2016/8/29

おけらくんの観察と魍魎語り続  
 迷走台風が近くてへんなお天気の1日でした。

 朝、ゴミだしして戻ったところ、植物の水遣り用のバケツにおけらくんが落っこちてあわあわしていました。
 こんななんもないようなバケツにどうやって落ちたんだい…と掬い上げて植木鉢に放したんだけど、放す前にまじまじ観察。こんなちっこい羽でよくコオロギみたいな音が出せるなあとか、やっぱり前足のシャベル仕様はかわいいなあとか。
 でもってやっぱりこういう小さくてやわらかくてもぞもぞ動くムシは、大人には嫌われそうだなあとも思いました。
 好きでいるか嫌いになるかの違いは、パーツ愛があるかないかだと思うんだ…かまきりの前肢の作りが好きとかミツバチの体のモフ毛がかわいいとか、そういうのを認識しはぐってカマキリ・ミツバチって覚えるだけだと、多分見慣れない生活にはいってから出会う時「大雑把に気持ち悪い」くくりになってしまうと思う。
 おけらくんは上半身パーツも動作もとってもかわいいけど、かわいい以外のパーツ(胴体とかおしり)は普通に気持ち悪い系だと思うな。

 ところでアニメ魍魎やっと最後まで見ました。きれいにまとまっててよかったYO!
 動画もきれいだったし音楽もメランコリック、乙女度が高くてちょっと照れちゃったけど画面がさすがにみっちり作りこまれてたのがいいなあ。
 唯一我がままを言うと、原作で最初に読んだ時に一番心を鷲づかまれたシーンがさくっと略されていたあたりだ!

 猟奇な犯罪を犯してしまった久保について関口君が色々語る、動機を考え精神状態を推し量り犯罪に至るまでの心理や可能性を想像する。

…の途中でいきなり京極堂が怒り出すのね。

 不幸な生い立ちにありながら真っ当に生きている人はたくさんいる、憤りをもてあます人も精神の不安定な人もみんなが犯罪を犯すわけじゃない。きっかけになる「とおりもの」に出会ってしまった久保が向こう側に行ってしまっただけだ、みたいな感じで。
 それで素直に反省した関口くんの言がよかったんだ。
 つかみどころのない犯罪を勝手に解釈して判った気になって、その不幸、不条理を穢れとして自分のいる生活圏から遠ざけようとしてたっての。
 それは普通に私たちがやりがちな過ちだと思うので。

 よく犯罪被害者に対するセカンドレイプにあたるバッシングってのも、これと同じ心理だと思うのね。狙われたお前が悪いなぜ逃げなかった、と叩くことによって自分との距離をあけようとする行為。
 中世の書籍の「穢れ」の記述を見ていると、不幸のあった家に近寄ると穢れが移るとか犬のうんこを見つけたから穢れが目に入るとか、へんちくりんな感覚だなあと思ったものだけど、多分現代に於いての被害者たたき(加害者の身内をかわいそうに見せる演出とかも含む)は、その感覚の延長なんだと思う。
 京極堂シリーズは、そういう「直接攻撃ではなくて空気を濁すことによって誘導される作為」に対して、最初にわかりやすく語ってくれた娯楽小説だと思うので、やっぱそこんとこは評価して端折らないでもらえたらうれしいYO!

 

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