵 根付コレクション」
期:5/28〜7/23 10時〜18時(6/19休み)無料
※渋谷区東4-10-28 國學院大學学術メディアセンターB1

http://museum.kokugakuin.ac.jp/special_exhibition/detail/2017_netsuke.html

2

2017/4/29  21:42 | 投稿者: 時鳥

朝の5時に目が覚めて、そのまま「女殺油地獄」を見始める。
浄瑠璃ではなく、歌舞伎のDVDだ。
ゴールデンウィーク初日の朝っぱらから、油まみれの殺人劇。

簡単に言えば、不良少年が考えなしに喧嘩して借金して、家族やご近所に迷惑かけて、勘当されて、挙句の果てにはご近所の油屋の奥さんを衝動的に殺しちゃう話。
主役の与兵衛は欲望に忠実で我慢が利かないもんだから、遊び好きで仕事は長続きしないし、説教されれば逆ギレする。なのに、ちょっと脅かされればびくびくする。家族を悲しませたことを悔やむ心根も持っている。メンタル面は弱いが、基本的に悪人ではないのだ。
家族と近所の人は皆まっとうな人ばかりで、与兵衛に困っても、怒っても、憎むことはない。
悪人は一人もいないのだ。

あらすじは見る前から知っていたが、浄瑠璃でも歌舞伎でもこれまでに見たことがなかった。近松門左衛門の原作も読んだことはない。
初めて見て、交わされる応酬にはらはらした。
登場人物の次の言動が予測できない。
ついさっきまで与兵衛が父親を蹴っていたのに、今は父親が与兵衛を取り押さえている。
父親は好人物で、妻の連れ子の与兵衛を大切にしているが、妻や娘に暴力を振るう者を許せない。
登場人物がそれぞれ複数の行動原理を持っていて、心の中でバランスをとっている。
複雑なバランスは一瞬ごとに揺らぎ、表面に現れる行動原理がめまぐるしく変わる。
ひとりの心が変われば、その場にいる全員が影響を受けて、微妙に力関係が変わる。
登場人物の行動原理、あるいは心の領域は、低い柵で区切られていて、簡単に超えられる。
世間では、多くの人は危険な感情と安全な感情の間に高い柵を築いて、越えにくくしている。この作品でも、ほとんどの人は安全な範囲でしか感情を動かさないのだが、与兵衛はちがう。
与兵衛においてこの柵はとても低く、脆く、ほんの一押しで謝罪が暴力に、哀願が殺意に切り替わる。
相手のちょっとした言葉尻が痛いところに触れて、言うはずのなかったことまで言ってしまう。その言葉が売り言葉となって、買い言葉が返って来る。
言葉がぶつかり合って、人の心が波打つ。波が高くも低くもなる。
会話に力があるから、結末を知っていても、手に汗握ることになる。
ひとつきっかけが違えば、人を殺すまでは至らなかったはずなのに、かみ合ってはいけない歯車がかみ合ってあの結末に雪崩れ込む。

殺人の場面はこの演目の最大の見せ場で、もちろん目を輝かせて見入った。
しかし、この演目の魅力はそれだけではなく、実は老練な会話の運びこそが、この演目を支える底力として働いているのではないかと感じた。
3

2017/4/28  21:46 | 投稿者: 時鳥

本日、第1回国際ナノカーレースが開催されている。
日本時間で4月28日18時にスタートし、最大36時間のレースになるそうだ。
開催場所はフランスのトゥールーズだが、Youtubeでライブ中継されている。

LIVE中継
https://www.youtube.com/watch?v=fKiyj1TpSeU

今、それを見ながらこれを書いている。
なにやってるのか、全然わからない。
大変に地味なレースで、参加者が会議室みたいな部屋に集まって、真剣にディスプレーを見つめている様子が延々と映し出される。
チーム内でささやきが交わされ、時折マウスが操作される。
レース、という言葉から一般にイメージされるものとは、かなりかけ離れた光景だ。
どこに着目して、どのタイミングで盛り上がればいいのかわからない。
でも、関係者がこんなに真剣に生き生きとしてるってことは、何か素敵なものなのだろう。
関係者のインタビューあるいは解説の映像が時折はさまれる。
コースは金でできていて、その上を、分子の車が走る競技らしい。

明日はお台場の日本科学未来館でライブビューイングが開催される。
日本語で実況解説してくれるそうで、ちょっと聴きたい気持ちに駆られている。

ライブビューイング
http://blog.miraikan.jst.go.jp/topics/20170412nims.html

日本チーム公式ページ
http://www.nims.go.jp/mana/moleculecarrace/index_jp.html
2

2017/4/27  23:15 | 投稿者: 時鳥

「獣人」という題の古いフランス映画を観る。
原作はエミール・ゾラが1890年に発表した長編小説で、映画は1938年に封切られた。
機関士や駅員、踏切番といった、鉄道関係で働く人とその家族を描いた作品で、原作が書かれた当時の現代における社会問題を正面から取り上げている。
鉄道と言うのはやはり、人間の生活感覚を根こそぎ変えたらしい。
速度の感覚、時間の感覚、距離の感覚、生活サイクル、職業観、価値観、人生観。
鉄道によって、生活が変わり、人と人との距離のとり方が変わる。
感覚が変われば、人生が変わる。
たくさんの人間の人生が変われば、社会も引きずられて変質する。
少なくとも、ゾラはそう信じていたのだろう。
鉄道が人を変え、社会を変え、そしてその社会と人が鉄道を運用し、さらに発展させる。
フィードバックを繰り返し、共鳴しあって、雪だるま式にふくれあがる様子は、傍から見ていても恐ろしさを覚える。

映画が撮られた1938年から見た1890年は過去だが、手の届かないほどの遠い過去ではない。
当時を知る人がまだ存命しているくらいの割と近い過去だ。
だからだろうか、原作は読んでいないのだが、映像から当時の感覚が伝わってくる。
「鉄道」を別の技術要素、たとえば「インターネット」とか「SNS」とかに変えれば、今だってよく似た現象が起きているように思えなくもない。
2

2017/4/25  23:08 | 投稿者: 時鳥

待望のヒゲが生えた。
私にではない。
ベランダの植木鉢に生えた、カラスノエンドウの話だ。

3月上旬、植木鉢ではオオイヌノフグリが咲き始めた。
それを見て、カラスノエンドウの種をまだ蒔いていなかったことに気付いた。
図鑑を調べると、カラスノエンドウの花期は3月から6月となっていた。
これから蒔いても間に合う可能性があったので、すぐさま種を蒔いた。
それから1ヶ月半、芽を出したカラスノエンドウは、ようやくヒゲをつけるに至った。

その間に、オオイヌノフグリは次々に咲き、やがて犬の玉袋そっくりの実をつけ、茶色く熟して割れた実からは、細かな種がこぼれた。

冬の間から芽を出していたニワゼキショウは、そろそろ本気を出すらしく、ここ数日でぐんと丈が伸びた。あと1週間もすれば、葉の間から花の茎が出て来そうだ。

冬の間、というより、去年の春から引き続き茂っているシロツメクサは、2、3日前から植木鉢の外で、場外乱闘よろしく白い花を咲かせ始めた。
茂りすぎるものだから他の雑草の邪魔にならないように間引かれて、植木鉢の外へ外へと伸び先を誘導されているのだ。
ちょっとうるさいところはあるけれど、ひとつの花が何日も咲くので、目に楽しい。

アカバナユウゲショウがいくつか伸びてきた。
勢力としてはそんなに強くないのだが、素直に背丈を伸ばしている。
あと2週間くらいで花をつけそうな感じだ。

キッチンの流しから来た人参の根元は、遠慮がちに生きている。
本当にここにいていいのか、まだ迷っているような風情で、ほかの雑草の邪魔にならないようにしている。
緑の細かな葉は、増えても減ってもいないように見える。

一昨年の秋、外出先から持ち帰った雑草は、長らく葉だけを伸ばしていたのだが、3月、葉っぱしかないことに痺れを切らした私によって他の雑草の日当たりをさえぎる葉をぶちぶちとむしられる羽目になった。
そこで危機感を抱いたらしく、ついに花芽をつけた。
チチコグサだったらしい。
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2017/4/25  22:40 | 投稿者: 時鳥

ヤン・シュヴァンクマイエルの「アリス」を観る。
1988年に公開された映画で、一言で言えば『不思議の国のアリス』を実写化した作品なのだけど、しかし、ルイス・キャロルの世界を忠実に実写化したわけではない。
大筋は『不思議の国のアリス』に則っているが、あくまでこれは、「ヤン・シュヴァンクマイエルの」アリスだ。

知らない国のお菓子をもらった。見知らぬお菓子だ。
原材料欄を眺めても、半分以上が意味不明で、原材料も製法も、さっぱりわからない。
得体が知れなくて、身体に悪そうなのだが、食べてみたくて堪らない。
そんな味わいの映画だ。
古い機械で作られた色鮮やかな駄菓子のように、手仕事と機械、素朴とケミカル、不気味さと愛らしさが絶妙に入り混じっている。
奇妙だが、極めて魅力的。
古い剥製のウサギがいびつに動き始め、胸の毛皮の裂け目からおがくずまみれの懐中時計を取り出す。しかめっ面のアリスはティーカップに小石を投げ入れて退屈を紛らわせている。剥製のウサギを見咎めて、しかめっ面のまま後を追う。ウサギは何度も懐中時計を取り出し、そのたびにおがくずをこぼす。お腹が空いたのか、平鉢に盛ったおがくずを、コーンフレークよろしくスプーンで食べたりもする。
ストップモーションの技法で、剥製や人形やぬいぐるみが動く。
が、その動きは生物らしくなく、機械的、というか、物として動く。
生物由来の物ですらそうなのだから、食器、建物、衣類、その他もろもろは、それはそれはぎくしゃくと、角張って動く。
異様な動きである。
いちいちどこかに突っかかっているようで、観ていてちっとも気持ち良くないのだけど、この奇妙な味わいが不思議なことに、癖になるのだ。
印象的ないくつかの場面の断片が、頭の隅にこびりついて離れない。
観終わって少し経つと、もう一回観て、また煙に巻かれてみたくなる。
くせものだ、これは。

「アリス」1988年 84分
監督・脚本・美術:ヤン・シュヴァンクマイエル
アニメーション:ベトリフ・グラセル
撮影:シュヴァトプルク・マリー
編集:マリエ・ゼマノヴァー
共同美術:エヴァ・シュヴァンクマイエロヴァー、イジー・ブラーハ
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2017/4/23  22:04 | 投稿者: 時鳥

「勝ったら負けよ、じゃんけんぽん」
子供が父親に向かって叫んでいた。

それ、永遠に勝ちが決まらないんじゃないのかな?
通り過ぎながら、そんなことを思う。
たとえば、グーとパーが出た場合、普通はパーが勝ちだけど、勝ったら負けるわけだからグーが勝ちになる。しかし、グーが勝ちと言うことは勝ったら負けになるわけだから、パーが勝ちになって、パーが勝ちと言うことは・・・以下、無限に続く。
考える。
つまりこれは、2つの勝負が含まれていることを明確に定義しないと解決しないのだ。
前半の「勝ったら」と後半の「負け」を、同一の勝負とみなすと、永遠の堂々巡りに突入する。
前半の「勝ったら」はじゃんけんのルールにおける勝ち負け、
後半の「負け」は、ふたりの間の勝負の勝ち負けの話なのである。
だから、グーとパーが出た場合は、パーを出した人がじゃんけんのルール上は勝ち、ふたりの勝負の上で負けるのである。

勝手に物事をややこしくして、一人で悩んでいた無関係の大人は、
こうして勝手に理屈をつけ、勝手にすっきりしたのであった。
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2017/4/21  22:58 | 投稿者: 時鳥

使わなくなった洗顔ネットをポットのそばに放置していたら、茶渋で茶色いしみが出来た。
使う予定はないが、見よいものではないので中性洗剤で洗う。
ごしごし揉み洗いをすると、肌理の細かい美しい泡がたくさん出てきた。
そうじゃねえんだよ。そういうことがしたいのではないのだ。

落語の「火焔太鼓」みたいだ。
商売の下手な古道具屋が、きッたない太鼓をどこからか仕入れてくる。で、店の小僧に「おもてェ行って、はたいて来い」と命じるんだけど、太鼓と言うのははたけば音が出るものだ。
「バカヤロー、俺は、はたけっつったんだ。叩いてんじゃねえ」
不当にも、小僧は怒られる。でもそのおかげで、通りすがりのお殿様が太鼓の音を聞きとがめて、あれは有名な火焔太鼓じゃないか、と気付いたのだから、世の中、何が幸いするかわからない。
本来の目的にはなかった副産物が発生する。
それは、そのものが持つ性質に由来する副産物で、副産物が次の何かを呼ぶ。

そんなことを考えながら、台所で淡々と洗顔ネットを洗っている私には、火炎太鼓のような棚ぼたな話は当然ながら起きない。
副産物の美しい泡は泡と消え、平凡に茶渋は洗い流されて、かくして洗顔ネットは白さを取り戻したのだった。
めでたしめでたし。
2

2017/4/20  23:05 | 投稿者: 時鳥

藤棚が日に日に緑におおわれていくのが、遠目にもわかる。
團伊玖磨の歌曲「藤の花」の旋律が頭の中を流れ始める。
前奏はなく、ピアノの和音に導かれて歌い手が第一声を紡ぐ。
歌と同時に、光景が脳裏に浮かぶ。

最初の景色は、藤棚の全景だ。
誰もいない藤棚に光はあふれる。風はなく、紫の花が静止して咲いている。
静かな静かな空間に、やがてゆるやかに風が吹く。
大降りの花が揺れて、馥郁たる香りを振りまく。
紫色の香り、と呼びたくなるような、典雅な香りだ。
香りとともに、懐かしい記憶が甦る。
優しい追憶は、触れたくない記憶まで連れてくる。
古傷がうずく。忘れたい、諦めたいと口では言うけれど、本心ではどうなのか、もう自分でもわからない。そもそも、忘れることができるとは思えない。
時の流れが和らげてくれるのを、ただ待っている。年毎に咲く藤の花を見送って。
突然の激情を抑えて、再び藤の花を見上げた。
また風が吹いた。憂愁を帯びた香りが辺りを包む。
淡い紫の花がひとかけ、ぽたりと落ちた。
ため息のように香りを広げ、小さな呟きのようにぽつりぽつりと花をこぼして、藤の花が咲いている。

藤でなければ、この歌は成り立たない。
そう思わせるくらいに、あの花の姿や匂いが歌の端々ににじんで、豊かな余韻が残る。
美しくて、どこか胸が痛むような感じがする。
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2017/4/19  22:46 | 投稿者: 時鳥

人の顔が覚えられない。
オリヴァー・サックスの『心の視力』を読んで、多分、自分はこの本に出てくる「相貌失認症」なんだろうな、と思っていた。
あるニュース記事で、顔の記憶能力を測定するWEBテストの存在を知り、受けてみた。

最初は、1人の人間の顔を覚える問題だった。
左向き、正面、右向きの3パターンの顔を見せられた後、3人の顔が表示される。
この中のどれがさっきの人かを答える。
「この中なら、この人のような気がする」という曖昧な印象で判断する。

次は、正面向きの6人の顔をまとめて提示され、20秒で覚えるよう指示される。
その後に3人の顔が表示され、この中でさっきの6人にいた人は誰かを答えよ、という。
こんなの、絶対にわかるわけがない。
自信を持って断言する。
6人の顔を一度に覚えられないことは自分でもわかっていたから、せめて最初の人の顔だけでもおぼえようとしたが、それでも覚えられない。
目の前から顔写真が消えた途端、頭の中に刻んだはずの顔もきれいさっぱり消去される。
このタイプの問題は、完全にあてずっぽうで答えた。

結果、正解率は54%。
一般的な成人が80%ぐらいの正解率で、60%を切るなら相貌失認症の疑いがあるのだそうだ。

ていうか。世の中の人、これできるんだ。すごいなあ、みんな。
私からしたら、超能力みたいに思える。
こんな感じの人がさっきもいたような気はするが、何をもって同じ顔とみなせばいいのかわからない。
人の顔って、どこを覚えればいいんだろ。
傷があるとかほくろがあるとかの目立った特徴があれば手がかりになるけど、一重まぶたとかあごが尖っているとかくらいだと、違いがよくわからない。
何回か見ていると、だんだん見覚えが出来てきて、「あ、この人は見たことがある」となる。
でも、服装や髪形が変わると、すぐに自信がなくなる。
「この間と同じバッグを持っているから、きっとあの人だ」と言うところまでたどり着いても、その人の名前を思い出せない。
方向音痴の人が道を覚えられないのに、似た感じじゃないかと思う。

参考)
http://www.bbk.ac.uk/psychology/psychologyexperiments/experiments/facememorytest/startup.php
3

2017/4/17  23:41 | 投稿者: 時鳥

ムラサキサギゴケかトキワハゼの種が欲しいのだが、花のあたりを探しても見つからない。
雑草なので、種が売られているわけでもない。
そこで、ムラサキサギゴケが生えている辺りの土をひとすくい、もらってきた。
自宅の植木鉢にちょっとくぼみを作って、その土を埋め込み、気長に待つ。

土の中には雑草の種が大量に混じって、シードバンクを成している。だから、雑草は抜いても抜いても無尽蔵に生えてくる。
そんな記述を以前に呼んだことを思い出す。
運がよければ、ムラサキサギゴケが生えてくるはずだ。
まあ、雑草が生えてくるのを運が良いと言い切る人はあまりいないだろうが。
ムラサキサギゴケが生えてこなくても、予想外の面白いものが生えてくるかもしれない。

こうして、4分の3年ばかり、のんびりと観察している。
まだムラサキサギゴケらしきものも面白いものも生えてこない。

こういうものが、他に何かあった気がする。
「借り入れ」でも「利殖」でもなくて、「投資信託」でもなくて。
あ、わかった。
「証券化」だ。
債権を細切れにして、ミックスして、パッケージ化して、それを何度も繰り返した挙句、最後には誰にも中身が何なのか、損なのか得なのかわからなくなるっていう、あれ。
サブプライムローン問題を起こした、あれ。
土の中のシードバンクって、私の中ではそんな感じだ。
穏やかな言い回しを選ぶなら、「福袋」と言ってもいい。
何が芽を出しても、それなりに楽しめる自信がある。

雑草ファンドトラスト。
そんな言葉が頭に浮かんで、ちょっと笑う。
広辞苑第四版で「ファンドトラスト」を調べると、こんな語釈が書いてある。
「主に株式や債券などの有価証券で運用する金銭の信託の一。信託終了時には信託財産が現物で払い戻される。」
水と日当たりの世話をしているだけで投資はしていないから、「ファンド」ではないんだけど、現物で返ってくるのは共通点だ。
何が生えてくるかわからない今の状況にはギャンブル性があって、そこが楽しい。
投資より、むしろ投機に近い。
3

2017/4/16  22:34 | 投稿者: 時鳥

イースターなので、往年の名画「イースター・パレード」を見る。
全編を見るほど時間の余裕がないので、最初と最後だけ。
歌で始まって、歌で終わる映画だ。
最初の曲の歌詞は"Happy Easter!"、最後の曲の最後の歌詞は"Easter Parade"。
イースターに始まり、次の年のイースターに終わる物語は、アーヴィング・バーリンが作詞作曲した2曲の間に挟まれている。
この2曲を聴くだけで、イースターの空気感が十二分に伝わってくる。
やっと暖かくなって、過ごしやすくなって、人々が安堵している。
ほっとした感じが声や言葉の端々ににじみ、街を歩く人々が和やかに挨拶を交わす。
イースターにはパレードがあり、着飾った人々が五番街を練り歩く。
パレードに参加するカップルの片割れが、パートナーを迎えに行く。
どきどきしながらドアをくぐり、春の光の中で彼か彼女に会い、素敵さにまたときめく。
くもりのない幸福感が、ここにある。
真珠のように柔らかで傷のない、まあるい光にくるまれたみたいな幸福。
イースターという行事を知らなくても、この曲には人の心を動かす力がある。
日常にある、普遍的な幸福を扱った歌だから。
1

2017/4/14  21:47 | 投稿者: 時鳥

どこかで、電話の呼び出し音が鳴っている。
自分が取ることの出来ないところで、いつまでも鳴り続けている。

電話の呼び出し音って、人間の気持ちに引っかかる音をわざと選んでいるように思う。
耳について無視するのが難しい。
でもひょっとしたら、生まれた時からの長年の訓練で、人間は電話の音が耳に付くように育てられているのかもしれない。
生理的に気になる音が選ばれているのか、気にするように育てられるから気になるのか。

目覚まし時計や非常ベルなど、警告音と呼ばれるものは、皆同様の疑問を抱えている。
訓練だとすると、目覚まし時計を止めて二度寝するのも無理はない。
生理的なものに由来しているとすると、睡眠欲という生理が他の生理に勝った訳だ。
2

2017/4/12  21:43 | 投稿者: 時鳥

面接官に受けのいい髪形、といったフレーズが視界を流れて過ぎた。
何かの記事のタイトルだったが、記事の中身は読んでいない。

髪形で採用を決める人事担当なんていないと思うけど。
むしろ、髪形で不採用を決める人事担当の方が多いだろう。
絶対正解の髪形はなくて、不正解の髪形を避けることが大事。
そういうところは、仕事とよく似ている。
正解なんていくつでもあって、その中でより良いと思える正解を選ぶのだけど、構成する要素の何を重視するかでより良い正解が変わってくる。
どれがベストの解だったかは、最後までわからない。しばしば、最後になってもわからない。
あるかないかわからない最上の解を出そうと悩むよりは、明らかな不正解を避けて進むことの方がこういう場面では重要なんだと思う。
少なくとも、及第点はもらえて、次につながる。

わざわざ言わなくても、当人たちはとっくにわかっているんだろうけど。
だから、無難な髪形のリクルートスーツの若者が町にあふれているのだ。
採用側はここまでは求めていないと、年を食った今では分かるけど、
関係各位が空気を作って、当人たちはマニュアルを見て自主規制して、
見分けが付かないくらい皆そっくりの姿をつくっている。
2

2017/4/11  22:30 | 投稿者: 時鳥

しばらく前に、「幻想メトロ」という題の短編アニメーションを見た。
地下鉄の車窓から外を眺めているような視点で全編が固定されている。
地下鉄の走る暗闇に、壁の明かりがぽつぽつと暖かい光をにじませている。
車両が滑り込んだ明るい空間は、黒山の乗客が待ち構えるホームではなく、どこかの街の古い通りだ。
この街を、子供の頃の夏休みに訪れたことがあるような気がする。
地下鉄は止まらずに、ゆるやかに路地の脇を通り過ぎていく。
微笑む女性、走り回る子供、自転車、露天商。
懐かしい日は触れることを許さずに、目の前をただすり抜けて遠ざかり、再び車両は暗闇に戻る。
にじんだ色彩は、雨の日のネオンサインのように柔らかく、ちょっと淋しい。

「死ぬ直前に一生が走馬灯のように頭をよぎる」なんてことをよく言う。
けれど私は、実際の走馬灯なんて見たことがない。
だから私の場合はきっと、こんな風なんじゃないかと思う。
急行電車の車窓から通過駅のホームを眺めるように、一生の記憶が脳裏を駆け抜けるのではないだろうか。
眼前を飛び去ったものの中から、刹那、何かが目に止まる。
振り返っても確かめられない。
頭の中で、見たものを反芻する。
忘れたつもりでいたけれど、そういえば、そんなことがあったのだった。

「幻想メトロ」新藤真木子 2017年
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