2012/9/20

街場の文体論  
 20年モノのソファに、新しいカバーを被せました。おお、かっこよくなったぞ!
 これでみんな物置扱いしなくなってくれるとよいが。
 大掃除はじりじり進行中。やっぱり気温が3度下がると人間動きやすくなるなあ。

 昨日買った「街場の文体論」読了。面白くて一気に読んでしまいました。
 ちょっと前に読んだ福岡先生との対談本「せいめいのはなし」の中で内田先生の部分が一番面白かったから、ちょうど新刊で出ていた本書を買ったのだ。
 とても納得のいく切実な話あり、センセイそれは実例に出すには不適当かととツッコミたくなる話もあり、だけど1章を読むたびに「それに対して思うことがあります!」と思考が発展する話がてんこ盛りだったのでした。
 もったいないからまた読み直そう。


 忘れそうな感想ひとつ。

 日本では言葉が階層形成的には機能していない、知的財産を広く一般に共有できる言語社会になっている。
 その例として夏目漱石の「虞美人草」が挙げられてました。

 明治40年代、3人の青年が東大で身につけた知識と技能をどう生かすかという話の中で。
 自己利益のためだけに使うもの、特に生かすことをせず満足するもの、社会に還元すべく行動するもの、が描かれます。
 3匹の子豚的な話だけど先生は要約して

 「漱石は、若い日本人に向かって、君たちが(高い)教育を受けたのは「託された仕事」があるからである。それは贈与されたものなのだから、君達には反対給付義務がある。それを社会に還元しなければならない。そう語ったのです。」

 連想したのは、友達の女医ちゃんが昔話していた大学のことでした。
 医者を一人育て上げるのに、おおざっぱに1億かかる。だから私立大学で学ぶとえらいお金がかかるけれど、国立大学は人が出してくれたお金でもって勉強させてもらい学生は医者になる。
 医者という「社会に必要な、だけど育てるのに手間のかかる職業人」を、社会によって育て上げてもらったわけだから、いざ医者になった折には医者としての仕事を邁進しないと。

 でも医学部を出ても医者にならない人もいる、医師免許をとっても勤務しない人もいる。
 システムの問題もあるかもしれないけど、それはちょっとどうなんだろうと思ってのことなんだと受け取りました。

 哲学や修辞学が発展したフランスでは、知的財産は一部のインテリだけのためのものでした。
 でも日本では高度な知性を「普通の人に判りやすい言葉で語る」ことが許される社会で、これはすごく貴重な事なんだと、内田先生はしつこくしつこく繰り返して書いています。
 医者が医者の仕事をするように、他の学問でも身につけた知性を私物化しないで、社会と共有する努力を続けよう、その為に、人は自分のかたる文章に自覚的であって欲しい。
 そんな切実さに感動したんだと思います。

(漫画の「高杉さんちのおべんとう」でもそんな話があったんだよ!今更当たり前のことで恥ずかしいけど、文化って学問の流れの中にもちゃんとあるんだな。)

 
3

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ