八幡探訪(灘)神功皇后伝説考

2014/10/28 | 投稿者: ghost

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先の日曜日の話になるのだが、神戸市は東灘区から灘区にかけて八幡関連を歩いて来た。


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<一昨日の探訪経路>

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<若宮八幡神社@御影>

まずは、阪急電鉄御影駅北の高級住宅街の中にひっそり佇むこちら。地名を冠さず“若宮”と名乗っているが、どうも力点が応神天皇霊と共に若宮、すなわち仁徳天皇霊を合わせて勧請したことにあるからのようである。


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<同社伝>

興味深いのは、八幡を名乗りながら社伝が住吉系の由緒、つまり神功皇后つながりで、その息子である応神、孫である仁徳を勧請したのだ、と述べている点だ。これが今日の本題である。

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<同社殿>

ここしばらく阪神間の八幡神社を巡ってみて、同じ八幡神社でも大きく分けて(それが本当であるかどうかはともかくとして)四系統の由来が主張されているように見えることに気付いた。

最大多数なのは、室町時代後期から江戸時代にかけて村の鎮守として石清水から勧請された、と伝える、言葉は悪いが平凡なケース。そこからさらに派生勧請された孫社も含めて、ボクの近所の八幡社は概ねこれに当たる。

順序を乱して先にマイナーな方に触れておくと、語義的には純正統となる宇佐八幡宮からの直接勧請を主張するのは筒井社、六甲社。未訪だが筒井社南方にもう1つあるようだ。明らかに地域的にまとまっているように見えるので、おそらくは中世荘園の寄進関係に由来するのだと思うのだが、本日は捨て置く。

もう1つの少数派は元来近接寺院の鎮守であったことに由来するもので、いささかブッ飛んだ縁起を主張している熊内社、神社自身よりもその立地の方に由緒があった荒田社などがこれに当たる。

最後に、多数派についで多いのが、本稿冒頭の若宮社同様に神功皇后伝説と何らかの関わりを主張する社伝である。

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<東明八幡神社>

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<同社伝>

国道43号線、すなわち旧西国街道に面する東明社は、同じく43号線に面する魚崎社同様に、神功皇后の三韓征伐の帰路にまつわる由緒を主張している。

この分類の八幡社には、伝説への関係度の主張の濃淡にかなり広い幅が見られる。東明社は魚崎社と比べると一歩踏み込んでいて、具体的に武内宿禰(たけのうちのすくね、自身祭神とされることもある、神功、応神を含む五代の天皇に仕えたとされる伝説の忠臣)の名前を持ち出している。一方で、たとえば七松社のように、知っている人が聞けばそうだとわかる程度に改題されたと思しき由緒もある。

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<同社殿>

疑いなくこれは、東から順に廣田社生田社長田社と連なる兵庫県下の式内三大神社の影響であろう。以上の三社はそれぞれ微妙に祭神が異なるものの、神功皇后の三韓征伐にまるわる社殿を有している点では共通している。また、そもそも神戸市の“神戸”は、生田社の神戸(かんべ、神社を経済的に支えるべく朝廷から下賜された農村)であったことに由来するのであるから、生田社を中心に、同心円状に濃淡を有しつつもその由緒にあやかろうとする神社が分布するのは、なるほどさもありなん、と合点のいくところではある。

むしろ興味をそそられるのは、この生田社を中心とする神功皇后伝説の影響圏はどこまで広がっているのだろう、という疑問である。東方向については、尼崎城下の変奏曲を除けば、どうも廣田社自身が東限になっているように見える。これは、同社自身が八幡神を祭神として勧請していることとも関係するのかも知れないが、さらに東進すると同じ神功皇后伝説系の大阪の住吉社の勢力圏にぶつかる、ということもあるのかも知れない。この観点からすると、本稿冒頭の若宮社は、生田勢力圏内で住吉由来を主張する異端、ということになるのだろうか。個人的には、生田も住吉もゴチャ混ぜに扱われているだけ、のような気がしないでもないのだが。

西方向については、今のところボクの探訪が長田社を西端としているので、今後探索範囲を広げていって確認してみたいと思っているところである。まぁ、別に行かなくても調べりゃわかる、と言ってしまえばそれまでなのだが、フランスのロマネスク教会巡りもそうだが、行ってみて初めて覚える霊感のようなものがあるのだ。いや、ウソ。単に他に暇潰しがないからなんだけども。

*     *     *

この日、訪った神社の1つに、以上に述べてきたことと微妙に関わっている神社があるので、厳密には八幡神社ではないのだが取り上げておこうと思う。

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<弓弦羽神社>

これで「ゆづるは」と読む。なんでも先の冬季五輪の際に、名前の雰囲気が似ているからというだけの理由でフィギュアスケートの羽生結弦選手のファンが必勝祈願に押しかけて大騒ぎになったそうだが、それはさておき。

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<同社殿、巫女さんが居るのは結婚式をやってたから>

同社は廣田社、生田社、長田社同様に神功皇后伝説を由緒とする神社なのであるが、祭神が遥か紀伊国の熊野三神という、不思議な神社である。しかも、前掲三社がいずれも三韓征伐帰路にまつわる社殿を有しているのに対し、往路に必勝を祈願したとする由緒を主張しているのが興味深い。

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<八咫烏つながりでサッカーボールの御影石碑がある>

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<摂社に他十一柱とともに八幡神も祀られている>

社殿を素直に信じると、同社の創起は8世紀末ということになる。これがその通りであろうがなかろうが、式内三社の成立後に生まれたことは確実で、とすると、存外当社は後に周辺に林立するところの神功皇后伝説を謳う八幡神社のプロトタイプ、と言えるのかも知れない。

つまり、外来の神(ここでは熊野三神、また中世末開拓時代の当地における八幡神)の権威を掲げる勢力が新しい土地に根を張るに際しては、既にその地に根を下ろしている信仰に対して、多少牽強付会であろうとも何らかの関係を謳うことが求められたのだろう、ということなのだが、この辺は、他ならぬ八幡神の宇佐の地における誕生とも通底しているようにも思われる。まぁ、今日はそこは本題ではないので、立ち入らずに終わる。

つづく……のか?>>



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