八幡探訪(1)手向山八幡宮

2014/8/21 | 投稿者: ghost

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手向山八幡宮の縁起と、そこから想起される与太話を少々。

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<東大寺と鏡池(八幡池)>

手向山八幡宮とは何ぞや?という問いに対する最もシンプルな答えは、東大寺の鎮守なり、ということになる。

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<現在の手向山八幡宮参道の大鳥居>

『東大寺要録』によると、聖武天皇の大仏造営宣言(西暦743年)を受けて、現在の大分県宇佐市に祀られていた八幡神が「神我天神地祇乎率伊左奈比天。必成奉無。(八幡神が天神地祇を率いて必ず成就させましょう、の意)」との託宣、いわゆるお告げを下したこと、仏像の完成に必要となる金の産出を予言した(朝廷は唐から金を輸入しようとしたが八幡のお告げに留められ、直後に陸奥国で金がみつかった)こと、を受けて、大仏が無事完成したのは八幡神のお陰である、という理屈から、東大寺の守護神として八幡神を平城京南方の梨原宮に勧請したのが始まりとなる。

後にこの鎮守は上掲写真の鏡池(ゆえに八幡池とも呼ばれる)の畔に移座され、さらにこれを北条時頼が現在の手向山八幡宮に移したのだという。ホント、どこにでも出てくるのな最明寺殿。それはさておき。


東大寺要録は12世紀初頭成立の書物であり、上記の話はその時点から既に約400年も遡るエピソードということになるのだが、『続日本紀』にも天平勝宝元年(749年)に八幡神(が憑依したとされる禰宜尼≒巫女さん)が都にやって来て破格の待遇を受けた話が記録されているので、細かい部分はともかく、奈良の大仏造営にあたっては「八幡神(という言葉で表象されるところの何者か)」が何らかの役割を果たしたことは、広く歴史的な事実とされているところであり、この故事を受けて奈良市と宇佐市は友好都市関係を結んでいるし、2010年の平城京1300年祭には、宇佐八幡宮の神職行列が催されたりもしている。

以上の流れからすると8世紀半ばの時点で八幡神は天神地祇(と、ひとまとめにするのは本当はおかしいのだがここでは捨て置く)を代表する神として崇敬を受けていた、と考えたくなるところだが、実際はそうではない。八幡神は先行する日本史書である『古事記』『日本書紀』では一切言及されていない。つまり、天照や大国主のような国産み・国造の神ではない、ということになる。

続日本紀に限っても、聖武帝の大仏造営の詔から遡って12年前に初出するに過ぎない。八幡神はこの時点で、少なくとも奈良の都の人々からすれば“パッと出の神”だったのであり、むしろ、続日本紀や東大寺要録が持ち上げたから「天神地祇乎率伊左奈比」の神として扱われるようになった、と言った方が正しい。前稿で触れた、日蓮の十界曼荼羅に八幡大菩薩が登場する思想のルーツもここにある、と言ってしまって間違いにはならないだろう。

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<手向山八幡宮正門……って言い方でいいのかな?>

さて、これは何を意味しているのか。以下、過分に私見が混じることを断った上で書くが、そもそも日本の天皇というものは、現代の我々が思っているほど好き勝手に権力を行使できる至上の存在ではなく、むしろ歴史上のほとんどの時点において便宜上のお飾りに過ぎなかった。その中にあっても聖武帝は、例外的にリーダーシップを発揮し未曾有の大仏建立を成し遂げた賢帝、として扱われがち(そういう天皇があって欲しい、という後世から見た願望だよね、これ)ではないかとも思うのだが、実際には大仏造営事業は反対者や妨害者も多く一進一退であったことは続紀からも伺える。

詳細は省いて一気に結論に飛ぶと、どちらから歩み寄ったかは定かでないが、八幡神は、足下の反対勢力に対し聖武帝が我意を貫き通すための“外部権威”として担ぎ出された可能性が高い。なぜ八幡神か、という問題についてはここでは深く立ち入らずにおくが、聖武帝からすれば「かの神も応援するこの大事業をやり遂げようではないか」といった感じ。悪く言えば「え、オマエら、オレはともかく、神様にまで逆らうワケ?」みたいな。ここで「かの神」が古事記や日本書紀に登場する有名な神だと、記紀に記された内容とに齟齬を生じたり、その神を奉斎している利害関係者との調整が大変になるので、敢えて都では無名の神=宇佐八幡神を持ち出したのではないか、という推測である。

こう考える理由は2つあって、1つには、それまで宇佐にあってもそもそも何者かはっきりしていなかった(後日改めて論じたい)八幡神が、大仏造営後辺りの文献から唐突に「我是日本人皇第十六代誉田天皇(=応神天皇)」と言い出すこと。これを受けて、現在も一般に八幡神は応神天皇の霊である、ということになっているが、これはどう考えても後付の“箔付け”以外の何物でもあるまい。このような主張は、聖武帝およびその後継者と持ち持たれつの関係にある間でないと、そもそも思いつかないし、思いついてもなかなか言い出せない(自ら皇統を名乗り出るのは1つ間違えると自殺行為である)はずだ。

加えて、754年には前述の都にやって来た巫女を含む八幡関係者が厭魅(えんみ/人を呪うこと)の咎で流罪に処せられていること、さらにその直後に、宇佐神宮が八幡神がその旨を託宣したとして、朝廷から受け取っていた封土を返上していること。厭魅容疑と言えば、当時にあっては政敵を追い落とす常套手段なのであって、都にはパッと出の八幡関係者を快く思わない勢力も存在し、熾烈な権力闘争があったことがわかる。宇佐八幡側も、俄かに接近した中央権力との距離感に迷って、取り急ぎ先手を打って(朝廷側から領地没収を言い出されてしまうと、懲罰の記録となってしまうのを嫌ったのだろう)大袈裟な自粛行為に出たものと考えられる。これが功を奏し、宇佐八幡はこの件ではこれ以上の追求を免れている。

と、以上は現代的な、つまりは政治力学的な発想に基づく解釈であり、少なからず当事者たちも、結果論としてはそのように振舞ったのだろうと思うのだが、そこに至るまでの当事者たちの実際の思考過程はもう少し違ったのではないか、というのが本稿の本題である。これもボクが最近何となくそのように思っている、という以外に明確な根拠のない過分に飛躍した話ではあるのだが。

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<電波話の合間に水呑み鹿くんでもどーぞ>

日本における“神”という言葉は、具体的に何を指しているのか、少なくともここまで述べてきたような歴史の積み重ねが一人歩きして、たとえば鎌倉時代の「八幡神なる人格神が日本の地祇を代表して当然」という観念が生まれる以前の時代において、人々は“神”と言うときに何を想起していたのだろう、ということに思いを馳せてみるのだが、畢竟、日本人にとって神とは、個人から見てアンコントーラブルな意思すべて、だったのではないか、などと妄想している。ここには、いわゆるアニミズム的な天文気象疫病等の自然現象から社会心理的な集団としての意思までが含まれる。当時の科学技術では正確に把握することも予想することも困難であるが、確かに存在することは疑いなく、しかもひとたび動き出せば個々人には抗い難い何か。

ここまで述べて来た聖武帝の例で言えば、彼は決して冷めた即物的な目で神仏を政治利用したのではなく、存外、“神”(ここには外来の神祇と見做されていた“仏”も含まれる)の存在を真剣に前提としていて、本質的にアンコントローラブルなそれを、大仏造営や八幡神の勧請という手段で以って、少なくとも彼の臣下の目線から見る限りにおいては“神”が彼の意思を支持し、また彼が“神”をコントロールしているように見えるよう尽力したのではなかったか。かつ、自らがそのように言動していることもまた“神”の意思であると思い込んでいたのではないか。

対する宇佐神宮関係者もまた、都の権力闘争に翻弄される中で、個々人の思いとは関係なく否応なく“神”として応じざるを得ない集団としての意思を、八幡神の託宣や禰宜尼への憑依という形で表現し、また、自身もそれこそが“神”の意思であると真剣に信じていたのではないか。臣下も万民もまた“神”の存在を前提しており、それに期待するとともに恐れもしているわけだから、これをコントロールする(少なくともしているように見える)者こそが王なのであり、裏を返せば、王臣が“神”をさもコントロールできているように振舞うことこそが、そのまま万民の安寧とイコールだったのではないか、という、まぁ、妄想である。

とは言え、まったく無根拠でこんなことを言っているワケでもない。本シリーズで追々触れていくことになると思うが、狭くは八幡神の、広くは日本の神仏の縁起というのは、多くの場合、現代目線で振り返れば政治目的の利用であることがあからさまなものが大多数であり、しかしながら同時に、その政治利用が後に既成事実化して自己増殖することの繰り返しだからである。もちろん、中には少なからず無神論的、唯物論的な人間もいて、そういった流れを冷ややかに見ていたかも知れないが、全体としての流れ(これもある意味、日本においては“神”と呼ばれる)は、今日まで大きくは変化していない。

そのように考えるとき、いわゆる神道の諸々の儀礼というものは、アンコントローラブルな“神”をコントロールする、コントロールしたように見せる、コントロール下にあると(施術者も含めて)皆で思い込んで安心するための技術なのであって、神仏習合現象とは、古来神道(と、この時点で呼ぶのは正しくないのだが、捨て置く)のみによっていたこの技術が限界に達したため、仏教の理論を吸収し、その果てに庇を貸して母屋を乗っ取られていった過程なのではないか、等と考えてみたりもしているのであるが……まぁ、結論は急ぐまい。

つづく>>



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