2019/7/8

伝説の人  
 SNSで宮崎駿監督のインタビューがあがっていて、なにか作業しながら語るに「努力なんてしてあたりまえ」「それと評価は関係ない」「努力の評価を求めるなんて」とつらつらと。

 まったくもってその通りだけどその通りすぎて何もカントクの口を借りずとも。と思ったんだけど、ながらく努力を続けてきた(ものを作る人にとって努力ってのは通電ぐらいの感覚かな)人が体も壊さないで続けてこれたんだから説得力があるかも。と思ってきいてました。

 でもふと、これって現場の人の言葉であって、業界の心得とか教育者の言葉じゃないよなと思ったんだ。カントクは映画監督であってそれは一人の作家なんだよな。
 もしもこれが野球の監督だったら、それはチームのこと一人ひとりの選手のこと全体のバランスのことを考えなくてはいけない仕事な訳だけど、作家としてのカントクは野球で言ったら「ブルペンで投球練習している選手の一人」だと思うのよ。
そういう人にインタビューして、それがチーム全体の話のように受け取られるのはちょっとピントがずれているような気がした次第。

 その道1本で食ってる人は、トシさえとれば教育者になるものだと思われていないかな?

 ミック・ジャガーやスティングがずっとミュージシャンやってるからといって音楽の先生とか音楽業界指南を始めるとは思わないやん?あの人たちはひたすら「自分のための音楽」を作ったり演奏したりし続けるだけの作家な訳で。
 だから彼等に質問するときは、次の活動のテーマとか方向性であって、これから音楽を始める人たちが何をすればいいのかなんて質問を投げる人は失敬だと思うのよ。

アニメ監督や漫画家なんかも、何年やっていようと一人の作家であって、常に関心事の中心は「今描いている」「次に描きたい」作品とそのためのモチベだと思うんだ…
 なんで「これからモノを描きたい人たちに送る言葉」なんてもらえると思っているんだろう。失敬じゃん。

 という訳で、個人的に現在頑張ってものを作っている人を、外野が勝手に「伝説」とか「神様」とか呼ぶのが苦手なんだ…

 昔、手塚治虫が大友克洋に対抗意識燃やして「あの細密画面僕だって描ける」と言ったのを、手塚治虫ともあろう人がみたいにかかれた記事がすごいイヤだったんだ。
 あの頃手塚先生だってオンタイムで連載漫画を描いていて、人気とか評価とかそれよりも作家の目でもって自分の画力と若い世代の画力の差を思い知らされてしんどかったはずなんだ。なのに「漫画の神様がそんなこと気にするか」ってそりゃするにきまってるじゃん連載中なんだよ!?勝手に伝説にすんなやまだ生きてますから!!!

 どんなに実績が積まれてファンがいて「あの作品で人生変わりました!」って人がいても、それは嬉しいだろうけれど、それと今描いてる作品にどれだけ質量があるかはまったく別の問題だと思うんだ。

 絵の上手い人を捕まえて自分だって描けるって言うのも、努力なんてオレはずっと続けてきた評価なんか求めるなって言うのも、どちらもとても大人気ない言葉だと思う。

 だけど作家は自分のために作品作っているんだから、大人げないものなんだと思う。
 きっと製作以外の場所(税理士との打ち合わせとか編集部とか)ではもっと大人になってるんじゃないかと思うけど、インタビューはそういうところで質問しないもんな。
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