2017/10/31

厨2病とは反抗期の1形態ではと投げてみる  
 風邪を引いてしまったのでお布団の中でそのへんにあった本を読んでいたら、話の中に「赤毛のアン」の話が出てきてぼんやり思い出していた。
 小さい頃読んだ時は、とにかくアンの喋り方がまわりくどく芝居がかっていて、カナダの女の子ってこんな感じなのかふーん。とひどい誤解をしていたなあ。後になって考えれば、アン以外の子はもうちょっと普通の喋り方してたのに。喋りすぎるアンと皮肉すぎるマリラのせいで、かなりクドい印象をもったものです。

 で、大人になってから読み返したらけっこうショックだったんだよね。

 アン、ものすごいオタクじゃん。

 文学を愛するのはいいけど、友達引きずりこんで読書会!萌え共有!なりきりごっこ!うわーイタタタ。おばちゃん知ってる、それ厨2病いうんやで。

 だけど、振り返ってみるとアンは幼い頃理不尽な環境で(子守女として)大人になる事を要求され、その暗澹とした現実を紛らわせるために物語に浸ることで自分を守ってきたって経緯があって、それが思春期を迎えてはっきりした形になっただけなんでは?と思ったんだ。

 厨2病は、だから反抗期と同じく子どもが自我を確立した時、社会と自分を折り合わせるために発症させる鎧みたいなもんじゃないかと思った次第。

 反抗期ってのはさ、かくあるべしという理性で作った自分や社会と現実がうまくあわないから、隙間から怒りなり不安なりが噴出してでてくる感情のゆらぎが原因やん?
 でも厨2病こじらせる人は、多分自分の無力も社会のゆがみの存在も知ってる、理解してる、でもその中での自分の位置づけはまったく判らないタイプが、空想の世界を間にはさんで自分を安定させようとしているように思う。
 私もたいがいこじらせたクチだけど、やっぱりあの頃顕著な思考パターンってのが
「自分じゃないけどこういうふうにできたら」
「自分はそうは思わないけどそう思って乗り越える人がいたら」
ってことばっかり考えていたのね。当時は「こんな他力本願な考え、誰にも言えないこっ恥ずかしい」と思っていたけれど、これはおたくがわりとはまり込みやすい考え方なんじゃないかと思うんだ。

 他人や社会を攻撃してもなんにもならない、でもこんな現状をなんとか変えたい

 という衝動はぶっちゃけ物語をつくる人の大事な原動力でもあるし、俺は変わりたくないんだー言うて盗んだバイクで走り出すより、たぶん思考は建設的だと思うんだ。だけど、こういう思考は他者とすり合わせる力が弱いから、結局孤立してしまうとまったく救いがないまま大人になってしまう恐れもあって、それが恐いと思う。

 アンはグリーンゲイブルズって保護してくれる場所を得て、友達と切磋琢磨する機会を得たから(もちろんアン自身の努力でもって)いい形で大人になれたけれど、場所や人や方法が判らないまま空想を肥大化させつづけている人はツラそうだ。

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