新年を迎えて話が前後したが、昨年12月24日に埼玉高速鉄道で「ぶらり各駅停車の旅」(関東ローカル)ふうに沿線を歩き回っている。

赤羽岩淵駅から荒川方面へと歩くことしばし。八雲神社に建つ「日露戦役記念碑」(左端)。バックにブロック塀、その向こうは民家で鎮守の森もほとんどないという、いかにも都市部の小さな神社といった風情だが、石碑そのものは立派なものだ。

……それにしても、土台のやっつけ仕事な感じはもう少しなんとかならんかと思う。ただ、裏面には何も彫られていないことから、はじめからこんな感じで塀際に建てられたのか、とも思える。

碑紀戦日
_念役露
1行2文字の縦書が面白い。従軍者の名前のほか、漢詩と思われるものと「早稲田大學教授菊池武貞撰」「従七位冨岡重民書」「明治三十九年六月」などと彫られている。
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鳩ヶ谷駅からは氷川神社へ。本殿の裏手に堂々とした「日露役紀念碑」が建っていた。

「陸軍大将東郷平八郎書」とある。

裏面には……篆書体で読めない……。これも1行2文字の縦書で「明治弐拾八年役従軍〓〓」?? 従軍者の名前のほか「明治四拾年五月十五日建之」「鳩ケ谷町有志」などと彫られている。
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浦和美園駅からは徒歩5分程度の稲荷社へ。社務所すらない、規模のごく小さい稲荷社の境内に「日露戦役三十年記念碑」が建っていることに驚きを感じた。

しかもこの碑、鉄骨コンクリート造である。左上が風化して欠け、鉄骨が一部むき出しになっていた。石碑の相場は知らないけれど、ふつうに考えて自然石のほうがずっと高価だろう。資金が乏しいなか、それでも忠魂碑を建てたいがためのコンクリートという選択だったのだろうか――などと想像が働く。そして、自然石よりもコンクリートに「素朴さ」を感じてしまう倒錯に、ふとおかしみを覚える。
裏面には「出征者」の名前。昭和10年3月10日に建てられたもので、「コンクリートででも造らねば」というのが当時のご時世だったのだろうか。

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