フル・オレンジとでも言えようか、全身がオレンジ色に薄く染まる。コードネームは「ファイア・オレンジテール」。フルレッドが普及する以前に出回っていたレッドテールが持っていた上半身がオレンジ色に光る色合いと、オレンジレースコブラの尾(Xリンク)を組み合わせたもので、色は薄いし、オムズビ尾だし、あまり取り柄がないのだが、尾にある程度厚みがあるのに半透明で背景が透けてみえてちょっと繊細な風合いなのを気に入っている。
体色をゴールデンに挿げ替えたら黒ずみを消せるとは思うものの、面倒なのでずっと野性体色のままだ。
ところで、先日ふと思い立って、新しいタイプのgupをプロショップのお世話で導入した。こちらから投げかけた不躾な質問や要望に丁寧にご対応いただいた千里丘の大将にあらためて謝意を表したい。あらためて、プロのアドバイスは買い物してこそ得られるのであって、有用な情報は有償であるべきだと再認識した次第である。さぁて、これから仔を採って大きくして、それを種親にして手持ちの怪しげな魚とかけあわせる....という段取りの予定で、こういうことを始めると、たとえそれが大した企画でなくても、まるで初めてgupを飼い始めたときのように、いつも何となくワクワクするものである。
わしは幼少の頃から対人活動が抑制的で、ひとりで相対することができる好奇心の対象を求道的に触ってきた。それが各種の生き物であり、サブカルチャ的な芸術や電子ゲームであった。若かりし頃、そのフィールドにおいて何かひとつを掘り下げて深入りすると周囲からいろいろとつつかれることがあり、それで生じる対人ストレスがイヤなので、「まぁ以前からヤッてはいるんですけど、お恥ずかしいことにいつまでも初心者レベルなのですよ」という意味で「万年初心者」を自称していた。その一環として、電子ゲームをやるときに、自らの名前を文字って「いつまでもヨチヨチ歩きの初心者レベル」という意味をこめて「yochi」(先頭は小文字)という名前を使っていた。
その後、職に就いて電子メールのアカウントを取得する際に自分の名前を使いたかったのだが、職場に同姓のヒトが幾人もいたので(何しろありふれた苗字なのでね)、遊び半分でyochiを使い、以降、業務をはじめとする社会的活動に総じてyochiを使うようになった。
まぁ「万年初心者」を言い訳にして、あまり洗練されていない立ち振る舞いが許されるのは若いときだけだろうから、歳を重ねてオヤジになってからは使用を控えるようにした。とくにgupを飼うことについては、いろいろな趣味のなかで比較的早く着手し、そして最も長いこと続けていることから、ここBLOG talk(2004年スタート)では当初から「まぁそれなりにやってました」というスタンスを取っているつもりだ。
それでも、趣味のことを始めた頃にありがちな、どんな些細なことでも一喜一憂し、当たり前の日常風景を写真に切り取って掲げる、そういった日常のワクワク感はいつまでも持っていたいし、大切にしたいと思っている。たとえば、バラやアサガオに深入りしてた頃には、毎日同じような花が咲くのに、毎度毎度写真を撮ってプリントして眺め、日々繰り返しのように起こる些細な出来事を何度も人に話して聞かせたりしたものである。そんなワクワクの日々においては、それらは自らにとって「平凡で些細な事」ではなく、世界のど真ん中のエキサイティングな事件なのだ。そして同朋が集えば、そのような話で盛り上がり、互いに対抗意識を燃やして熱く語る。楽しい時間だ。
もちろん、その道において経験豊富なベテランから見れば、未熟で幼いことである。たとえばその道の重鎮が複数同席して巨頭会談が開かれることを想定し、その意義深さと比較すれば、上述のような会話は他愛のないものであろう。でもそれが当事者にとって大切なものなんだと思いはせる、そういう気持ちはどんなに人生の経験を積み重ねても失わないでいたいと思うところである。
誰でも始めたときは初心者で、そういう人がたくさん生まれて、多くの人が飽きて止めるなかで、わずかな人がその道に残って、年月を重ねてベテランに育つのだろう。ひとつの趣味の道に集う人々の「ちょっとやってみた....というヒトへの思いやり(甘やかすのではない)」という丁寧な心配りが、その道を栄えさせるのだと信ずる。
たとえば仮定のお話....フィクションだが、とあるオープン参加の品評会で、自らの初めての作品を持参した小僧に対して、それなりの経験があるヒトが「それはここに出せるようなものじゃないぞ」と(当人は何気なく言っただけかもしれないが)言い放ち、その小僧は恥じ入ってコソコソと作品を持って帰る....あぁガッカリ....そんなことが起こってはいけないのだ。小僧はその傷心を忘れることができなくなるかもしれないし、いや、ひょっとして何十年経っても覚えてるぞ、貴様のことは絶対に許さん....あ、いや、これはフィクションであり、実在の個人や団体とは一切関係がありません。

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