先に、神社へのお参りの話を書いたが、わしは神社仏閣によく行くし、縁起担ぎとか占いが好きで、幽霊が怖い。同時に、常に自然科学の理念に忠実でありたいと思っているし、ニセ科学を嫌悪するよう努めている。このふたつの心理は、わしのなかでは矛盾しない。
非科学的現象はヒトの知覚の先にある....つまり、物理現象としては存在しなくても、ヒトの五感や心理的働きにおいて内的要因によって発生した信号が脳に送られて「認識する」プロセスに入れば、それは「見た」「聞いた」「触った」と同義となる。したがって、霊的体験はヒトの中に発生し、それが外的状況を認知するシステムに入力されることで、わしの眼前に具現化するのだ、という考え方だ。
ただし、世の中の様々な生き物を見ていると、それが進化の過程で偶発的に生み出されたものと割り切ることに「割り切れない」感情を止められない、という体験はある。
たとえば、ある種の生き物が生存することについて「擬態」という考え方で説明づけられている事例にそれを感じることがある。
先日、職場のあたりで出会ったムシ。蛾である。
昆虫が嫌いな人は「黒い翅のある虫。蛾だろ。」とすぐ思うであろうが、ある程度ムシに抵抗ない人ならむしろまず「ジャコウアゲハ」という蝶を思い、さらにそこから「アゲハモドキ」という蛾の名前に至るだろう。
まず、ジャコウアゲハの幼虫がウマノスズクサという植物の葉を食べるが、それに含まれる毒性のある物質(アリストロキア酸)を体内に蓄積させて「毒蝶」となる。この蝶を好んで捕食する鳥なんていなくて、リスクが小さくて、ふわふわと優雅に大空を飛び回る。よくできた防御システムである。これだけでも「このシステムが偶発的進化の産物だなんて信じられない」ような案件だ。
ところがさらに、この毒蝶に姿が似ていると鳥に捕食されるリスクが小さくて生存に有利なのだろうか?これに似た生き物が存在する。ベイツ型擬態というヤツだ。ここまで手が込んでいると、この現象の偶然性におもいをはせるなかで....さすがに「創造主」なんて怪しげな語が連想されてしまう。誰かの仕込みじゃないか?というくらいよくできたストーリーだ。
そのひとつの例としてこのアゲハモドキの話がよく出てくるのである。リスクが小さいことと関連するのか、この蛾は明るい時にも活動するのだが、飛び方があまりシャープではなく鳥にすぐやられそうだったりする。あまり隠れ住む様子が無く、この画像のように真昼間に目立つところにちょこんととまっていたりする。「大丈夫か?お前は?」という風合いだ。
まぁ考え方もいろいろあって、この蛾が擬態の産物であるとの考えに異論もある。ジャコウアゲハは南方系の蝶で、涼しいところではあまり姿を見ないし、東北の最北部や北海道では全く見られない(ウマノスズクサも生えてないしな)。それと比べると、アゲハモドキの分布は北に偏っていて北海道にも住んでいる。それはどうなの?っていう話だ。まぁそのへんは生態学の専門家の先生方が読み物なんかに詳しく書いておられるので、興味のある方はそちらをどうぞ。
ところで、アゲハモドキの幼虫は小さなイモムシのくせに白いケバケバがあって毛虫みたいな風貌であるのだが、これがハバチの仲間の幼虫によく似ている(蝋=ワックス成分の多い樹木の葉を食べるハバチ幼虫はめんどくさいワックス成分を分泌(排出)して体表にまとってケバケバになる)。
何だか、一生を通じて「何かに似ている」という人生は....どうなんだろうなぁ....。
ちなみにこれはモザイクレース・コードネーム「あげはちょう」であった(尾筒端に黒斑がないので「モザイクコブラ」とちょっと違うことはおわかりいただけると思う)。はっはっは。

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