熊本の栗原様から続いて地元の画像を送っていただいたので、またまたご紹介。

アプローチには両側に桜が植えられているようですね。場所は同じく熊本県多良木町の、こちらは久米地区。「小学校の敷地なのかどうか分かりませんが学校の校舎の奥に建ててあります」とのことです。
小学校は地域住民が精神的につながる施設であり、また盆踊りや運動会などで物理的にも集う場所ですから、同じく地域のものである忠魂碑・忠霊塔が建てられていても不思議はないと思えますが、実際にこうして建つケースはどれくらいあるのでしょう。以前H_Kofferさんからいただいたコメントにも「私が通ってた高校の敷地内にも,忠魂碑でも忠霊塔でもなく「日露戦役記念碑」がありました」(
#2)とありましたが、高校と小学校ではまた性格が異なりますし、これは別と考えるべき?

短い石段を登った先に、堂々とした石造の碑が建っています。

彫られた文字は「忠霊塔」。詳細はわかりませんが、太平洋戦争の後に建てられたもののようです。揮毫者も、どうも記されていないのか、見つけられなかったとのこと。

「学校のうらは山と田んぼののどかな場所です」とのことで、いただいた写真からも雰囲気が伝わってきます。

向かって左側には「明治〓七八年 戦役紀念碑(〓は「三十」)」つまり日露戦争の碑が、右側には征清軍人 戦死之碑」が建てられています。これらは中央の忠霊塔建立に合わせて移設されたのでしょうか。「戦死之碑」という碑銘は珍しいかもしれません。また、「戦死之碑」「戦役紀念碑」「忠霊塔」と、碑銘がそれぞれ異なるのも興味がもたれるところです。
栗原様、たびたびありがとうございます。

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