
(画像は今回の記事とはとくに関係ありません)
ここ,Blog Talkではたびたび,2005年12月に亡くなられた,ひとりのカリスマ業界人の方について触れている.その方が晩年まで営んでおられた観賞魚のお店は,没後に奥様の手に引き継がれ,その後移転しても営業が続けられてきた.そのお店は本年11月で店じまいとなったそうだ.何度も書いているように,わしはツツイ信者ではないし,当該人物やその周辺のことには全く関係がないので,これについて何かモノを言うような立場にはない.でもまぁ部外者ならではの野次馬発言というのも,少しはお許しいただけるかなぁ,ということで言及しているわけである(今日の与太話も「お前,ソレやめろよ」と思う方がおられれば即行で消すので,その旨コメントいただきたい).
衝撃の後,たとえ短い間だったとしても,その遺志と技術を継ぐ人の手でお店が存在し続けることには,たいへん重要な意味があったと,わしは思う.もちろん,「本人にやり残したことがあって,遺族がそれを成し遂げる」ということなのだろうが,それとは別のところにも意味があったと思う.
たとえば,わしの周りにも魚の研究者や観賞魚愛好家がたくさんいるが(両者が重ならないところがミソ),その多くの方々は「ツツイ」という人物のことが大きな関心事であったというわけではない.氏がカリスマ業界人であっても,グッピーの世界に君臨していても,魚と人の世界を広く見れば「関係者のひとり」に過ぎないだろう.本人が亡くなられて,話題てんこ盛りだった熱帯魚店が閉まった,というだけならそこでその人の歴史が終わったということであろう.しかし,没後もその志が大切に守られてお店がそこにあり続けることにより,ひとりの人に止まらないグッピーの歴史が紡がれたのである.そのことによってこそ,「ツツイ」という名は熱帯魚界の伝説になり得たのだと思う.
彼の人がいた頃と比較し,「魚がかわっちゃったね」と言う客もいたかもしれない.あたりまえだ.グッピーはそれを作り,育てる人を映す鏡である.同じ技術と同じ志をもってしても同じ魚は生まれない.また,グッピーの世界と流通する魚自体も時々刻々変化し続けている.たとえば2005年と2008年では,流通するラインアップも保持する形質群も七色変化,さらに消費する側の嗜好の変化や,業界の流行もある.「変わった」ことは大きな問題ではないのだ.魚は変わっても「殿堂」が存在し,その品格が守られたことこそが重要だと思うところである.
新店主様のご苦労と周囲の人々の思いに支えられ,お店はほぼ3年もの間,守り続けられた.観賞魚の歴史に一組の夫婦のお名前と数多くのグッピー達の思い出を刻んで,お店はその役目を終えたのである.
ついでといっては何だが,「夢が終わるか?」ということにも筆を滑らせると,夢は「続く」とか「終わる」というよりも「叶う」か「潰える」ものだと思うが,遠い夢を見据えてお店が開かれたときこそ「歴史の始まり」であると同時に,実は夢が叶っていた瞬間だったのではなかろうか?
クサい田舎芝居みたいな文章になったので,このへんで止めておこう.やっぱり,なんだか12月は辛気臭いなぁ.....

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