『妖怪人間ベム大全』(双葉社)という本を購入した。1968年版「妖怪人間ベム」、1982年にパイロット版2本のみが作られた「妖怪人間ベムPARTII」、2006年版「妖怪人間ベム」について、大全の名に相応しく詳細に解説した本だ。この中に、60年代末〜70年代中盤の出来事に関してちょっと気になる記述がある。p70にある第13話「ミイラの沼」の解説の脚注だ。
絵コンテには千年に一度、金星の光を反射した月の光のことを「ノストラダムスの光」と呼んでいた。それについては特に説明もなく、当時の流行を反映したものだと思われる。
この回の放映は1967年12月。五島勉の『ノストラダムスの大予言』が世に出た1973年11月の6年も前だ。放映当時はまだ流行していないのである。いや、それどころか、ノストラダムスなる人名(単語)を知る者もごく限られていたのではないか?
調べてみると、1957年の黒沼健『謎と怪奇物語』(新潮社)を嚆矢に、日本でもポツポツと予言解説が紹介されていたそうだ(参考「ノストラダムスサロン」内
「日本のノストラダムス現象」)。なるほど「妖怪人間ベム」のスタッフともなれば、そのあたりを読んでいても不思議ではないだろう。ただやはり、流行はしていなかったと言わざるを得ない。
他方、このトピックに対しては「懐かしさの混乱」という側面でも強い興味を覚える。脚注を書いたライターは、妖怪人間ベムの背景にあった60年代終盤の妖怪ブーム・怪奇ブームと、70年代中盤のオカルトブーム・終末論ブームとを峻別することなく「当時の流行」と錯誤してしまった。これは明らかな間違いではあるのたが、30年以上を隔てた現在から見れば、その5、6年のギャップなど小さなものかな、とも思える。
まぁ妖怪人間とノストラダムス、この間には大阪万博の開催と終焉があり、両者を隔てる「時代の壁」は決して低いものではないと思うのだが……。

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