八幡探訪(序)ボクと八幡大菩薩

2014/8/16 | 投稿者: ghost

奈良に行って来た。

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<見た目にわかりやすい奈良のひとコマ>

ここしばらく、ボクの中で八幡神がちょっとしたブームになっていて、いろいろとお勉強している。そんな流れで、特に何があるワケでもないことは承知の上で、ぶらりと手向山八幡宮を訪ねてみた。

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<手向山八幡宮>

手向山八幡宮自身については、ちょっと後日へ送る。


最近、八幡に関することを調べだしたのは、ロマネスク教会を訪ね歩くうちにヨーロッパにおけるキリスト教の受容と日本の神仏習合の間に通底するものがあるなぁ、という思いが強くなって来ていて、後者を理解していく上で八幡が避けて通れないテーマだからであるのだが、それはちょっとさておき、自身の備忘と論点の整理を兼ねて、ボクと八幡神の出会い、というか、ボクが八幡なる存在を初めて意識したきっかけ、について書いておくことにする。

実はこれが、日蓮の曼荼羅(法華曼荼羅、十界曼荼羅)なのである。一般に曼荼羅というと、密教系の仏画を幾何学的に配置したものの方が認知度が高いと思うのだが、日蓮のそれは文字で書かれている。で、正確にいつの話かは思い出せないのだが、小学校高学年か中学生くらいの時分に、ふと、曼荼羅に書かれている文字が読んで意味がわかることに気付いたのだった。まぁ、文字なんだから当たり前と言えば当たり前なのだが、四隅に書かれているのがいわゆる四天王の名であることを発見したとき、つまり、これが魔法の呪文なのではなく、何らかの明確な論理や意図に基づいて書かれたものなのだ、ということに気付いたとき、妙に高揚したことを覚えている。

まぁ、我ながら変な子供だったとは思うのだが、必然的に、その他列記されている文字を読み進めていっていろいろなことに気付いたのだが、その中でもとりわけ印象に残っているのは、当時のボクにも「これは仏教由来ではない」とはっきりわかるものを2つ見出したことだった。1つは“天照大神”、つまり日本の皇祖神とされるアマテラス。そしてもう1つが“八幡大菩薩”である。ちなみに、当時のボクは八幡と言えば八幡太郎(源義家)のことだと思い込んでいてワケがわからなかったのであるが、それはさておき。思えば、これがボクにとっての神仏習合との初めての出会いだったのである。

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<手向山縁起/時頼登場に何やら因縁めいたものが!?>

ところで、法華経至上主義者であるはずの日蓮の曼荼羅に、なぜこの二柱の神名が記されているのだろう。日蓮曼荼羅は、法華経見宝塔品に述べられるところの二仏並座の場面を日蓮的に解釈したもののビジュアルイメージと解されるのであるが、当然のことながら法華経には天照も八幡も登場はしない。それを言ったら天台大師だって傳教大師だって日蓮だって登場はしないのだが、日蓮教学においては、彼ら法華経の行者が法華経に参加していることに意義を見出すのでこれは理解できる。実際、一般に法本尊開顕(日蓮曼荼羅の理論背景を述べた論文)の書と称される日蓮著『後五百歳始観心本尊抄』にもその旨の言及が見られる。が、同書にも、やはり天照も八幡も登場しない。

一般には、日蓮はこの二柱の名を以って日本の天神地祇すべてを包摂したのだ、とされる。ボクの知る限りにおいて、日蓮自身の言葉でそれを明示的に説明した書は知らない(いわゆる釈尊御領観=この世のすべては釈迦の眷属である、とする世界観は度々表明されており、天照・八幡は多くの場合ペアで言及される)のだが、逆に言えば、これは当時の日蓮の想定対象読者にとっては、天照と八幡を以って日本の天神地祇を代表させることは、当たり前過ぎて説明を必要としなかったのかも知れない。

日蓮には、この二柱のうち、八幡に特別の思い入れがあったと思われる節がある。最も有名なエピソードとしては、日蓮が平頼綱に捕縛されあわや斬首となった通称“竜の口の法難”において、処刑場へ赴く途中通りかかった八幡宮前で行列を止めさせ、八幡神に対して大声で法華経の行者(ここでは日蓮のこと)の守護の任を怠っている旨(私が斬首されそうなのに何故救わないのだ、と)叱責した、という話がある。

この話が収められた『種種御振舞御書』は真蹟が存在しない上、偽書、とまではいかないものの後世に日蓮直筆の体裁で書かれた伝記物である、とする説もあるので真に受けるワケにはいかない。何せ、本書の中で日蓮は突如空中から飛来した“光り物”によって処刑の難を逃れるのだから。が、光り物は別として、自らを処刑せんとする衆に囲まれたまま上から目線で八幡神に怒鳴りつける日蓮、というのは妙にリアリティがあって、俄かにまったくの創作とも思い難い。

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<電波話の合間に愛くるしい子鹿ちゃんをどうぞ>

より文献的に堅い=真蹟が現存するものとしては、その名も『諫暁八幡抄』というのがあって、字義通りやはり同じ論理で八幡神を怒鳴りつけている随想的文書なのだが、この中に、日蓮の八幡に対する思い入れの理由、と考えられることが触れられている。日蓮自身は『扶桑略記』から引いたと書いているが、現存の扶桑略記に当該箇所は見えないので、散逸部に含まれていたであろう『傳教大師傳』からの引用が元ネタと思われるのだが、要するに伝教大師最澄が宇佐八幡宮で法華経を講じたところ八幡神がその姿を現し、感謝の意として紫の衣を与えたという伝承を取り上げている。

これに対して日蓮は、八幡神は日蓮に対しても同じことをして然りであるのに、そうしていないからけしからん、逆に、そうしていないのは日本がけしからん国になり果てて八幡がその力を失っているからである……と大雑把に要約するとそのような意味のことを書いているのだが、ちょっと捩れ過ぎていて俄かには首肯し難い論理である。百歩譲って日本昔話的なその伝承を信じるとしても、普通はまず、自分が何か間違っているのではないか、と考えはしないか。いや、その普通でないところが日蓮の魅力なのではあるが。

ともかく、このような八幡に対する強い思いがあって、日蓮的には法華経信仰を以って八幡の法力を回復させることが、異国(いわゆる蒙古)からの脅威に対するに必要である、という考えもあって、曼荼羅に八幡大菩薩の名も記されるに至ったようなのであるが、むしろボクが問いたいのは、果たして八幡とやら(と敢えて言う)は日本の地祇を代表するに相応しいのか、という点にある。

少なくとも日蓮を含む彼の同時代人は、このことをまったく疑っていないように見えるし、ゆえに日蓮もそのことに改めて言及していないように思われることはここまで述べて来た通りだ。そして、それは現代人も同様であるようだ。何せ、十一万余あるとされる現存神社のうち、四万余が八幡を祀っていて、これはダントツのトップなのである。が、八幡が元来何者であるか、は現在に至るも、実は定説がないのである。

*     *     *

以下、このシリーズはボクの読書・随想メモ的に順序脈絡なくおかしなことが書かれていく予定。聡明な読者諸兄には大丈夫だとは思うが、真に受けないように、と予めお断りしておく。

つづく>>



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