法華経転読(3-5)

2016/1/30 | 投稿者: ghost

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釈迦のジラしに対し、再び舎利弗が教えを乞う。突き詰めればこれは法華経執筆者の一人芝居なのであるから、いささか滑稽な感がなきにしもあらずではあるが、二度目の乞いに対する釈迦の再びのジラしはなかなか興味深いことを言っている。

舎利弗よ、この意義を説いても何の役に立つであろう。舎利弗よ、この意義を説き明かすならば、天をはじめとするこの世間のものたちは驚き、疑いをいだくであろう。また、増上慢の比丘たちは、大きな坑に堕ちこんでしまうであろう。

途中までは前段と同じであるが、末尾に法華経教団の本音が垣間見える。増上慢というのは、見慣れない言葉かと思うが漢訳仏典にしばしば見られる語で、悟りを未だ得ていないにもかかわらずさも得たような偉ぶった態度、またはそのような態度を取る人……要するにボクのような嫌なヤツ、のことを言う。もちろん、ここで言われている大きな坑に堕ちこんでしまうとされる増上慢の比丘とは、法華経教団から見た同時代の論敵のことを指していると考えて間違いあるまい。

う〜む、どっちが増上慢なんだ?と首を傾げたくなるが、捨て置こう。

メゲずに舎利弗が三度教えを乞う(またも偈がやり取りされるが、キリがないので割愛)。ここに至って釈迦は、ついに舎利弗の乞いを受け入れて如来の密意を説こうと宣言する。

ちなみに、このやりとりを天台教学では“三止三請(さんしさんしょう)”と呼ぶ。この前後の流れでは釈迦は二回しか止めてないじゃん、とか思うのだが、これは冒頭のやり取り、つまり、二乗には仏の密意はわからん、と断言した直後に舎利弗よ、この程度の説明で満足するがよい(これについて問うのを止めよ)との言葉があり、妙法蓮華経ではこれを含むすべてを止舎利弗と表記しているからである。

殊更説明するまでもなくこの修辞は、三国志演義における劉備玄徳の諸葛亮孔明に対する三顧の礼と同じ効果を狙ったものであろう。もう少し簡略化された形になるが、天台教学における後半部(本門)の要、如来寿量品第十六(第十五章)の冒頭にも、同じような三唱される繰り返しが見られる。この点において、方便品と如来寿量品が法華経の要であると喝破した天台大師の解釈は、決して的を外しているワケではない。つまり、この三唱の後に示される部分が、法華経を書いた人が主観的には一番言いたかったことだからである。

まぁ、言いたいこと、と、正しいこと、は必ずしもイコールではないのであるが。


かくして、ついに釈迦が本章の本題に入ろうとするのであるが、その前にちょっとした幕間劇が入る。少し長いのであるが、非常に興味深い部分なので以下にそのまま引くことにする。

「舎利弗よ、そなたは、いま、三たびにわたってまで如来に懇願した。舎利弗よ、このように請い願うそなたに私は説かずにおくであろうか。それゆえに舎利弗よ、明らかに聴き、よく心に留めるがよい。私はそなたに説くであろう」
世尊がこの語を仰せられるやいなや、そのとき、その集会の中から、増上慢の五千人の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷が席からたって、世尊の両足を自らの頭に頂き礼拝して後、その集会から退き去って行った。なぜかというと、これらの増上慢のものたちは、不善根のために、いまだ得ていないものを得たと思い、いまだ悟っていないものを悟ったと思っているからである。彼らは自分に過失のあることを知って、その集会から立ち去った。しかし世尊は黙然としてそれをお許しになった。


この下りについて、まず、天台法華教学における伝統的な解釈を示しておく。

舎利弗の三止三請を受けて、釈迦は、如来の密意であるがゆえに、説き明かすことが返って衆生を惑わす恐れもある究極の真理を、時が来たと判断して説くことにした。が、そのとき、過去世からの善からざる因縁によってそれまでの二乗・三乗の教えに満足していた人々は、そのことを真正面から指摘されることを恐れてその場から立ち去った。釈迦は、その人々にはまだ真理を受け入れる準備が出来ていないのだから、と考えて、敢えて呼び止めずに見送った。

これを天台教学では“五千起去(ごせんききょ)”と呼び、主に、自身の思い上がりによって、より博識な人物からの教授の機会を失することを戒める逸話として取り上げられる。それはそれで、自身の日々の生活の実践へのフィードバックとしてよろしい読み方であるとは思うが、この天台の解釈は、やはり、ここに現れる釈迦を歴史上の釈迦と見ているからこうなるのであって、この下りの真意は、これを書いたのは釈迦を騙る法華経教団の人間である、との前提で読まないとわからない、と、ボクなどは思うワケである。

では、この下りの真意は何か。例によって例の如く、あくまでも私見であると断って書くが、二通りの考え方が出来ようかと思う。

第一には、五千起去は実際に起こった出来事であるとする捉え方だ。もちろん、釈迦在世の話ではない。法華経教団のメンバーが、ここまでの議論、もしくは本章次下に示されるところの彼らが信じる如来の密意を、当時の主流派声聞衆に対し、それが辻説法なのか討論会なのかはわからないが開陳したことがあって、声聞衆が実際に一斉に席を立って退去した、というような事件があったのではないか、という話である。

もちろんこの場合、五千という数は粉飾されたものであろうが、空想の産物にしては釈迦の弟子の一部なりともが説法の場から退去するというのは、あまりに突飛かつ生々しいものであるから、むしろこれを法華経教団が実際に自ら体験した出来事であると考えた方が筋が通るような気はする。また、既に見た第十章の記述もそうした事件の存在を匂わせている。

一方で、同じ第十章から読み取った彼らの自意識と実践のちぐはぐさを踏まえると、もう一つの可能性も考えておく必要があろう。つまり、五千起去は実際には起こっておらず、法華経執筆者が、彼らの信念を主流派声聞衆に開陳したとすればこのようになるだろう、と想像したものである、とする考え方である。

いずれが真相か(もちろん、ボクがまったく的外れなことを言っている、という可能性もあるがここでは捨て置く)はわからないが、ここから導かれる結論は大きくは変わらない。それが事実であるにせよ空想であるにせよ、読む人が読めば(あるいは聞く人が聞けば)ここで言われている増上慢の五千人の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷が誰を指して言っているのか、当時は明白であったろうと考えられる。そして、これを釈迦在世に仮託してこのような形で経文として吹聴されてしまえば、どれだけ法華経教団の主張に素晴らしさがあったとしても、少なくとも主流派声聞衆は法華経教団に合流するどころか、対話の席につくことすら困難となったはずである。

つまり、この五千起去は、法華経教団による主流派声聞衆に対する事実上の絶縁状になっている。ある意味において、天台大師の好意的な受け取り方とは真逆だ、とすら言えるかも知れない。

また、このような態度、すなわち自分たちの信条を最高のものと定義し、以って論敵を見下して一方的に対話不可能性を突きつける物言いは、現代の教条的・原理的な宗教集団にもまま見られる傾向であることは言うまでもあるまい。ここでもまた、我々は、我々人類の思惟が二千年を経てさして進歩していないという事実を知るのである。

天台法華教学が、本章をして二乗作仏を示した妙法蓮華経迹門の要としていることを繰り返し述べてきた。詳しくは次稿以降で見ていくが、成仏できない二乗に対して、本章で示される一乗に信伏することで成仏が許されるからそうだ、というのが言い分なのだが、以上見てきたように、少なくともボクは本章をそのようには読まない。法華経教団は、この五千起去を書いたことにより、意図してかせざるかはともかく、主流派声聞衆を自分たちの運動から締め出している。

余談になるが、この文脈において、そんなことを言う必然性がないように思われるのに不善根のためにという挿句があることに、何気に既視感を覚えたのであるが、拙Weblogの熱心な読者であれば思い当たる節があろうかと思うが(んなぁコトはないか)、『諫暁八幡抄』の精読に際し指摘した日蓮の弟子に対する態度の問題点と、まったく同じことが、この一節に対しても当てはまる。まことに驚くべきことであるが、このような点においても、日蓮は真に法華経の行者なのだ。

と、幕間劇を読み解いているうちに結構な文量になってしまったので、本章本題は次稿から読み進めていくこととしたい。そこには、彼ら法華経教団のセントラルドグマが含まれるワケだが、その背景に本稿で論じたような思考様式があることは押さえておいて損はないと思われたので、やや詳細に論じてみた次第。

つづく>>



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