法華経転読(3-4)

2016/1/28 | 投稿者: ghost

<<前回のお話

前稿で触れた十如是に続き、ここでが挿入される。その訴えるところは冒頭部と同じ二乗不作仏説の繰り返しとなるが、少し趣の異なる句を含むので、そこから見ていくことにしよう。

それを示すことは不可能で、それを説く言葉もない。だれかにその法を説き示し、その説き示された法を理解する、そのような衆生はこの世界には見当たらない。信力堅固な菩薩たちを除いては。

上引用部は、前掲書の註によるといささか論理の混乱している難読箇所であるらしく、複数ある法華経現代語訳間でも揺れているそうであるが、とりあえずここでは中村師訳を受容しておくこととしたい。妙法蓮華経の当該部、是法不可示。言辞相寂滅。諸余衆生類。無有能得解。除諸菩薩衆。信力堅固者。もほぼ同意となっている。

言わんとするところは、冒頭長行部同様に、当の仏のみが仏の真意を知り得るのである、とする主張であるが、ここに信力堅固な菩薩たちを除いては、との但し書きが加えられる。ここでいう菩薩が法華経執筆者自身を指しているのは明白である。注目すべきは、ここでその菩薩を信力堅固としているところだ。

日蓮教学ではこれを“以信得入(いしんとくにゅう)”、すなわち「信を以って入ることを得る」と称する。日蓮自身が直接依った経文は続く第三章に登場するのであるが、それはここで言われていることを敷衍したもの、と言うことになろう。つまり、仏典の記述を己の知性で以って解釈し理解することには凡人には限界があるので、それをそのまま信じることを以って如来の知見に入るのだ、とする主張である。この点については、日蓮は正しく法華経執筆者の意図を喝破したものと見える。ただし、それが普遍的に正しいことか、と問えば、有り体に言えばこれは「思考停止して妄信しろ」と言われているように取れなくもないから、注意が必要である。

とまれ、前稿でも指摘した法華経の反知性主義的な一面をここにも垣間見ることができる。法華経教団が、難渋な分析哲学を弄ぶ声聞・独覚(を気取る人々)に対し、強い嫌悪感を抱くと同時に、その対極として、無心に仏陀の遺徳を信じる自分たちこそが真の菩薩なのだ、との自負を抱いていたことがわかる。

この後、偈はこの世間のすべてが、舎利弗と等しいものたちで満たされ、彼らが一緒に思い量ったとしても、と、かなり無理のある場面を想定しつつ、それでも仏の真意を汲み取ることは不可能なのだ、を始めとした同様の言明を繰り返す。最早、これが知性主義に対する徹底的な否定を狙った反語表現であることは明らかだろう。

そして、舎利弗に対し大信力を起こすが良い、と勧めた上で、偈の末尾に至ってキーワードが登場する。


私は世間において多くの法を説き、あれこれに執着している人々を解脱させるため、覚りに至る三つの乗物を説き示す。これが私の最高の巧みな方便である。

キーワードの一つは言うまでもなく本章々題にもなっている“方便”であり、もう一つは三つの乗物、すなわち“三乗(さんじょう)”である。三乗とは、声聞・独覚の二乗に、菩薩を加えて三乗と呼んでいるのであるが、ここまで敢えて触れずにきたが、この二乗・三乗に見える“乗”の字は、ここでの表現を借りれば覚りに至る乗物のことを言っていて、サンスクリット原典の“ヤーナ”がこれに当たり、やはりその意味は乗り物のことである。

もちろんこれは比喩である。法華経教団に限らず、当時の仏教者は、釈迦の教え(とされるもの)を、人間を至上の悟りへと導く乗り物に喩えることを好んだようだ。余談だが、いわゆる浄土思想、つまり、我々の生きる世界とは異なる別世界(西方極楽浄土)へと救済されるとの観念は、直接的にはこの乗り物の比喩の副作用によって生まれたように思う。得阿耨多羅三藐三菩提、つまり、至上の悟りを“得る”という観念に縛られている限り、この発想は生まれまい。悟りを得ることが、悟りの無い場所から有る場所への移動と観念され、仏の教えがその間を空間的に移動する手段=乗り物、と観念されたがゆえに、ある種の異界信仰として浄土思想が生まれるワケだ。

閑話休題。

法華経執筆者はここに至って「三乗は方便である」と釈迦に言わせている。偈の末尾に示されていることから、これが彼らにとっての結論、関心の中心であることが明白となる。では、この言明で以って言わんとしていることは何なのだろうか。

三乗とは、声聞・独覚・菩薩のことである、と既に述べたが、これをより平たい表現に直せば、お釈迦様が「よく学びなさい」「よく考えなさい」「人助けをしなさい」と言った、ということに他ならない。そして、これが方便である、というのは、これら三つそれ自体は、手段であって目的ではない、ということが法華経教団の主張ということになる。逆に言えば、少なくとも法華経教団の人々の主観からは、他の出家者集団のやっていることが自己目的化した学習・思索・救済に見えていたのだろう。これが、法華経誕生の原点である。

このように噛み砕いてみると、彼らの主張がさほど突飛なものでないことが次第にわかってくる。たとえば、我が国において受験戦争の弊害が指摘されるようになって久しいが、これはまさに自己目的化した学習に対する批判である。受験戦争は、真に目的とするところは次代の日本国家を背負って立つ人材を競争の中から輩出することであって、他者よりも少しでも良い学歴を身につけてふんぞり返ることではないだろう、と言われればまさにその通り。同様のことは、独覚を現実問題から遊離した為にする哲学、菩薩を自己満足に陥った偽善的ボランティア、と読み替えれば、そのまま現代の我々にも当てはまる。

無論、ここでボクが言いたいのは、だから法華経教団の主張は妥当である、などといった拙速な結論ではない。現代の我々と、細部は異なれども同じような社会矛盾を紀元1世紀頃のインドの人々も抱えていて、それに対して問題意識を持った法華経執筆者たちの思考過程もまた、決して神秘的でも深遠でもなく、極普通の人間が極普通に考える域から大きくはみ出してはいなかった、ということである。

ではどうするのだ、という点についての彼らの主張はもう少し後に出てくるので、ここは今しばらく本章に沿って読み進めることにしよう。

偈が終わると、これを聞いていた釈迦の修行時代からの同志とされる阿若憍陳如(あにゃきょうじんにょ)をはじめとする声聞たちがざわめきはじめる。彼らは阿羅漢(あらかん)、すなわち声聞の最高位であり仏陀の教えを学び尽くしたとされる人々(先の現代との対比で言えば、東大で博士号を取得といったところか)とされるのであるが、その彼らが「自分たちは悟りを得たはずであるのに、今、世尊がおっしゃっていることが自分たちには理解できない」と独白するのである。

これは明らかに、法華経教団から声聞的な出家者集団に向けて発せられた嫌味である。おまえたちは、難渋な哲学用語を諳んじて我偉しとふんぞり返っているが、我々の言わんとすることがわからないだろう、と言っているのだ。個人的には、当時の声聞的な人々にとって、こうした主張はおそらくは想定範囲内であって、その妥当性はともかく、何らかの論理的な反論があったはずだが、反論があった事実は法華経から読み取れる(これは次話で扱う予定)が、その内容まではわからない。というか、この態度にも示されているように、反知性主義的な性格を有する法華経教団は、そうした反論を論理的に分析して更なる止揚を目指すような発想はなかったろう、という気がする。

それはともかくとして、彼らが戸惑うばかりであるのに対し、智慧第一の舎利弗は、智慧第一と称されるだけに(まぁ、法華経教団のプロパガンダキャラクタだ、と言ってしまえばそれまでなのだが)戸惑うことなく理知的な言動を取る。曰く、

世尊よ、いかなる因、いかなる縁によって、世尊はいくたびも、もろもろの如来の巧みな方便と智慧と法の教示を繰り返し称嘆されるのでしょうか。「私ははなはだ深遠な法を悟った」と仰せられ、また「如来が密意をもって説かれたことは知りがたい」と、たびたび賛嘆されるのでしょうか。私はかつて世尊から親しくこのような教説を聴聞したことがありません。ここにいる四衆もみな疑惑と疑念につつまれております。世尊よ、如来はいかなる意図によって、如来の甚深の法をたびたび称嘆されるのか、お説きください。

そもそもこの一言だけがあれば、本章のここまでの内容は要らなかったんじゃないか、と思うほどの再要約である。流石は智慧第一(いや、違う)。

そしてこの舎利弗の台詞は、ここまでの要約であると同時に、法華経教団が他出家者に対して暗に求めている態度でもある。現時点では何を以って彼らがそこまでに自信過剰であるのかは明らかではないが、智慧第一の舎利弗ですらこうして釈迦にその密意を説くことを求めるのであるから、現代の声聞たちも法華経教団に同様に教えを乞え、と言っているのだ。

愉快なことに、次下からは舎利弗が偈で以って釈迦に教えを乞う。ミュージカルかよ、と。まぁ、さしずめ「♪教えて〜お爺さん♪」といったところか。困ったことにこの偈が妙法蓮華経ベースで四十四句、二百二十字に及んでいて、しかも基本的に釈迦を褒めたたえるばかりで無内容(厳密に言えばそうでもないが、本筋ではない)なので、ここではサラッと流す。

で、舎利弗がこれほどまでに歌って踊って(いや、踊ってはいない)みせたのに、これに対する釈迦の返答は以下の通りそっけないのである。

舎利弗よ、やめよ。この意義を述べたとしても何になろう。なぜなら、舎利弗よ、もし私がこの意義を説いたとしても、神々を含む世間のものたちは驚き、疑うであろうから。

えーっ!!ここにきてジラすのかよ!?

というワケで、本稿もこの釈迦に倣って続きは次回のお楽しみ。

つづく>>



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