日蓮『諫暁八幡抄』を読む(3)

2015/1/6 | 投稿者: ghost

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前稿末で触れた、秘すべし秘すべし、に続いて、有る経の中に、と断りを入れた上で以下のようなことが述べられている。

神々を集めて釈迦が言った。釈迦の教えを守る人がいて、この人を王や民が虐げることがあったとする。このとき神々がこの人を守らず、返って狂った王や民の味方をするようなことがあったら、上位の神である梵天が四天王に申し付けてきっと罰を加える。もし、梵天がこの任を怠ることがあるなら、梵天自身にも罰が下る。その上、仏から絶縁され永く無間の地獄に沈むことになる。これに対して神々は起請文を書いて釈迦に、必ずそのようにしますと誓いました……

まず結論から言うと、この“有る経”、すなわち仏典のことであるが、これは存在しない。なので、厳密には日蓮のこの引用モドキは偽経の類、ということになるのだが、ここで述べられているところの、この世界の秩序を釈迦を頂点とした官僚機構であるかのように把握する世界観、いわゆる釈尊御領観は大乗仏教に散見されるものであり、まったくの日蓮の創作というワケではない。

思うに、本抄が、きっかけとなった鶴岡八幡宮の大火の報を受けて極めて短い期間に一気呵成に書き上げられたがゆえに、本来出典明示して正しく引用すべきところが抄訳的にこのような書き方になったのではないか、または、該当する仏典が弟子の誰かに貸し出し中で手元になかったけれどもこの考え方に言及せずにはいられなかったのではないか、という気がするのだが、いささか脇の甘い書き方だと評せざるを得ない。もし、本抄が他門流の僧の目に触れ論戦となったら、それが適正であるか否かはさておき、まず最初に突かれるのはこういう部分であるからだ。

一方で、ここに見られる日蓮の人間臭さ、というものにはちょっと共感してみたりもするのである。おかしな類比であることは百も承知で言うが、特に最近は、何か人目を惹きそうなニュースがあると、やろうと思えばできる下調べを怠って大慌てで半可通なことをネット上に書き飛ばし、引くに引けなくなる人がたくさんいるではないか。日蓮がそうだ、というワケではないが、僧侶として、形式論的には本来正しく引用すべき仏典を、そうする手間を惜しんでも鶴岡八幡宮が炎上した今この時、まさにホットなこの瞬間に、言いたいことを言ってしまいたいという衝動には、日蓮といえども抗うことが出来なかったのであろう。


上に示したような日蓮の神観念、釈尊御領観は、いちいち例を引くのも面倒になるほど日蓮遺文に頻出する(と、ボクも日蓮に倣ってお茶を濁そう)ので、それも背景にあってこういうことになっていると思うのだが、とにかく、日蓮が神(ここには広い意味で、天皇や国主も含まれるのだが)をそういうもの、つまり、神といえども釈迦の権威に依存しているのであり、仏の教えに違背することはあってはならないし、断じて許さない、と考えていたことは押さえておく必要がある。

また、続く一文には、日本小国の王となり神となり給うは、小乗には三賢の菩薩・大乗には十信・法華には名字五品の菩薩なり、と見え、そもそも王や神が今そうであるのは、彼らが仏の教えをかつて奉じて徳を積んだからなのだ、という理論付けがなされる。ここで敢えて“日本小国”という表現が用いられているが、これも同様の表現が日蓮遺文中に頻出しており、日蓮の釈尊御領観のスケールが、日本という島国の枠に捉われないもっと大きなものであることを示威している。まぁ、現実の彼の境遇を思えばいささか強がりな感がなきにしもあらず、ではあるが、その志や良し、と、とりあえずはしておこう。

で、いよいよその矛先が八幡神へ向けられるのである。

その冒頭に登場するのが、八幡探訪シリーズの冒頭で紹介した、日蓮自身は『扶桑略記』から引用したと言っている、八幡神が法華経を講じた伝教大師最澄に袈裟を与えたという伝説である。つまるところ、いきなり責め立てるのではなく、まずは「なぁ八幡さん、あんた、ホンマは法華経の行者の守護者なんやろ?」みたいな宥め賺しから始まっているところに、物書きとしての日蓮のセンスが光っているように思う。以降、しばらく八幡神に対する“ヨイショ”が続くのであるが、まさにここに彼の八幡観が見て取れるので、じっくり読んでいくことにしよう。

まず、八幡は人王第十六代応神天皇なり、の文言が目を引く。八幡探訪シリーズで繰り返し言及したように、ボクの(そして現代八幡研究者の多くの)考えでは八幡神=応神天皇というのは、明らかに後付け設定なのであるが、どうやら日蓮は言葉通りに受け取っていたようである。八幡神の由来を考えるにあたって、日蓮が参照した前述の略記を始めとする文献群と現代の我々のそれとの間には、さほど大きな差異があるワケではないから、彼にも我々同様に「八幡神=応神天皇?流石にそれはないわwww」と疑う機会は十二分にあったように思うのだが、やはりこれは鎌倉時代人としての彼の限界だろうか。

一方で、これは日蓮節の炸裂だなぁ、と思うのが、続く、其の時は仏経無かりしかば、此に袈裟衣有るべからず、である。つまり、日蓮の関心の中心は、八幡神が何者か、ではなく、最澄に与えたという袈裟の出所に向っている。彼は疑いなく『六国史』等も通読している当時としては傑出した知識人なので、応神天皇の御世にはまだ我が国に仏教が公伝していないことを承知しており、ゆえに、応神天皇は袈裟など持っていないし知りもしなかったはずだ、と言うのだ。

だったら、八幡神=応神天皇説をまず疑おうよwww

失敬。しかし日蓮のこの方向の思弁は止まらないのである。

人王第三十代欽明天皇の治三十二年に神と顕れ給い、其れより已来、弘仁五年までは禰宜・祝等次第に宝殿を守護す。何の王の時・此の袈裟を納めける、と意へし。而して禰宜等云く元来見ず聞かず等云云。此の大菩薩、いかにしてか此の袈裟・衣は持ち給いけるぞ。不思議なり、不思議なり。

欽明天皇三十二年、というのは西暦でいうと571年に当たり、いわゆる宇佐神宮は菱形池に八幡神が顕現したという年である。それも当然で、これは略記に載っている話なのであって、日蓮もその略記を元にコレを書いたからである。当然なのではあるが、七百年以上前を生きた稀代の名僧と同じ文献を読んでそれに言及している、というのは、何と言うか、ワクワクしてくるではないか。え、ボクだけ?

それはともかく、ここでも日蓮の関心は袈裟の出所に向けられていて、宇佐宮の神職たちも、件の袈裟の出所を知らないと書いているのだが、そりゃ知るワケないだろう、と突っ込みたくなるのだが、特に末尾のリフレインは、意図的なギャグでやっているのだとしたら、ちょっと反則的に面白過ぎる。もちろん、そんなワケはないのだが、先の秘すべし、秘すべし、の直後から全然秘してないところも合わせて鑑みるに、日蓮の心の片隅に読者をしてちょっと笑わせてやろう、という茶目っ気がまったくなかったとも言い切れまい。

と言うか、このように書き散らかしているボク自身がそうだから余計にそのように考えてしまうのかも知れないが、誰に理解されずとも、こういう書き物をするのはこの上なく楽しいし、書いている本人は、何というかこの書き飛ばしのリズム感、というかグルーヴ感に酔うのである。で、酔っているうちに、ちょっと読み手を笑わしてやろう、みたいなノリになってしまうのである。うーん、なんか田川建三先生のヨハネ漫才をやってる気分になってきたな。

続いて日蓮が呈するのは、宇佐神宮には古来法華経写本を収めた神宮寺が付属していて、当然そこでは、たとえ形骸化したものであったにせよ、その講義もおこなわれていたはずである、と。にもかかわらず、八幡神が最澄に袈裟を与えた際に、我法音を聞かずして久しく年歳を歴る、つまり、(最澄が講じた正しい)仏の教えを長く聞くことがないまま歳月を重ねてしまいました、と託宣したとされるのはおかしいではないか、という問い。無論これは、彼自身が既に答えを持っていて、読者の関心を引き寄せるべく発している問いである。そして、その答えはこうだ。

当に知るべし。伝教大師已前は法華経の文字のみ読みけれども、其の義はいまだ顕れざりけるか。

さて、ここまで書いてきた気分の高揚もあって、今ボクは恐れ多くも日蓮に小一時間ほどお説教をしたい気分満々なのであるが、それはどういうことか、上記引用部にどのような突っ込みどころがあるというのか。これも日蓮に倣って、問いを放って一旦ここで終わっておくことにする。まぁ、読者諸兄(そもそも居るのか?)の関心を引き寄せられるとは正直思っていないのだが、書いているボクが楽しいのだから、それでいいのである。

1月4日に午後に至って全稿書き終え、序+連載12回+結になることが確定した。というワケで、酔狂な諸兄は今しばらく電波ゆんゆんにお付き合いあれかし。

つづく>>



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