気象庁の生物季節観測について、70年目をもって規模縮小することが報道されている。「都市化とか気候変動とかイロイロあってのことで、やっぱり地球に優しく!世の中SDGsだぜぃ(××××のせいではなくて)」とミスリードさせようとして書いてあるが、まぁ要はお金の問題なのだろう。昨今、公的な組織における部署の整理・統廃合と人員削減が厳しく、気象観測の組織も例外ではない。何しろ世の中、人間を使うことが一番お金がかかるものだ。都市化で観測が難しくなったなら、観測にそれなりの人員と時間を使うとか、標本のあるフィールドを確保・保全するとか、お金をかけて続けられるようにするべきだろうに、そのお金が配分されない世の中なのである。まさか気象庁職員さんが無給・自腹で観測を続けるわけにはいかない。
多様な生物種について1953年からやっている観測である。多様な生物種を対象としたまま、あと32年やって100年データにしたら、未来にも誇れる、すっごい気象観測事例になるだろう。「都市化や気候変動で観測が困難」で止めるんじゃなくて、変動が危惧されるからこそそういう観測を続けなきゃいけないのじゃない?たとえば、ここで止めて一般社会にニーズがある事項に絞る....要するにソメイヨシノの開花日とかそういうものだけに絞って続ける、ということになれば、そりゃメディアの「ほのぼのニュース」のネタにはなるかもしれないが、気象学的価値は見劣りするものになるだろう。(公的活動は税金の無駄遣いなので民間で....と言うくらいだから)お花見予想とかそういう世俗的なところは民間気象データ会社の専門家がやってデータを売れば良いのであって、公的機関が民需の無いところを削減して民需のあることだけ続けることの意味はわしにはわからない。生物気象観測のようなところは削減せずにしっかりと税金を投入して、その価値を損なわないようにしてほしいものである。
ま、とか何とか書いてみたものの、わし自身の仕事も日頃から「税金の無駄遣いにならないようにしっかりと成果を出して社会に還元せよ」とご指導を賜っているので、ヒトのことは言えないよなぁ。さ、お仕事、お仕事!
熱帯魚飼育に季節感はなさそうだが、やっていると、夏場は高温で魚が弱るとか、冬は電気代がかさむとか、それなりに季節は過ぎゆくものである。

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