改築によって塞がれた出入り口や取り壊された建物の痕跡、褪色した看板など、街角に見られる意味不明の無用物が、巧まずして芸術の輝きを放つ――。「トマソン」なる概念が話題となったのも、もう20年以上も前のことだ。
先日刊行された写真集『昭和の東京』(ビジネス社)は、トマソンの提唱者・赤瀬川原平ら5人の路上観察学会メンバーが当時の路上観察で撮影した写真150点余を、新たに一冊にまとめたもの。「当時の」という点がミソで、20年前の東京の姿を伝えることに重点を置いて編集されており、昭和初期に建てられた映画館や銭湯、下宿屋など、今では見られない街角の風景を多数収録している。建物のみならず、古い看板や町名表示、雨どい、個人宅の郵便受など、日常見落としがちな街角の細部に目を向けて、写真に収めていたあたりが路上観察学会の面目躍如だろう。
トマソンの可笑しみを期待するとやや肩透かしだが、「ちょっと前まではあったよあ、こんなの」と懐かしい気分にさせてくれる一冊だ。
だが、その懐かしい気分は、私にはとても複雑なものだ。当時は私も『超芸術トマソン』に影響を受け、フィルムカメラを片手に路上観察と称して都内を撮り歩いていた。それは、間違いなく「現在」を見る行為だった。被写体が古い建物であっても、過去の切れ端であっても、それが残っている「いま現在」を捉える趣味だった。
だが、路上観察学会が生まれて20年、観察の成果は『昭和の』というレトロ感覚で語られるものになってしまった。極論を言えばこの本は、20年前の路上観察も、そこで撮られた昭和初期(80年前)の影も、現在からは等距離の「昔のこと」として扱っているのである。
実体験として振り返ることのできる懐かしさが、生まれる前の時代と一緒くたにされているようで、読み進めるうちに虚しくも切ない気分になってしまった。
今もなお、デジカメ片手の路上観察を趣味としているが、20年後に今を振り返ったとき、私は果たしてどんな気分を味わうのだろうか。
そう、この気分を一文で言えば、すなわち「明日は昨日の為にある」である。
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というわけで、久々の更新ではブックレビューを装いながらタイトルという原点に立ち返ってみました。ま、それでも引っ越しを検討していることに変わりはないんだけどね。

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