日蓮『諫暁八幡抄』を読む(6)

2015/1/12 | 投稿者: ghost

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俗に、可愛さ余って憎さ百倍、と言うが、以降の日蓮の論からもそれに近い感を受ける。

彼が、当時一般的に信じられていた八幡神観念を概ね共有していたことはここまで見て来た通りである。一方で、彼の神祇観は、一般的な日本人のそれとは異なり……と言うか、私見では、彼の研ぎ澄まされた神祇観こそが古来日本人が有していたそれなのであり、多くの人々がそれを存外いい加減に扱っていたのに対し、日蓮は徹底的にそれを貫こうとした、とすら言えるのであるが……あくまでも人間の側を主体とした上で神のあるべき姿を規定し、そこから神が逸脱するように見えれば論難を辞さない、という積極的なそれであった。

日蓮が、八幡神を、現代の我々が漫画的に思い浮かべるような人の形を模した人格神として観念していたかについては疑問が残るが、少なくとも、彼が、八幡神(という言葉で表象されるところのこの世界の秩序、在り様)に対し、過度な期待を寄せていたことは明らかであろうと思う。ゆえに、その期待が裏切られたときの反動もまた、大きいのである。

以下、日蓮の八幡神に対する論難を追ってみる。

まず、八幡神は法華経の座においてその行者の守護を起請したのに、その義務を果たしていない、とされる。ここで初出に際してサラッと読み流していた“起請(きしょう)”という語の意味を押さえておきたいのであるが、これは、神仏の前で何らかの誓いを立てること、をいう。一般的には、起請の内容を特別に誂えた紙に清書し、起請文(きしょうもん)とする。

近代まで、日本の裁判においては、疑いをかけられた者が身の潔白を主張する起請文を書き、それを以って無罪の証明とすることがままあった。この紙にはその地域で崇敬される神仏の印などが押されていて、そこに嘘偽りの起請を書いた者に対しては神仏から然るべき報いがあるのだから、一旦起請文を書いた以上はこれを人間社会の論理で裁く必要はない、とする考え方である。実はこれは、前稿で触れたX{P(A=B)}の聖性と、本質的には同じことを言っている。佐藤弘夫先生のこちらの書籍が詳しいので、興味のある方はご参照あれかし。

さて、ここで日蓮が言っているのも同様の論理に基づいている。無論、八幡神なる何者かが、そのような起請をおこなったことを証明する事実は何もないのであって、これは日蓮が手前勝手に言っている話に過ぎないのではあるが、少なくとも日蓮門下内では、また、広くは本地垂迹説を受容していた当時の人々の間では、天神地祇は仏法に縁あって神となったに違いないのであるから、釈迦に対して何らかの誓約をおこなったはずである、という考え方……これは明らかに循環論法なのではあるが……は、さほど突飛なものでもなかったようである。


この観念は、公家であれば朝廷から与えられた位階に応じた国家への奉仕義務、武家であれば幕府から安堵された所領に応じた奉公義務、町人であれば受領した金銭に応じた納品・就労義務、百姓であれば支配者によってもたらされる秩序安寧に対する納税義務、といった、当時の日本人(時代・地域ともに限った話でもないが)が長く極自然なものとして受け入れていた倫理観と対応していた、という言い方も出来るだろう。

逆に言えば、神もまた、人間のそれとまったく同じではないにせよ、何らかの義務と権利の連鎖の中に住まうのだ、と、かなりのリアリティをもって信じられていた、ということであり、冒頭で述べた日蓮の神観念は、普通の人が適当なところで追求をやめてしまうそれを、徹底的に突き詰めたものだ、と言ってもいい。

ここからは日蓮得意の、故実を引いての論証(厳密な意味での論証にはなっていないが、これについてはここでは捨て置く)が始まる。

まず、欽明、敏達、用明の三天皇が、物部守屋にそそのかされて(と日蓮は認識しているようである)寺院仏像を焼いたり僧尼を責めたりしたがために、疫病が起こって多くの人が死に、三天皇と守屋自身もまた疫病や敗戦で死んだ、と。このとき、日本で百八十の神社が焼けたが、これは釈迦に起請した天神地祇が仏教の守護を怠ったからだ、とされる。

次に、前述した天台宗の密教化は真言による法華の侵害であり、これは小臣が王に反逆するに等しく、これを治罰しなかった新羅大明神の宝殿がたびたび火事にあうのも同じ理由だ、と言っている。続けて、今八幡大菩薩は、法華経の大怨敵を守護して、天火に焼かれ給いぬるか、と件の鶴岡八幡宮の焼失に暗に結び付けている。

次に、秦の始皇帝(おいおい、何処まで行くんだ?)の先祖に襄王があって、死後は神となって始皇帝の覇業を助けたが、始皇帝が慢心を起こして焚書坑儒に走ったのを諌めなかった。後に沛公(漢の高祖・劉邦)が立つにあたり剣で以って大蛇を斬るが、この大蛇が始皇帝を諌めなかった襄王なのであり、よって秦は滅びたのであり、平氏の氏神厳島大明神が驕れる平家を諌めなかったがために、天照(朝廷)と八幡(源氏)によって滅ぼされたのも同様なのである……とか。

思うに、日蓮の主観としては、以上の事柄を通して、起請に対する義務=法華経の行者(日蓮)の守護を怠っている八幡神に対し、こういう末路に陥りたくなければすみやかに義務を果たせ、と脅しているつもりなのであろう。それにしては、その話の中で八幡自身が、驕れる平家を諌めなかった厳島大明神に対する攻め手として登場しているのがそこはかとなくおかしいのではあるが、書いている本人は至って真剣である。続く部分からもそれを読み取ることが出来る。

次段において日蓮は、法華経を引きながら、法華経が仏の教えの眼目であり、その行者たる自身こそが日本の眼目であると宣言する。ゆえに、その日蓮を損なおうとする者たちは日本の眼目を損なおうとする者であり……なんだか又吉イエス氏の主張を紹介しているような気分になってきたなぁ……本来は彼らを八幡神が治罰すべきであるのに、あろうことか守護しているのはどういうことか、と詰問する。

次下は、日蓮自身の経験に言及していてより真に迫っているので、ちょっと引いてみたい。

去ぬる弘長と、又去ぬる文永八年九月の十二日に、日蓮一分の失なくして南無妙法蓮華経と申す大科に、国主のはからいとして八幡大菩薩の御前にひきはらせて、一国の謗法の者どもにわらわせ給いしは、あに八幡大菩薩の大科にあらずや。

ここで言う“弘長”は弘長元年(1261年)の伊豆へ流罪追放、そして“文永八年九月の十二日”(1271年)は、もう想像がつくと思うが、彼があわや斬首されかけた事件を指している。つまり、ここで、国主=時の執権北条時宗、実態としてはその執事であった平頼綱の命によって八幡大菩薩の前に引き出されて、謗法の者(日蓮の敵対者)どもに笑わせた、と言っているのは、件の『種種御振舞御書』に見える鶴岡八幡宮前での出来事、まさにそれである。

既に述べたように、同書は真贋定かでないものではあるが、参考までにその一節を引いてみよう。

さては十二日の夜、武蔵守殿のあづかりにて夜半に及び頚を切らんがために鎌倉をいでしに、わかみやこうぢにうちいでて、四方に兵のうちつつみてありしかども、日蓮云く各各さわがせ給うな。べちの事はなし。八幡大菩薩に最後に申すべき事ありとて、馬よりさしをりて高声に申すやう。いかに八幡大菩薩はまことの神か。和気清丸が頚を刎られんとせし時は長一丈の月と顕われさせ給い、伝教大師の法華経をかうぜさせ給いし時はむらさきの袈裟を御布施にさづけさせ給いき。
(種種御振舞御書)

こうして比較すると、やはり御振舞御書は『諫暁八幡抄』の論理を元ネタに後世に、それもかなり日蓮の事跡や思考方法に通じた何者かによって偽作されたものであろうなぁ、という確信が深まってくる。

もう少し厳密に言うと、御振舞御書は日蓮自身の手になる三編の遺文を下敷きに脚色を加えて編まれたものであろう、というのが文献考証家の間では定説になっているのだが、これは本筋ではないので捨て置く。

諫暁八幡抄の趣意に沿えば、あわや斬首の砌に鶴岡八幡宮前で敵対勢力に対して晒し者にされたことを日蓮はかなり根に持っているが、そのことで、八幡大菩薩の大科にあらずや、と八幡神を責め立てているのは、あくまでも本抄執筆時点のことになる。対して、これを元ネタとする御振舞御書では、この日蓮の八幡神に対する抗議表明を、事件の時点に遡らせて(しかもかなり芝居地味た演出を加えて)語らせている。

ところで、ボク自身、今の今まで気付かなかったのだが、御振舞御書中の日蓮の八幡神に対する異議申し立ての冒頭に、和気清丸が頚を刎られんとせし時は長一丈の月と顕われさせ給い、とあるのは、なかなかに興味深いものがある。歴史的事実として清丸=和気清麻呂が斬首されかかった、という話はないはず(後世に創作された伝説としては、ある)であるが、それはさておき。御振舞御書の筆者は、斬首されかかった清麻呂を月に変じた八幡神が救ったのだ、としている。これは明らかに同書中で言われる日蓮危機一髪のシーン、すなわち、

江のしまのかたより月のごとく、ひかりたる物まりのやうにて辰巳のかたより戌亥のかたへひかりわたる。十二日の夜のあけぐれ人の面もみへざりしが、物のひかり、月よのやうにて人人の面もみなみゆ。太刀取目くらみ、たふれ臥し、兵共おぢ怖れ、けうさめて一町計りはせのき、或は馬よりをりてかしこまり、或は馬の上にてうずくまれるもあり。日蓮申すやう。いかにとのばら、かかる大禍ある召人にはとをのくぞ。近く打ちよれや、打ちよれやと、たかだかとよばわれども、いそぎよる人もなし。
(種種御振舞御書)

に、対応している。大雑把に意訳してみよう。

江ノ島の方から“月”のように光る鞠のようなものが、南東から北西に向って光渡った。この日の明け方は暗くて人の顔も見えなかったが、この光る物のため月夜のように皆の顔が見えた。斬首の役人は目が眩んで倒れ、他の兵も恐れおののいて100メートルほど退いた。あるいは馬から降りて日蓮を拝礼する者や、降りなくとも馬上でうずくまったりした。日蓮はいった。「武士の諸君、どうしたというのか。これほどの大罪人から恐れ遠のくとは?さぁ、打ち寄って来なさい!」と声高々に呼ばわってみたが、誰も近寄ってこようとはしなかった。

……何と言うか、痛快である。ライトノベルのワンシーンのようだ。実際、ボクはこの下りは元来、江戸時代に日蓮宗寺院の町衆に対する出開帳(普段秘蔵している本尊を町へ持ち出し、これへの参拝を促して喜捨を求めるイベント)にしばしば付随しておこなわれた、日蓮伝記に題材を求めた歌舞伎芝居や人形浄瑠璃の脚本として考案されたものだと思っている。実は、その芝居の方がもっと荒唐無稽で、日蓮が四条金吾(も、この手の芝居で人気のあったキャラらしい)を伴って大陸に渡り大元皇帝フビライ=ハーンと対決する、みたいな、八幡伝説も顔負けの凄いのがあったようだが、それはさておき。

前述したように、御振舞御書はとても良く出来ていて、筆者は間違いなく日蓮の事跡や思考様式にかなり深く通じていたと思うのだが、ここで大きなプロットミスを犯しているように思う。どういうことかというと、清丸の逸話と光り物の下りを合わせて読めば、斬首の危機から日蓮を救ったのは、他ならぬ八幡神だったということになってしまうのだ。が、既におわかりのように、日蓮は本抄を通じて八幡神に対し、首の座において日蓮を敵対者の笑い者にしたのは八幡神の罪である、と抗議している。つまり、現実の日蓮には八幡神によって自分が救われた、という認識はまったくない。

もし御振舞御書が日蓮自身の手で書かれたものであれば、日蓮には和気清麻呂を月に変じて救った八幡神が、あわや斬首の折にも奇瑞を生じせしめて日蓮を救ったのだ、という認識があったことになる。となると、本抄においても「八幡神はあのとき常識外れの奇跡まで起こして私を救ったのであるから、今後もそれを続けるべきだ」と主張されていないと辻褄が合わない。が、実際にはそうなっていない。御振舞御書の筆者はこの点を理解していなかったか、芝居上の盛り上がりを優先して無視したようである。

と、著しく脱線してしまったが、以上の考察から、まず見えて来るのは、当たり前の話ではあるが、日蓮にとっての件のあわや斬首事件の意味合いの大きさである。そして、この事件が彼にとって、自身が末法の世にあって迫害を予言された法華経の行者であることを確信させると同時に、日本の天神地祇が(日蓮主観の理解における)仏典通りに自分を守護してくれることは決してないのだ、ゆえに開き直って常に死を覚悟して前進し続けるのみである、というある種の達観へ至らしめたのであろうことだ。

が、でありながら日蓮は、究極的には天神地祇を信じてもいるのである。もし、彼が天神地祇にまったく失望してその加護を得る可能性がまったくのゼロである、というところまで確信しているのであれば、そもそも“八幡を諫暁する”必然性もないのであるから。では、その良し悪しは別としても、敢えて現代的にこの日蓮の二律背反的なスタンスを解するとどうなるだろうか。

まず、人間を取り巻く世界というものは、如何に自らが常に正しくあろうと努力し続けても、往々にしてそれに報いてはくれないものである、という厳しい現実認識がある。しかしその上で、そうではあるけれども、世界は正しい人間に応えてくれるはずだ、と確信するとともに、世界が正しくあろうとする人間に報いてくれるよう積極的に働きかけていくのだ、という、決して手放しに楽観はしないが、同時に決して絶望もしないし、必要とあれば神にだって戦いを挑むのだ、という強い意志を、種々の問題を孕みつつも、ボクなどは本抄の日蓮から感じ取るのである。

うむ、我ながらいいことを書くなぁー(ぉぃ)。長くなったので一旦切る。

つづく>>



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