どんなものでも神にする話

2014/9/3 | 投稿者: ghost

先の石清水八幡宮探訪に際しては、京都方面の八幡神とは関係のない、それでいて(個人的に)興味深いと感じる社寺をいくつか巡ってみた。以下、薄いものから濃いものへ(?)と備忘していく。

「日本人はどんなことでも道(どう)にする」というのは、まさにその通りだ、と思いつつ、かつ、これは誰が最初に言い出したんだろう、と思うのだが、ボク自身の初見は『トンデモ本の逆襲』(と学会編/洋泉社,1996年)の中で植木不等式氏が『将兵論』(松本道弘著/たま出版,1985年)への書評中で書いていたもの(氏自身も「と言ったひとがいたように思う」としている、ちなみに死ぬほど笑うので機会があれば是非読んで欲しい)なのだが、それに準えて言えば「日本人はどんなものでも神にする」というのが本稿の趣旨。もう既にこの書き出しが出オチのような気がしないでもない。

で、最初は「蚕」である。

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<木嶋坐天照御魂神社>

このしまにますあまてるみたまじんじゃ、と読む。誤解のないように先に言っておくと、当社は『延喜式』『続日本紀』にもその名を記される由緒正しい社で、以降紹介する電波物件(ぉぃ)とは性格を異にするのであるが。

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<お手水に「かいこのやしろ」と読める>

京福電鉄の駅名にもなっているので知っている人は知っていると思うが「かいこのやしろ」あるいは「蚕神社」の別名の方でむしろ親しまれているのが面白い。


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<同社縁起>

名前だけにつられて来てみたら、結構真面目な話でガッカリなのである(ぉぃ)。何はともあれ、ここは遥かな昔、海を渡っていろいろな文物を我々の祖先にもたらしてくれた渡来人たちに感謝の念を捧げ、サラッと流して終わりにしよう。

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<ちなみに、本殿脇にひっそりあるのが蚕神社本体>

同じく名前(これも京福電鉄の駅名になっている)に釣られて行ってみたら、別の意味でおかしかったのがこちら。

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<車折神社縁起>

くるまざき、と言うから、道鏡ではないが(ま、彼は生を全うしたんだけども)簒奪や弑逆の罪に適用されたという八つ裂き刑を期待して(ぉぃ)行ってみたら、全然違った。っつーか、何を期待してたんだ、ボク?

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<この恐るべきマネタイズはあやかりたいものである>

縁起にも「神社の小石を待ち帰り家に納め満願の際この石数を倍にして神社にかえし」とあるが、この石が「五百円より」となっているところに痺れるのである、憧れるのである。何か真面目に働くのが阿呆らしくなってくるではないか、いや、あんまり真面目に働いてないけど。

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<ここは「芸能神社」でもあるらしい……好きにしてくれ>

そう言えばブルゴーニュで芸事の守護聖人を祀っている教会があったな、等と思い出しつつ、あちらにはこういう習俗はないように思うが、社を取り囲む奉納記名に、紛うことなきビッグネームと「オマエ誰やねん?」的な名前が分け隔てなく入り混じっているのがそこはかとなくおかしい。これは「神様は奉納者を差別しません」という意図の表れなのか、あるいは神社側が単に世間に疎いからなのか。

さて、次に見るのは(まぁ、コレが本稿のメインディッシュなのであるが)限りなく電波ゆんゆん物件だが、実は上記二社よりも宗教的観点からはまともである、という稀有な例である。

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<飛行神社>

石清水八幡宮のすぐそばにある。名前も外見もその名の通りブッ飛んでいるのだが、由来縁起は至って真面目なのである。

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<飛行神社縁起>

ライト兄弟に平行して飛行技術を研究していた二宮忠八氏が、その後の航空技術による死者に心を痛めて私財で以ってその霊を鎮魂すべく建立した、と縁起では述べている。その志は真っ当、というか、むしろ敬意を払うべきことではなかろうか。

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<御神体(違っ!!)たるJ79-GEターボジェットエンジン>

しかしである。門前に、よりにもよってF-104J戦闘機用ターボジェットエンジンが祀られて(?)いるというのは、いささか自語相違の感がなきにしもあらず。

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<なぜこうなったのか問う気にもなれない拝殿>

しかし、一番面白いのは(そこだけは個人情報保護の観点からか撮影禁止が明記されていたのだが)奉納されている大量の絵馬なのであって、その多くは、航空関係会社への就職祈願である。この神社にそういう祈願をする気になるような人が、職業的に空の安全に関わって本当に大丈夫なのか?という気もするのだが、中には「フィンエアかキャセイパシフィックに就職できますように」といった、もう謙虚なのか強欲なのかよくわからない願文もあって、ちょっと眩暈を覚えたのである。

さて、最後は神社ではなく寺院なのであるが。

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<本法寺とその縁起>

先に紹介した鍋かぶり日親開基と伝えられる日蓮宗寺院である。日親が極めて日蓮原理主義に忠実なエピソードを残していることに対して、なし崩し的神仏習合してしまっているのがありありとわかる残念な寺ではあるのだが、その日親が自ら書写した十界曼荼羅があるとのことなので、ちょっと見てみたくなって行ったのだった。

結論から言うと、お目当てのそれは残念ながら見れなかった(宝物館の展示物はローテーションしていて、公表されている所蔵物がすべて常に見られるワケではない、との説明を受けた)のだが、代わりに日親所縁のこんなものがあった。

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<日親の説法石>

この石の上に座して、日親が祖師日蓮を彷彿とさせる法華一乗、他宗排斥を訴える説法をおこなったのだ、と伝えられる。もちろん、上掲碑文は江戸時代のものであるからして、どこまで本当なのかは不明であるが、少なくとも江戸時代には日親の事跡にシンパシーを感じる京都の町衆がいた、ということではあるのだろう。

それに際して不意に頭に浮かんだ疑問なのだが、本稿とはほとんど関係ないが書き留めないと自分で忘れてしまうのでこうして備忘するのだが、日親を含む日蓮原理主義者がしばしば庶民にウケたのは、祖師に倣って彼らが権力批判に躊躇しなかったからだろう、と理解している。

日蓮の『立正安国論』の有名な一節に「夫れ釈迦の以前仏教は其の罪を斬ると雖も能忍の以後経説は則ち其の施を止む」というのがある。各種の国難の真因が(日蓮から見て)誤った仏教を説いている僧がいるからだ、との日蓮の主張に対し、文中の客(具体的には最明寺殿こと北条時頼を代弁する登場人物)が、おまえは僧を斬れとでも言うのか、と反問するのに対して上引用の答えが返される。意味としては、誤った教えを説く僧に対しては、釈迦以前は斬っていたかも知れないけれども、現在はその僧に対する資金提供を止めるのです、になる。

法華経原理主義と解されてしまうがゆえに、しばしばイスラム原理主義などと混同されて過激派扱いされる日蓮ではあるが、その実は、主著で言っていることは(その妥当性はともかく)至極穏当なのであって、現代風に言えば、幕府に対しても俗人に対しても「宗教に対する根拠不明瞭な支出を止めろ」なのである。これは後世誤解されたり曲解されたりすることの多い日蓮に対し強いシンパシーを抱くボクとしては、多くの人に知っておいて欲しいポイントではある。

それはともかくとして、日蓮自身の真意はとりあえず棚上げして、これを後世の人が読んだとき、たとえば江戸時代の京都の町衆であるとか一農民の立場で読むと「徳川家の宗旨は浄土宗であり、祖師に従えば念仏無間地獄であるから“其の施を止む”べきである、よって幕府に税を納める必要はない」という読み替えも可能に思われる。実際、いわゆる不受不施義がそれを言っているワケだが、彼ら=不受不施派の僧が言っているのは「幕府からは禄を受け取らないし、信者以外からは供養を受けない」なのであって、権力に対する不服従であることは確かで、それゆえに幕府からも邪宗門扱いされたワケだが、一方で、日蓮や日親のような権力そのものを批判するラディカルさは失われている。ぶっちゃけ、自分らの食い扶持さえ確保できれば後知らね、的な。

で、逆に庶民レベルにおけるそういう運動、つまり日蓮信仰を依りどころとした年貢や諸税の不納運動ってあったのだろうか、というのがボクが抱いた疑問。一向一揆(浄土真宗)と並んで法華一揆という言葉がある(ちなみに京都の町衆が絡む天文法華一揆は、ここで言っている話とはいささか異なる論理によるものである)が、少なくとも一般読者向け出版は前者関連が圧倒的に多いように思うので、後者の思想背景を含む詳細がボクにはよくわからない。江戸時代に日親の説法石を顕彰した人たちにも、そういう思いがあったのだろうか。誰かいい書籍とか論文をご存知なら、ご教示賜りたいところである。

あ、そういえば本法寺で、日親さんが終生かぶっていたという鍋もあるのか、訊くの忘れてた!!



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