法華経転読(1-1)

2015/12/25 | 投稿者: ghost

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記念すべき(?)連載第1話は、法華経第十章“法を説く師”(妙法蓮華経法師品第十)を取り上げる。連載序でも触れた八幡賜衣伝説の元ネタが本章と考えられるのであるが、では、果たして原典は何を言っているのか、賜衣伝説と同じなのか、あるいは異なるのか、を検証し、以って、その意味するところを読み解くことを目的とする。

法華経本文への耽溺は次稿からのお楽しみとし、本稿では、今一度、日蓮の言及を通じて八幡賜衣伝説を振り返ってみたい。『諫暁八幡抄』において日蓮は、扶桑記に云く、すなわち『扶桑略記』にこのような話がある、としてこのエピソードを紹介している。残念ながら現存する略記は桓武帝時代に触れた原巻が遺失しており、当該期間については抜萃本が伝えられるのみである。同本には、以下に引くところの八幡賜衣伝説は含まれていない。ここではひとまず日蓮を信用して、彼が略記にこうあったのだ、と主張している引用をまず見てみることにしよう。

又、伝教大師、八幡大菩薩の奉為に神宮寺に於て、自ら法華経を講ず。乃ち、聞き竟て大神託宣すらく「我法音を聞かずして、久しく歳年を歴る。幸い和尚に値遇して、正教を聞くことを得たり。兼て我がために種種の功徳を修す。至誠随喜す。何ぞ徳を謝するに足らん。兼て我が所持の法衣有り」と。即ち託宣の主、自ら宝殿を開いて、手ら紫の袈裟一つ、紫の衣一を捧げ、和尚に奉上す。「大悲力の故に幸に納受を垂れ給え」と。是の時に、禰宜・祝等各歎異して云く「元来、是の如きの奇事を見ず、聞かざるかな」此の大神施し給う所の法衣、今山王院に在るなり。
(諫暁八幡抄、句読点鍵括弧は引用者が適宜補った)

冗長になるが、語意を補いつつ現代語訳してみよう。

また、伝教大師=最澄は、八幡大菩薩へ奉るために宇佐の神宮寺において、自ら法華経を転読しました。これを聞き終わって、大神=八幡神が託宣を下しました。「私=八幡神は、(仏)法の音色を聞かないまま、久しく歳月を経てしまった。幸運にも、和尚=最澄に出会い、正しい教えを聞くことができた。最澄は、私のために前以てたくさんの徳を積む修行をしてきてくれた。誠に嬉しい。どうやってその徳に報いようか。ここに、以前から私が所持してきた法衣がある」と。そう言うと八幡神は自ら宝殿を開いて、自身の手で以って紫の袈裟一着と紫の衣を最澄に捧げました。「大きな慈悲の力でもって納めていただければ幸いです」と。このとき、宇佐神宮寺の神職たちは「このようなことはかつて見たことも、聞いたこともない」と驚き歎きました。この八幡神が与えた法衣は、今は(比叡山の)山王院にあります……といった具合になる。

念のために言っておくと、以上の出来事が歴史的事実であるはずがないし、そもそも、この記述の真実性自体はどうでもいい話だ。注目すべきは、このような言説が何者かによってなされ、語り継がれ、何らかの説得力を以って通用した、という点である。

扶桑略記の成立は11世紀末、日蓮が八幡抄を書いた時点(1280年)まで、およそ200年の開きがあるし、さらに元ネタであると考えられる『傳教大師傳』まで遡れば、少なく見積もっても300年を経た伝承である。いくら現代とは時間の流れ方が異なる中世の話とは言え、これだけの期間を経てなお有効な伝承というのは、それだけ人の心を捉えていたことの証しであろう。


さて次に、これを引いた日蓮が、それをどのように読んだのか、諫暁八幡抄の続く一節から読み取ってみたい。

法華経第四に云く「我が滅度の後に、能く竊に一人の為にも法華経を説かん。当に知るべし。是の人は則ち如来の使なり。乃至如来、則ち衣を以て之れを覆い給うべし」等云云。当来の弥勒仏は、法華経を説き給うべきゆへに、釈迦仏は大迦葉尊者を御使として衣を送り給ふ。又伝教大師は、仏の御使として法華経を説き給うゆへに、八幡大菩薩を使として衣を送り給うか。

ここでも手間を惜しまず現代語訳しておくことにする。

法華経の第四巻にこうある。「私=釈迦が死んだのち、ひそかにたった一人に対してのみでも法華経を説く人がいるとすれば、その人は如来=釈迦の使いであると知りなさい。如来は衣でもってその人を覆うことでしょう」と。未来において仏となる弥勒は、法華経を説いてくださることになっているので、釈迦は迦葉を使いとして衣を贈られました。また、伝教大師=最澄は、釈迦の使いとして法華経を説かれたので、(釈迦は)八幡大菩薩を使いとして衣を贈られたのでしょうか……ほどの意味になろう。

法華経第四とあるのは、第四章のことではなく、伝統的に八巻の巻物として書写された妙法蓮華経の第四巻のことを言っていて、ここに法師品第十も含まれる。そこからの引用は、日蓮は一続きのように書いているが、実際には我滅度後〜則如来使乃至如来〜覆之は、偈(げ・仏典中、韻文=詩形式で表記される要点のリフレイン)を一つ挟んで配された、まったく異なる文脈の章句である。ここではそのことを指摘するに留め、詳細は中村師訳を読み進める中でそこに至ったときに触れることにする。

続く弥勒云々の下りは、実は法華経由来ではない。日蓮が自身の典拠を示していないので断言はできないが、一般には『仏本行集経(ぶつほんぎょうじっきょう)』という釈迦およびその弟子達の伝記に由来する、釈迦が弟子の迦葉に衣を与えたとするエピソードが、後に釈迦から迦葉に対する正統後継者指名であったと見做されるようになり、さらに転じて弥勒下生信仰と結びついて、釈迦が次世代の仏陀である弥勒への権威継承を示したものであると解されるようになったこと、を受けてのものと思われる。ちなみに、弥勒信仰の世界ではこれを伝統的に“伝衣(でんね)”と呼ぶ。

なお、仏本行集経を素直に読む限りにおいて釈迦が迦葉に与えた衣は、八幡神が最澄に与えたとする紫……伝統的に最高位を示す貴色である……の衣、ではなく、“糞掃衣(ふんぞうえ)”すなわち、汚物を拭き取るくらいにしか用をなさないほどの粗末な布を使った衣、であり、伝統的にその色は黄土色や青黒色だ。これは、インドのいわゆるカースト制において最々下層とされる不可触民(日本における穢多・非人を想起せよ)が、身分標識として強制された着衣に直接的には由来する。食を乞う人、であった比丘=出家者は、自ら最々下層の人々と着衣を合わせることで以って、自身が世俗から離れたことを示した、と一般的には理解されており、現代の東南アジア圏の上座部仏教僧の着衣もこの伝統に倣っている。

いささか脱線が過ぎたが、つまるところ言葉は悪いが、日蓮の言っていることは“衣”つながりの語呂合わせ、ということになる。このエピソードの意味合いは、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

とまれ、日蓮は(おそらくは天台教学の伝統的な解釈に則って)法師品には、釈迦の死後に法華経を説く者は如来使であり、仏はその人を衣で覆うのだ、とあるし、この話は弥勒伝衣の話とも通じるので、釈迦の垂迹である八幡神もまた、法華経を説く最澄に衣を与えたのだ、と考えたのであり、これは、そもそもの八幡賜衣伝説を創作した人……おそらくは最澄にそう遠くない弟子筋の誰か……も、ほぼ同様の連想からこのエピソードを大師傳に盛り込んだのだろう、と考えることは出来る。

では、そもそも法華経第十章“法を説く師”は果たしてそういうことを本当に言っているのだろうか、違うとしたら本当は何を言っているのだろうか、を読み解くのが、法華経転読(うたたよみ、と読んでね)第1話のテーマ、ということになる。

なお、念のために申し添えておくが、ボクがやりたいのは、大師傳作者や日蓮が法華経を読み間違えているという指摘、では決してない。法華経成立と日蓮の間には千年の時間の隔たりがあり、この間にその意味合いが変化するのはむしろ当たり前のことであり、逆にまったく変化していないとしたら、そこにこそ超自然的な何かを見出さねばならないことになる。

法華経と、それに連なった人々の言行を突き合わすことでわかるのは、究めれば以下の二点に尽きる。

第一には、およそ二千年前にこういう不可思議な話を書き残した人たちがいた、ということ。第二に、その不可思議な話に、千年乃至は二千年の時を超えて続く人々に何かをさせる力があった、ということ。これらについては疑いようのない歴史的事実である、というのがボクの認識……あるいは、これを“信仰”と言うべきであるかも知れないが……である。

そして、言うまでもなく、ここで“何かをさせる力”と呼ぶそれは、超常的・神秘的な何かを観念しているワケではまったくない。むしろ、それらのテキストを書いた人たちは我々と同じ、喜怒哀楽も希望も絶望も普通に抱え込んだ人間である、という前提の元、その人たちが我々よりも少しだけアレゲな世界へ踏み込んで書き記した言葉が発端となり、そこから生じた連鎖反応を持って“何かをさせる力”と便宜上呼んでいるに過ぎない。そしてボクは、キリスト教の聖書その他の宗教テキストもまた、まったく同じ認識で読むものである。

たとえば、今日は全世界的にクリスマスらしいが(そういう日にボクはいったい何を書いとるんだ、という気も今更ながらするのであるが)知っている人は知っているように、本日を以ってイエス=キリスト生誕の日とする根拠、さらにはその生誕を皆で祝わねばならない理由、は、実はキリスト教信仰のセントラルドグマ的には特にないのであって、これはキリスト教が汎地中海世界化していく過程において、偶然の連鎖が生み出した代物に過ぎないのであるが、それが現在において、こうして読者諸兄をしてクリスマスを祝わしめているのであり、これをボクは“何かをさせる力”と呼んでいるのであって、そこには、我々が意識上で認識しているものとは別に、意識下に訴えかける普遍的な何かが潜んでいるに違いないのであるが、普通の人はそこを敢えて自覚的に意識しようとはしないのである。

ボクが“趣味的に”強く関心を抱くのは、まさしくその意識下の部分、テキストや伝承の目に見える部分の底に埋もれてしまい、良くも悪くも我々の思考様式を束縛しているにも関わらず、その正体が莫として掴み難い何か、の、わずかばかりの掘り起こしである。その中でも本連載で以って法華経を取り上げるのは、特に法華経が優れているから、という理由ではなく、単にボクの個人史においてたまたま縁が深い経典であったから、であって、それ以上でもそれ以下でもないのだ、と諒されたい。

以上、前置きが長くなったが、ここに述べたような視座を踏まえて、法華経第十章“法を説く師”を読み進めてみよう。

つづく>>



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