2018/6/25

是枝監督のインタビュー  
 SNSで今日の新聞記事に是枝裕和監督のインタビューの話がのっていたので、どれどれと読み返してみました。(朝日新聞6月25日33p文化・文芸)

 しばらく前にTwitterで
「文化庁の補助金を受け取っていながら、日本の恥部を描く反日映画を作った」
ってバッシング話題が流れていたんで、
「現在問題が生まれていながら社会が認識できてなかった患部を、伝わり易い物語(映画)にして発表して、さらにパルムドールまでゲットしたんだから、文化庁的にはグッジョブ言う話やん?」
と思っていたんだけど、そのへんは「場外戦」としていろいろバトっていたらしい。
 
 「芸術への助成を“国の施し”と考える風潮は映画に限ったことじゃない。大学の科研費もそうだし、生活保護世帯への攻撃も同じです。本来国民の権利のはずですよね。今回、政府の補助金がどうあるべきかが可視化されたことが一つの成果だと思っています」

 監督すごいなあと思ったのは、このへんしごく真っ当な意見ではあるけれど、今の日本、ネトウヨその他がのびのびバッシングしてまわっている時世では、これを言えば叩かれるのが判っている、その上で作品を作り言葉にして行動にも示しているっていうのは、よっぽどハラくくっていなくてはできない事だと思うのよ。

 監督の言う「本来保障されているはずの権利」だけどそれを行使することが「犯罪であるかのような風潮」がとんがっている今の空気って何かに似てるなと思ったんだけど

アレだ、崩壊する直前のソビエト。

 90年代あたまに社会主義を切り捨てる前のソビエトって、本来の社会が国民の権利を等しく守るって理念からは遠く離れて、仕事を回さなければならない場所で働き手を増やさない(効率化の数値目標のため)とか、最低限社会のインフラを維持するために必要な金をまわさない(軍拡競争の時代だったし)とか、党や指導者の主張や好みに合わない文学者や芸術家への極端な冷遇とか(以下略)

 監督の話の中で、犯罪者と自分は違うって感覚を持っている今の社会は危険と言っててほんとにそれな!!!と思ったんだ。
「一歩間違えたら自分だったかも」「うちの子被害者になる不安と加害者になる不安両方あるgkbr」
って思う不安が健全だと思うのね。
自分は善人、悪は許せないって視点のおぼこいまま社会に入ってしまう人は、たぶんいろんな悪い可能性を考えている人よりも、足元がおぼつかないんじゃないかと思っている…

 物語ってのは「こうなったかもしれない」「そうならないために寄り添いたい」っていうシミュレーションが許される世界だと思う。
 物語を編む人は、その世界に訪れた人(読者)が想像し経験することができるかを考え続ける自意識と矜持をもっていて欲しいと思うし、そうありたいと思うよ。
7

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ