撮るだけ撮ってほったらかしだったものを、「さいたま市の忠魂碑・忠霊塔」というくくりでまとめてみる。
【さいたま市北区(旧大宮市)】
8月17日、自転車でフラフラ走っていたところ、行き着いたのが「神明社」。旧大宮市下、さいたま市北区土呂町2‐83‐1。

「日露戦役凱旋記念碑」。この碑文についてはインターネット上に調査結果がまとめられているので、下記を参照されたし。大労作のリストです。
http://homepage3.nifty.com/orimoto/newpage74.html(記念碑15)
前面には大きく「日露戦役凱旋記念碑」、並べて小さく「前衆議院議員勲四等 小嶋善作書」。裏面の「明治三十九平和克復第二歳之秋日建之」という建立年の表記が面白い。「…平和克復第○歳…」という書き方は、これまでに見てきた数少ない
(←少ないのかよ!)忠魂碑・忠霊塔には他になかったものだ。
ところで、この隣には「報徳碑」という石碑があって、そちらには「元衆議院議員勲四等 小島善作書」と彫られている。同一人物なのは明らかだが、小嶋と小島、碑に彫られた名前で誤字というのはあるのだろうか? まさか本人が名前を間違えるとは思えず、といって名前だけを他人が彫る(そして間違える)というのもおかしな話で、いずれかが筆名だったり、本来は「小嶋」だが書きやすくわかりやすい「小島」姓を使っていたとか、そういう事情でもあるのだろうか。
【さいたま市中央区(旧与野市)】
遡って6月1日、自転車でフラフラ走っていたところ、行き着いたのが「与野公園」。旧与野市下、さいたま市中央区本町西1丁目。その園内に「日清・日露戦役記念碑」が建つ。

前面に大きく「日清・日露戦役記念碑」、傍らに「陸軍大将子爵大迫尚敏書」。裏面には「従軍者」(だと思う……篆書体なので今イチ自信無し)たちの名前が並び、「大正四年櫻月 木村割石書」と彫られている。

その傍らには「慰霊塔」。
傍ら、というか。

慰霊塔がメインで、戦役記念碑はその傍らというレイアウトになっている。
「日華事変及び第二次世界戦争のため国家に殉じて生命を捧げ崇高な精神に生きた郷土の人々の為に謹んでその英魂を慰む(略)昭和三十一年三月二十一日 与野町長 茂木喜之」
当たり前だが慰霊塔のほうが新しいのだから、その建立時に戦役記念碑は移動させたのだろう。あるいはこの公園とはまた別の場所にあったのかもしれないが、調査は及ばず(ていうか調べてない)。ただ、同じ公園の敷地内、石碑のほど近くに天祖神社という神社があるので、元からそれと関係が深いものとも思われる。

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