2019/9/18

川柳性  川柳

『第3回全国誌上川柳大会』(松江川柳会刊)を頂いた。
一読、これぞ川柳!久しぶりに川柳性がゴロっと在る句に出会ってうれしくなった。

  やかんとはかりのすがたぞはないちもんめ  樋口由紀子
  
  阪急阪神近鉄南海兄ひとり
  
  感情は痒くてならぬ抹茶ラテ

川柳の近代化が明治40年前後の前句附けからの独立にあったと教えられ、昭和20年代から30年代に、「私の思い」を書く、いわば自己表出の欲求が広範囲に及んで現代川柳、「現代」に在る川柳になったことは知られている。
そこには川柳の遊興性からの脱出指向が在って、在来の書き方からの転換に、【る止め】(動詞の終止形)が大流行、互いに顔見合わせる一時期が現れた。
つまり川柳は川柳なりに、民主主義社会への流れ込みが在って、やがてこれが個性の開陳化に及んで、暗喩、イメージ、フィクションの流行期があらわれた。それ以後の色々は現役のみなさんがご承知だ。
樋口由紀子は、作者が個我の開陳を主題とする現代川柳の潮流に倣うことなく、単身、川柳性に拠って川柳を書く独歩行を展開して今日に至っている。
「兄ひとり」など川柳好きを喜ばせて、これぞ川柳。



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2019/7/8

ボサノバ  川柳

喫茶「シャンクレール」は河原町荒神口北東角の二階に在った。
ジョアン、、ジルベルトの訃報が、ジャズ喫茶の空気を思い出させる。
ほぼ、日曜日毎に数時間を過ごしていたのでボサノバの輸入も「ゲッツ/ジルベルト」も、それなりに身に付き、幸いなことに、京都会館でゲッツのナマを聴いていた。
此方はチンピラ。新しい音楽ボサノバは、いままでになかった、いわば、新しい退屈感を知らされたというか、遠い所でも、似たようなダルイ空気の中での生があるのだなあとの感慨があった。
チンピラの身に、やや上の世代に共通する60年安保以来の頽落感は薄かったが、日常性に在る奇妙な退屈を地球の裏側では、このような音にしているとの思いが在った。
ボサノバの音と、その創造に関わったミュージシャンの名に接触することは、もはや、極めて少ないが、ジョアン・ジルベルトの訃は、目の前でゲッツが吹いていた時空と、ジャズ喫茶の怠い空気を思い出させた。
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2019/4/11

イチロー不在  川柳

いわゆる【川柳性】の機能不全があきらかで、書いているボクチャンの存在を認めて欲しいだけなの、と感じられる句に出会うことが急増している。

いわゆる私川柳のブームから半世紀が過ぎている。
似たような心性、いわば<さもしさ>こそが新しい川柳人の蝟集をつくることを思えば、居眠っていられない。

個我と云っても存在感の薄さ、私性をネタにして―――結果、レトリックの比べ合いになったのが私川柳だった。

「ボクチャン淋しい」の心性こそ現代川柳の成る樹なのだ。
川柳的なレトリックの芒洋とした、しかし、体内から何かを引き出すチカラを、比べ合いにまで引き込む人は居ないかなあ。

イチローが引いて、いまこそチャンス?―――などと思うのだが。
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2019/3/8

祥文の陰りのない発語  川柳

「着なれないものを着よって、しゃっちょこばって並んだ何十の親分の顔より、俺は、あのお母が豚松化けて出て来い言うたときの、くしゃくしゃの顔のほうが泣けたわい。(声を高くして)お前らこそ何であんな顔して泣けへんのや。しょうもない見栄はってきたさかい、泣かれへんのや。お前らのそんな見栄より、あの子が、末は夫婦(みょうと)と契った豚松さんの晴の日や思うて、二年経った今日の法事に丸髷結うてみせた、あの見栄のほうが……いや、これは見栄やない、真実や……いじらしいやないか。俺は身につまされた(と鼻をすすり)声を途切らせ)……」(以下省略)―−見受山鎌太郎(志村喬)。

上記のセリフが、映画『次郎長三国志』の第八部 『海道一の暴れん坊』に在ると『マキノ雅弘 映画という祭り』(山根貞雄 新潮選書)が伝えている。

今日、3月8日。筒井祥文さんの葬を終えて帰宅。
感情と感傷から離れるべく前掲書を拾い読み。そこで、上記の志村喬の関西弁の名セリフに「あっ」と声を上げかけた。

声をあげそうになったのは、祥文の川柳の語調の澄明さ、一句の、隅から隅まで、ライトが影をつくっていない仕上げっぷり――晴朗さが、マキノ雅弘の『次郎長三国志』の空気の澄明さにあるのだと気付いたからである。
本人も、其れが名作映画にあるとは知らなかっただろう。
無論、高校の部活でオチケンに在って以来の、作品の見せ方に秀でていればこそだが、そういえば立ち話であっても日常会話が明解、発語に陰りが無かった。
この辺り、祥文の川柳の独自のメリハリ――――だったのだ。
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2019/2/21

川柳この軟体性  川柳

前句附けを先祖とする川柳で、主に穿ちが競い合われて、近・現代川柳にまで繫がった。
その渦中で「私の思いを書こう」とする近代的な意識が広まって、戦後の時節十年間に社会性川柳が台頭、その後、1970年代にまで及んだ。
或いは、戦後の十年間を経た時節に「私の思いを書こう」とする私川柳が台頭して大流行期が出現、およそ世紀の転換前後にまで続いた(いや、90年代に衰退したとか、世紀が代わってからも書きつづけられた、などの見方があるのだが―――。

「私の思いを書きましょう」とする近代的な意識と認識が、川柳性を揺るがすかに感じられた時節などを意識しながら、かつての句を読み返せば、社会性川柳も私川柳も、その大凡の書き方に、川柳性が機能していたのであり、とりわけ私川柳では、暗喩、イメージ、フィクションの実作法に、川柳性の濃厚な働きが在ったことが判る。

史的に見れば川柳性を活かしつつ川柳が、その幅を広げた―――のであったが、質的な深化や上昇があったとは云えそうにない。

少々のことでは揺るがない軟体性が川柳という文芸に在るのだが、この辺を気にせずに書かれる面白みの薄い句が其処此処で書かれている現状が見えていて、この辺りに、今日的な幅の広がりについての期待があるのだが、江戸時代から一句の存在期間が極めて僅かであるのが川柳でもあるのだろう、取り上げられて議論される間もなく―――の状態。
尤も、振り返れば長命な川柳も在るのだが、なにやら、諺化して市中に在り続けるのが実状だ。

先日、「つづきの会(人数限定の勉強会)」で、題詠と川柳性の繋がり方の分析を試みた。
無論、個々人の実作の上で活かされれば、という内側向きの視線の強引な強化法としてのことだが、句会吟の書き方で様々な、言葉、単語、美意識、飛躍、意味、イメージ、暗喩、などの、所在を、会員の句会吟(凡そ30句程)を借りて分ける作業を実施した。まあ、常には立ち止まらない川柳性の働き具合についての意識化に過ぎないのだが、一句の主意や思いについての読みから離れる小さな実験―−だった。



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