前回に引き続き、栃木県日光市に存在したケーブルカー跡の探索記です。
「東武日光鋼索鉄道線」とは、栃木県日光市の馬返駅から明智平駅までを結んでいた現、東武鉄道運営の鋼索鉄道(ケーブルカー)
1932年(昭和7年)馬返駅 - 明智平駅間(1.2km)開業。
1970年(昭和45年)廃線となる。

前回記事の最後の写真、第二いろは坂から山側へ斜面を登ると、橋台跡が見えてきました。
★橋台跡に登り馬返駅跡方向を見る。

左下には、第二いろは坂を走る観光バスや乗用車が見えます。
ここから馬返駅まで長大な橋が掛かっていたようです。
橋台跡から山側を見る。

線路やケーブルは撤去されていますが、コンクリートの路盤がしっかり残っていて「これは順調に探索出来るぞ!」と喜び勇んで登り始めたが後半、大変な目に遭うことは、この時点では全く想像できませんでした。

左側の階段部分や、坂になっている路盤部分の歩きやすい方を選んで進む。
黒いケーブルは廃線後に敷設したと思われる通信ケーブルか?
★分岐器(橋りょう部)

コンクリートの路盤表面が浮き立っていて、うっかり足を乗せるとそのまま下にスライドしてしまう。
慣れない山道を歩いているせいか、この辺から少し酸欠の症状が出始める。
一歩一歩前に出す足がとても重い。。
★分岐器(橋りょう部)

ここでちょうど中間地点。
昇りと下りのケーブルカーがすれ違っていた場所。
たいへん日当りも良く暖かかったため、ここで15分ほど休憩する。
アミノ酸ドリンク
えいようかん1個
SOYJOY1個
を食べながら携帯酸素缶(5リットル全量)を吸入しつつ深呼吸する。
しかし、携帯酸素缶、効いている気がしない。
酸素吸入よりも、同時に深呼吸することで体力回復出来ているんじゃないのか?
★分岐器(橋りょう部)

体力が少し回復したところで、橋りょう下部へ回ってみる。
★分岐器(橋りょう部)

コンクリート壁面は少し剥がれているものの、非常にしっかりしています。
★分岐器(橋りょう部)

分岐器上部へ戻りまた休憩する。
標高1000メートル位の場所で軽いとは言え、酸欠状態になってしまうのは運動不足が祟っているためでしょうか?
減量に加え、有酸素運動をしないといけない?
★トンネル(距離票700M)

2度目の休憩を終え、分岐器を後にする。
1つ目のトンネル、フェンスの入り口が開いていたの入ってみました。
★トンネル(距離票700M)

入ってすぐに「七〇〇」の距離票が。
トンネル入り口付近には大きな障害物もなく歩きやすい。
ここも階段、路盤の安全な場所を選び登って行く。
総路線距離1200メートルのうち700メートルを踏破し「半分を過ぎたゾ!」と自分に言い聞かし、少しだけ元気が出てくる。
★トンネル(距離票700M)

中間付近、(地形図でカーブしているあたりか?)
側壁が崩壊し瓦礫が飛び出していました。
★トンネル(距離票700M)

瓦礫を超え出口に近づくと、また歩きやすい路盤になる。
それにしても、どんどん足が重くなってくるぞ。何故だ。なぜだ?
★トンネル(距離票1000M)

2つ目のトンネルの中は落ち葉で埋め尽くされていました。
(近くにある2つのトンネルでこの違いって何なのか?)
もはや歩くのが精一杯で、思考能力も徐々に落ちてくる。。
というわけで1つ目のトンネル出口と2つ目のトンネル入口の写真を撮り忘れました。
★トンネル(距離票1000M)

下から2つ目のトンネル出口も落ち葉で埋め尽くされていました。
トンネルの天井には架線を固定していたと思われる碍子が残っていました。
★トンネル(距離票1000M)

この通信ケーブル構造物は現役当時の物か廃線後に設置された物かは不明。

懐かしい電電公社のロゴマークが!
トンネル出口付近の遺構の撮影を終え、登り始めるとゴール地点の明智平駅跡が見えてきました。

あと百数十メートルだというのに、ホントに足が進まなくなる。。
この辺へ来てでようやく気付きました。ケーブルカーの構造上、途中の分岐器(すれ違い施設)から頂上にかけてはどんどん勾配がきつくなるんですね。
軽い酸欠状態に加え、この急勾配で約30センチの歩幅で永遠とも思える残りの道のりをゆっくりと進む。
結構、注目浴びているかも?自分。

ゴール地点まで百メートルを切ったか。
ガラス窓の向こうに複数の観光客の姿が。。
ヨタヨタと頼りなく歩く姿を見られていると思うと、カナーリ恥ずかしい。。
明智平駅跡

やっとゴール地点に到達しました。
明智平駅跡はホーム部分が半分近くが崩壊。。
廃線後45年近くが経過している割には比較的良く残っている方なのでしょう。
探索開始からここまで約3時間。上のレストハウスで早くそばが食べたい。

レストハウスからケーブルカーホーム跡を見る。

壁には現役当時の写真と解説がありました。
左側の写真は分岐器のある橋りょう部分ですね。
探索当初は「山中でも路盤は残っているし、たかだか1キロの道のり。」と、たかをくくっていましたが、中間から頂上にかけて勾配がどんどんキツくなっていくのは想定外でした。。
ゴールに近づくほど登るのがキツくなって行きます。
万全な装備、水分と携帯食料(酸素缶も?)の必要性を痛感した次第です。
今回探索した部分の地形図。

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