2015/4/9

やいやい。   
 スーパープレゼンテーションのハズレの話。ごめんね、今回の内容は野次です。

 先日、録画しておいたTEDをまとめてみました。それぞれの畑についてのアツいトークは興味あるなしに関わらず大体面白いものだったんだけど、一つ目を引いて残念だったのがあったのでメモメモ。
 テーマ「実は暴力は減ってきている」スティーブン・ピンカー

 数字を駆使して上記のテーマを説明をしているんだけど、数字の選び方が妙に恣意的でなんかあやしい。
 1万年前から現在の殺人パーセントを比較してその割合が減っていると結論づけているけれど、人間の総数がどれだけ変わっているかという肝心の分母に全く触れていない。また中世のくくりの偏ったぶっちゃけ未熟な裁判制度と現代のそれとを単純比較して残虐だと結論づけている。また、狩猟採集民と近代兵器を持っている現代の人間の攻撃スイッチを同列にしている。

 無知や恐怖が暴力を産む原動力の一つなのは基本だから、時代が下って人の知恵が蓄積されていけば暴力が減っていくというのはしごく単純な理論だし、私も賛成です。
でもこの人の理由付けはズレていると思うし、こと近現代に関してはおぼこすぎておばちゃんの世話話初級編みたいであります。

 社会を構成している人間の絶対数の違い、社会的な規制(宗教・政治体制)の異なる社会を単純に比較することの危うさ、また現代の状況に対するナイーブすぎる楽観視がなんかイヤだ。こんなに突っ込みどころの多いトークを聞いたのは久しぶりだYO!
 結論として、弱者に対して服従や譲歩を促す内容に見えるっつったらうがちすぎか。

 近代に関して思うに、この100年は前半で殺す手段が簡略化されすぎるようになった事が、命のやりとりに対して慎重になってきた理由じゃないのかな。また殺すより効果的な搾取の方法も洗練されてきたように感じる。だから直接に人を殺すパーセンテージが減ってきているように見えるのではないか。直接手を下さなくても他人の生きる道を断つ行為は決して減ってはいないと思うのよ。

 聞いてて連想したのが、網野先生の日本史の縄文編。
 氏はピンター氏のように、古い時代の人は獣のようで現代に近づくに連れどんどん良くなっている、という意見ではなく、社会がおかれた環境によって(もちろん知識の蓄積も足して)社会のありようが変わってきたんじゃという持論でした。
 人間が農業によって安定した食料供給を得る以前の時代、成長に時間のかかる人間という種は生きることが困難だったらしく、1万年単位でも人口はなかなか増えなかった。かわりに明らかな身体障害者であっても、周囲が生きていくことを支えていく社会があった(遺跡やそこから発掘された人骨から)。
 かわりに食料供給が安定すると余剰が生まれ、富ってものが存在するようになり、それ以来人間同士の闘争はずっと続いている、そのかわり人口も着実に増えてきた、というもの。

 網野氏は別に人間の本質がどうとかいう研究はしていないけれど、時代ごとの生活環境を調べた結果、人がどんな社会を築いていったかを資料として残してくれました。そもそも人間性を研究してるっていう学問にとってそのデータは必要不可欠なものじゃないかと思うのよ。
 それをすっとばして数字、それも絶対数ではなくパーセントだけを羅列して持論を推し進めるのはちょっとどうかと思う。


 ついでに録画見て今頃こんなぷんすか言ってる自分も、ちょっとどうかと思う。ああ春はとさかに来やすい季節。
 たまごは順調に2個ずつ増えてしまっているし。←関係ない。
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